2014年7月17日、マレーシア航空MH17便が撃墜されたあの事件を覚えていますか?
[20/07/15]
提供元:PRTIMES
提供元:PRTIMES
一発のミサイルが奪った「医学の巨星」。コロナの時代に読みたい、知られざるノンフィクション
7月17日は、HIV/AIDS撲滅に生涯を捧げ、道半ばでこの世を去ったユップ・ランゲ医師(享年59歳)の命日です。いま世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス。もしコロナの時代に彼が生きていたら――。
生命科学と医学の専門出版社、株式会社羊土社は、2014年7月17日に起きたマレーシア航空MH17便撃墜事件により急逝したユップ・ランゲ医師の生涯を綴ったノンフィクション『撃ち落とされたエイズの巨星 〜HIV/AIDS撲滅をめざしたユップ・ランゲ博士の闘い』(シーマ・ヤスミン/著、鴨志田 恵/翻訳)を昨年発行しました。本書のテーマはHIV/AIDS撲滅ですが、新型コロナウイルス の“いま”読むと,私たちを取り巻く現在の状況と重なり、これまでとは異なる読後感が残ります。7回目の命日を迎えるにあたり、感慨とともに「エイズの巨星」が果敢に挑んだ世界と“いま”を、本書を通して見つめませんか。
[画像: https://prtimes.jp/i/54188/1/resize/d54188-1-860497-0.jpg ]
■『撃ち落とされたエイズの巨星 〜HIV/AIDS撲滅をめざしたユップ・ランゲ博士の闘い』
詳細ページはこちら https://peak.yodosha.jp/book_list/978-4-7581-1210-9/
「HIVを地上から一掃したい」 医師の熱意はウクライナの空から大地へ散った
2014年7月17日、ウクライナ東部のドネツク州のロシア国境近くで、マレーシア航空MH17便が武装勢力により撃墜。乗客乗員298名は全員死亡。その中にオランダの医師で、「巨人」という表現がふさわしいHIV研究の世界的なリーダー、ユップ・ランゲ医師と、彼のパートナー、ジャクリン・ファン・トンヘレンも搭乗していました。2人はオーストラリアで開かれる第20回国際エイズ会議に参加するはずでした。
謎の感染症に困惑 当時医師になったばかりのユップ・ランゲ
1981年、医師になって6ヶ月目のユップ・ランゲのもとに一人の男性患者が訪れます。熱、冷や汗、下痢など患者の全身で同時に起こるさまざまな症状に困惑。エイズの正体がまだ定かでない時代に、ユップ・ランゲ医師とHIVとの闘いは始まりました。HIVという病気そのものだけでなく、その周辺には山積みの課題があり、ユップ・ランゲは苦悶の日々をそれから亡くなるまで送ることになります。
“一つの病気に、公衆衛生、政治、臨床医療、そして社会不安がからんでいる。それは、これまでに経験がない状況だった。しかもこの謎の病は、想像以上に速い速度で感染を広げている。人類はそのようなものを、未だかつて見たことがなかった。”(本書より抜粋)
「最も必要としている人々に薬を届けたい」 彼の意志によって何千万人もの人々の命が救われた
ユップ・ランゲ医師の有名な決まり文句があります。
「アフリカのどんな辺ぴな地域にも冷えたコカ・コーラやビールを届けることができるなら、薬を届けることも不可能ではないはずだ」
“ユップは、HIV治療薬の普及推進運動のパイオニアでした。抗レトロウイルス薬による治療法が導入されたのち、彼は先頭に立って、貧富の別や出身地を問わず、HIVに感染したすべての人の手に薬を届けようとしました。彼はまた、妊婦から胎児へのHIV感染が薬で予防できることを実証する臨床試験を初めて行った人物でもあります。"(本書より抜粋)
情熱のままに発せられる言動の数々は、人を動かし、希望を生み出した
本書の原題は『The Impatient Dr. Lange』。せっかち(=Impatient)に物事を進めようとするユップ・ランゲ医師の人柄が垣間見えるエピソードを紹介。
”ユップはプロとして有能な医者でありながら、感情を見せることを恐れない。父親に似て、自分の気持ちを抑えておくことができないたちなのだ。彼のそういうところをジャクリンは好ましく思った。患者と研究室を忙しく往復しつつも、ときおり涙をぬぐいながら病室から出てくる彼の姿を、彼女は見かけていた。患者たちの苦しみに接すると、ユップは胸がいっぱいになってしまうのだった。
