サイクロン被災地よりストーリー 日本人スタッフが現地入り、支援物資の調達などを担当
サイクロン被災地よりストーリー/日本人スタッフが現地入り、支援物資の調達などを担当
ミャンマー・サイクロン被災地よりストーリー
イラワジ・デルタ地区を覆う奇妙な静けさ
Melanie Brooks
CARE アジア地域事務所コミュニケーション・アドバイザー
(2008年5月28日、ミャンマー、クンヤンゴン)
子どもたちが近くで鬼ごっこをして遊ぶ中、11歳のWin Lwin Ooは静かに母親のそばに座っています。Winが父親と4人の弟妹がサイクロンで流されるのを目の当たりにしてから、4週間以上が経ちました。それ以来、彼はほとんど話をしなくなってしまいました。
母親のMa Lwinは話します。「Winは、家があった所まで走って行っては、ただそこに座っています。まるで父親たちが帰ってくるのを待っているかのように」。Winが最後に弟たちを見たのは、彼らがWinに向かって「助けて!」と叫びながら流されて行ったときでした。「Winは弟たちが川に浮かんでいるのを見ながら助けることができませんでした。だから、彼は忘れることができないのです」。
ミャンマー南部を襲ったサイクロンにより13万人以上の人々が死亡または行方不明となっています。生存者たちも、村での生活を失い、厳しい将来に直面しています。いくつかの地域では、死亡者の8割以上が女性や子どもです。
洪水や4メートルもの高波はすべてを運び去るくらいのものすごい勢いで村を破壊しました。Winの弟妹たちのように、多くの子どもたちには、これらから逃れる力はありませんでした。ミャンマーにいるCARE緊急チームのフィールドコーディネーター、U Khin Maung Lwinは次のように述べています。「人々は波に対する準備ができていませんでした。以前にもサイクロンはありましたが、今回のようなものは初めてです。彼らは、このような大被害をおよぼすとは想像もしていませんでした」。
サイクロンが去ってから、イラワジ・デルタ地区を奇妙な静けさが覆っています。生き残った子どもたちは、大人たちの監視の中、静かに遊んでいます。子どもたちが牛を集める声や朝のオンドリの鳴き声といった、いつもの村の生活の音は、家と共に消えてしまいました。いつもなら田植え時期で騒がしい田んぼも、木やがれきが散乱し、塩水に汚染されたまま放置されています。
しかしここクンヤンゴンでは、人々はがれきの中から使えるものを拾い集め、少しずつ家の再建を始めています。多くの家は、わらぶき屋根の竹でできた簡素な小屋のようなもので、サイクロンの猛烈な風に吹き飛ばされてしまいました。人々は少なくとも1日に1回、道路を泥の海にしてしまう激しいモンスーンから避難しなければならないため、すべての作業を中断します。がれきから見つけたもので竹小屋を建て直した女性は言います。「すべてが濡れてしまいます。屋根をちゃんと直すことができないので、雨漏りするのです」。
CAREは、食糧、救援物資、家の修理や仮設シェルターを作るためのビニールシートを家庭に配布しています。しかし、復興に必要なのは物資だけではありません。CAREと他の援助機関は、村が崩壊し、家族が嵐に流されるのを目の当たりにしたことで人々が負ったトラウマの克服を手助けするため、コミュニティーの人々とともに活動しています。
「サイクロン発生前は、他の人より多くのものを持っている人がいるなど、人々の中に違いがありました。しかし今、すべての人が同じように影響を受けています。誰もがトラウマを負い、お互いに助け合おうとしています」とU Khin Maung Lwinは話します。
被害を受けた村では、風がヒューヒュー鳴り出すと、子どもたちは走って隠れ、また嵐が来るのかと怯えながら聞きます。Winの母親は、学校が1カ月で再開されることが息子にとって平常に戻る良いきっかけになることを望んでいます。しかし同時に、半分しか埋まっていない教室に息子が戻ることを不安に思っています。彼女が息子に学校に戻りたいかと聞くと、Winはいつも首を振り、母親の側を離れたくないと言います。「彼はたったの11歳ですが、父親が亡くなってしまった今、自分が私の面倒を見ないといけないと思っています。でも彼はまだ子どもなのです」と母親は涙を拭いながら言いました。
CAREの活動
CAREは、これまでにサイクロン被災地において、合計約23万人(ヤンゴンおよびヤンゴン周辺:約16万人、イラワジ・デルタ地区:約7万人)の支援を行ってきました。被災者の中には家の再建を始めた人々もいますが、プラスチックシートやロープなどの道具・物資面での支援がいまだに必要となっています。被災者たちが屋根用に使っている材料は、これまでの住居で使われていたわらぶきと同じ質のものはないため、雨漏りがし、現在の雨季をしのぐためにプラスチックシートが必要とされています。また、家庭用品や蚊帳もまだ不足しています。また、今後の活動として、さらに3万世帯に対するファミリー・キットの配布も予定されています。