一方で、ユップはだんだん扱いづらい医者になっていった。エイズ研究資金が足りないと病院の経営陣に腹を立て、彼らをバカ者呼ばわりし、「あなた方の目はふしあなだ。我々がここでやっている仕事がいかに重要か、まったく見えていない」と、怒り任せの手紙を書いて送りつけた。”(本書より抜粋)
▼ユップ・ランゲ医師プロフィール
ユップ・ランゲ(Joseph Marie Albert Lange) [1954.9.25-2014.7.17]
医師、HIV研究者。蔓延の最初期からエイズ治療・対策にとりくむ。オランダのみならずアフリカ、アジアにて活躍し、特に母子感染予防の貢献は特筆される。ファームアクセス財団の初代理事長、国際エイズ学会会長、AIGHDの科学責任者を歴任。2014年7月17日、かつて会長を務めた国際エイズ学会に向かうため搭乗していたマレーシア航空17便がウクライナ上空で撃墜され、帰らぬ人となった。
▼著者プロフィール
シーマ・ヤスミン(Seema Yasmin)
イギリス生まれの女性医師、ジャーナリスト。生化学をクイーン・メアリー大学で、医学をケンブリッジ大学で学び、ロンドンのホーマートン大学病院にてドクターとして勤める。2011年からは米国疾病管理予防センター(CDC)に通称「病気の探偵」として勤務。その後トロント大学でジャーナリズムを学び、『ダラス・モーニング・ニュース』の記者となる。疫学をテキサス大学ダラス校で教えたり、スタンフォード大学のJohn S. Knightジャーナリズムフェローシップに選ばれ、その後同大学で教鞭をとるなど活躍の範囲は広い。新型コロナに関しても、スタンフォード大学スタンフォード・ヘルスコミュニケーション・イニシアチヴ所長の立場から科学的な情報を発信。17歳のとき(本人曰くダメ学生のとき)に、ユップに出会い、そのアドバイスに導かれて医学の道に進んだ。
▽一般読者に向けた、羊土社の新レーベル「PEAK Books」
「PEAK books(ピークブックス)」は、生命科学と医学の専門出版社である羊土社が2019年に立ち上げた一般書のレーベルです。医学書ジャンルから飛び出し、一般読者に向けた書籍を今後も刊行します。『撃ち落とされたエイズの巨星 〜HIV/AIDS撲滅をめざしたユップ・ランゲ博士の闘い』(2019/11刊)、『すこし痛みますよ 〜ジュニアドクターの赤裸々すぎる日記』(2020/2刊)、『RAW DATA ロー・データ』(2020/3刊)、『ワクチン・レース』(2020/9予定)、『美食のサピエンス史』(2020/9予定)以下続刊予定。
7月17日は、HIV/AIDS撲滅に生涯を捧げ、道半ばでこの世を去ったユップ・ランゲ医師(享年59歳)の命日です。いま世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス。もしコロナの時代に彼が生きていたら――。
生命科学と医学の専門出版社、株式会社羊土社は、2014年7月17日に起きたマレーシア航空MH17便撃墜事件により急逝したユップ・ランゲ医師の生涯を綴ったノンフィクション『撃ち落とされたエイズの巨星 〜HIV/AIDS撲滅をめざしたユップ・ランゲ博士の闘い』(シーマ・ヤスミン/著、鴨志田 恵/翻訳)を昨年発行しました。本書のテーマはHIV/AIDS撲滅ですが、新型コロナウイルス の“いま”読むと,私たちを取り巻く現在の状況と重なり、これまでとは異なる読後感が残ります。7回目の命日を迎えるにあたり、感慨とともに「エイズの巨星」が果敢に挑んだ世界と“いま”を、本書を通して見つめませんか。
[画像: https://prtimes.jp/i/54188/1/resize/d54188-1-860497-0.jpg ]
■『撃ち落とされたエイズの巨星 〜HIV/AIDS撲滅をめざしたユップ・ランゲ博士の闘い』
詳細ページはこちら https://peak.yodosha.jp/book_list/978-4-7581-1210-9/
「HIVを地上から一掃したい」 医師の熱意はウクライナの空から大地へ散った
2014年7月17日、ウクライナ東部のドネツク州のロシア国境近くで、マレーシア航空MH17便が武装勢力により撃墜。乗客乗員298名は全員死亡。その中にオランダの医師で、「巨人」という表現がふさわしいHIV研究の世界的なリーダー、ユップ・ランゲ医師と、彼のパートナー、ジャクリン・ファン・トンヘレンも搭乗していました。2人はオーストラリアで開かれる第20回国際エイズ会議に参加するはずでした。