ケア・インターナショナルジャパンでは、日本人スタッフの貝原塚二葉(かいはらづか ふたば)を現地に派遣しました。6月12日に現地入りし、今後1カ月間、ミャンマーの緊急支援チームの一員(支援物資の調達などを担当)として活動します。
〜日本人スタッフが現地入り、支援物資の調達などを担当
事業部 貝原塚二葉
6月16日(月)
週の木曜の夜、こちらに到着し、週末に倉庫を視察に行きましたが、国際スタッフ、現地スタッフとも週末も完全な休みはほとんどなく、多くの人たちが出勤していました。特に私のセクションでは、物資の調達、運搬、そして配布が中心となるため、それらの手続きや調整が週末にかかることもしばしばあります。
インドネシアに駐在していた頃、インドネシア人に日本人との共通点を多く感じていましたが、ミャンマー滞在4日目にして、ミャンマー人にもそれ以上に日本人に近いものを感じています。ミャンマー人がそうなのか、それともCAREのスタッフがそうなのかわかりませんが、まじめで温和な人たちが多いな、という印象です。
現場で物事がなかなか進まないことも多々ある中、こうしたスタッフの努力がCAREの実施する支援活動を大きく左右するのだということを改めて感じています。
ミャンマーのサイクロン被害については、日本を含む各国であまり報道されなくなっているとほかの国のスタッフも言っていましたが、支援活動はまだまだ続いています。今回の滞在は1カ月ですが、帰国までに随時こちらの様子をお伝えできればと思います。
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上記記事の詳細および資料などについてのお問い合わせは以下まで
(財)ケア・インターナショナル ジャパン
マーケティング部広報担当 菅沼 (m.suganuma@careintjp.org)
Tel. 03-5950-1335 Fax. 03-5950-1375
ケア・インターナショナル ジャパンは、
戦後の日本において8年間にわたり、1000万人の人々に
「ケア・パッケージ」を配布した国際協力NGO、
CAREの日本事務局です。
www.careintjp.org
*日本における「ケア・パッケージ」による支援についての
詳細は以下から。
http://www.careintjp.org/whoiscare/history_j.html
イラワジ・デルタ地区を覆う奇妙な静けさ
Melanie Brooks
CARE アジア地域事務所コミュニケーション・アドバイザー
(2008年5月28日、ミャンマー、クンヤンゴン)
子どもたちが近くで鬼ごっこをして遊ぶ中、11歳のWin Lwin Ooは静かに母親のそばに座っています。Winが父親と4人の弟妹がサイクロンで流されるのを目の当たりにしてから、4週間以上が経ちました。それ以来、彼はほとんど話をしなくなってしまいました。
母親のMa Lwinは話します。「Winは、家があった所まで走って行っては、ただそこに座っています。まるで父親たちが帰ってくるのを待っているかのように」。Winが最後に弟たちを見たのは、彼らがWinに向かって「助けて!」と叫びながら流されて行ったときでした。「Winは弟たちが川に浮かんでいるのを見ながら助けることができませんでした。だから、彼は忘れることができないのです」。
ミャンマー南部を襲ったサイクロンにより13万人以上の人々が死亡または行方不明となっています。生存者たちも、村での生活を失い、厳しい将来に直面しています。いくつかの地域では、死亡者の8割以上が女性や子どもです。
洪水や4メートルもの高波はすべてを運び去るくらいのものすごい勢いで村を破壊しました。Winの弟妹たちのように、多くの子どもたちには、これらから逃れる力はありませんでした。ミャンマーにいるCARE緊急チームのフィールドコーディネーター、U Khin Maung Lwinは次のように述べています。「人々は波に対する準備ができていませんでした。以前にもサイクロンはありましたが、今回のようなものは初めてです。彼らは、このような大被害をおよぼすとは想像もしていませんでした」。
サイクロンが去ってから、イラワジ・デルタ地区を奇妙な静けさが覆っています。生き残った子どもたちは、大人たちの監視の中、静かに遊んでいます。子どもたちが牛を集める声や朝のオンドリの鳴き声といった、いつもの村の生活の音は、家と共に消えてしまいました。いつもなら田植え時期で騒がしい田んぼも、木やがれきが散乱し、塩水に汚染されたまま放置されています。
しかしここクンヤンゴンでは、人々はがれきの中から使えるものを拾い集め、少しずつ家の再建を始めています。多くの家は、わらぶき屋根の竹でできた簡素な小屋のようなもので、サイクロンの猛烈な風に吹き飛ばされてしまいました。人々は少なくとも1日に1回、道路を泥の海にしてしまう激しいモンスーンから避難しなければならないため、すべての作業を中断します。がれきから見つけたもので竹小屋を建て直した女性は言います。「すべてが濡れてしまいます。屋根をちゃんと直すことができないので、雨漏りするのです」。
CAREは、食糧、救援物資、家の修理や仮設シェルターを作るためのビニールシートを家庭に配布しています。しかし、復興に必要なのは物資だけではありません。CAREと他の援助機関は、村が崩壊し、家族が嵐に流されるのを目の当たりにしたことで人々が負ったトラウマの克服を手助けするため、コミュニティーの人々とともに活動しています。
「サイクロン発生前は、他の人より多くのものを持っている人がいるなど、人々の中に違いがありました。しかし今、すべての人が同じように影響を受けています。誰もがトラウマを負い、お互いに助け合おうとしています」とU Khin Maung Lwinは話します。
被害を受けた村では、風がヒューヒュー鳴り出すと、子どもたちは走って隠れ、また嵐が来るのかと怯えながら聞きます。Winの母親は、学校が1カ月で再開されることが息子にとって平常に戻る良いきっかけになることを望んでいます。しかし同時に、半分しか埋まっていない教室に息子が戻ることを不安に思っています。彼女が息子に学校に戻りたいかと聞くと、Winはいつも首を振り、母親の側を離れたくないと言います。「彼はたったの11歳ですが、父親が亡くなってしまった今、自分が私の面倒を見ないといけないと思っています。でも彼はまだ子どもなのです」と母親は涙を拭いながら言いました。
CAREの活動
CAREは、これまでにサイクロン被災地において、合計約23万人(ヤンゴンおよびヤンゴン周辺:約16万人、イラワジ・デルタ地区:約7万人)の支援を行ってきました。被災者の中には家の再建を始めた人々もいますが、プラスチックシートやロープなどの道具・物資面での支援がいまだに必要となっています。被災者たちが屋根用に使っている材料は、これまでの住居で使われていたわらぶきと同じ質のものはないため、雨漏りがし、現在の雨季をしのぐためにプラスチックシートが必要とされています。また、家庭用品や蚊帳もまだ不足しています。また、今後の活動として、さらに3万世帯に対するファミリー・キットの配布も予定されています。
ケア・インターナショナルジャパンでは、日本人スタッフの貝原塚二葉(かいはらづか ふたば)を現地に派遣しました。6月12日に現地入りし、今後1カ月間、ミャンマーの緊急支援チームの一員(支援物資の調達などを担当)として活動します。
〜日本人スタッフが現地入り、支援物資の調達などを担当
事業部 貝原塚二葉
6月16日(月)
週の木曜の夜、こちらに到着し、週末に倉庫を視察に行きましたが、国際スタッフ、現地スタッフとも週末も完全な休みはほとんどなく、多くの人たちが出勤していました。特に私のセクションでは、物資の調達、運搬、そして配布が中心となるため、それらの手続きや調整が週末にかかることもしばしばあります。
インドネシアに駐在していた頃、インドネシア人に日本人との共通点を多く感じていましたが、ミャンマー滞在4日目にして、ミャンマー人にもそれ以上に日本人に近いものを感じています。ミャンマー人がそうなのか、それともCAREのスタッフがそうなのかわかりませんが、まじめで温和な人たちが多いな、という印象です。
現場で物事がなかなか進まないことも多々ある中、こうしたスタッフの努力がCAREの実施する支援活動を大きく左右するのだということを改めて感じています。
ミャンマーのサイクロン被害については、日本を含む各国であまり報道されなくなっているとほかの国のスタッフも言っていましたが、支援活動はまだまだ続いています。今回の滞在は1カ月ですが、帰国までに随時こちらの様子をお伝えできればと思います。
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上記記事の詳細および資料などについてのお問い合わせは以下まで
(財)ケア・インターナショナル ジャパン
マーケティング部広報担当 菅沼 (m.suganuma@careintjp.org)
Tel. 03-5950-1335 Fax. 03-5950-1375
ケア・インターナショナル ジャパンは、
戦後の日本において8年間にわたり、1000万人の人々に
「ケア・パッケージ」を配布した国際協力NGO、
CAREの日本事務局です。
www.careintjp.org
*日本における「ケア・パッケージ」による支援についての
詳細は以下から。
http://www.careintjp.org/whoiscare/history_j.html