謎の感染症に困惑 当時医師になったばかりのユップ・ランゲ
1981年、医師になって6ヶ月目のユップ・ランゲのもとに一人の男性患者が訪れます。熱、冷や汗、下痢など患者の全身で同時に起こるさまざまな症状に困惑。エイズの正体がまだ定かでない時代に、ユップ・ランゲ医師とHIVとの闘いは始まりました。HIVという病気そのものだけでなく、その周辺には山積みの課題があり、ユップ・ランゲは苦悶の日々をそれから亡くなるまで送ることになります。
“一つの病気に、公衆衛生、政治、臨床医療、そして社会不安がからんでいる。それは、これまでに経験がない状況だった。しかもこの謎の病は、想像以上に速い速度で感染を広げている。人類はそのようなものを、未だかつて見たことがなかった。”(本書より抜粋)
「最も必要としている人々に薬を届けたい」 彼の意志によって何千万人もの人々の命が救われた
ユップ・ランゲ医師の有名な決まり文句があります。
「アフリカのどんな辺ぴな地域にも冷えたコカ・コーラやビールを届けることができるなら、薬を届けることも不可能ではないはずだ」
“ユップは、HIV治療薬の普及推進運動のパイオニアでした。抗レトロウイルス薬による治療法が導入されたのち、彼は先頭に立って、貧富の別や出身地を問わず、HIVに感染したすべての人の手に薬を届けようとしました。彼はまた、妊婦から胎児へのHIV感染が薬で予防できることを実証する臨床試験を初めて行った人物でもあります。"(本書より抜粋)
情熱のままに発せられる言動の数々は、人を動かし、希望を生み出した
本書の原題は『The Impatient Dr. Lange』。せっかち(=Impatient)に物事を進めようとするユップ・ランゲ医師の人柄が垣間見えるエピソードを紹介。
”ユップはプロとして有能な医者でありながら、感情を見せることを恐れない。父親に似て、自分の気持ちを抑えておくことができないたちなのだ。彼のそういうところをジャクリンは好ましく思った。患者と研究室を忙しく往復しつつも、ときおり涙をぬぐいながら病室から出てくる彼の姿を、彼女は見かけていた。患者たちの苦しみに接すると、ユップは胸がいっぱいになってしまうのだった。
一方で、ユップはだんだん扱いづらい医者になっていった。エイズ研究資金が足りないと病院の経営陣に腹を立て、彼らをバカ者呼ばわりし、「あなた方の目はふしあなだ。我々がここでやっている仕事がいかに重要か、まったく見えていない」と、怒り任せの手紙を書いて送りつけた。”(本書より抜粋)
▼ユップ・ランゲ医師プロフィール
ユップ・ランゲ(Joseph Marie Albert Lange) [1954.9.25-2014.7.17]
医師、HIV研究者。蔓延の最初期からエイズ治療・対策にとりくむ。オランダのみならずアフリカ、アジアにて活躍し、特に母子感染予防の貢献は特筆される。ファームアクセス財団の初代理事長、国際エイズ学会会長、AIGHDの科学責任者を歴任。2014年7月17日、かつて会長を務めた国際エイズ学会に向かうため搭乗していたマレーシア航空17便がウクライナ上空で撃墜され、帰らぬ人となった。
▼著者プロフィール
シーマ・ヤスミン(Seema Yasmin)
イギリス生まれの女性医師、ジャーナリスト。生化学をクイーン・メアリー大学で、医学をケンブリッジ大学で学び、ロンドンのホーマートン大学病院にてドクターとして勤める。2011年からは米国疾病管理予防センター(CDC)に通称「病気の探偵」として勤務。その後トロント大学でジャーナリズムを学び、『ダラス・モーニング・ニュース』の記者となる。疫学をテキサス大学ダラス校で教えたり、スタンフォード大学のJohn S. Knightジャーナリズムフェローシップに選ばれ、その後同大学で教鞭をとるなど活躍の範囲は広い。新型コロナに関しても、スタンフォード大学スタンフォード・ヘルスコミュニケーション・イニシアチヴ所長の立場から科学的な情報を発信。17歳のとき(本人曰くダメ学生のとき)に、ユップに出会い、そのアドバイスに導かれて医学の道に進んだ。
▽一般読者に向けた、羊土社の新レーベル「PEAK Books」
「PEAK books(ピークブックス)」は、生命科学と医学の専門出版社である羊土社が2019年に立ち上げた一般書のレーベルです。医学書ジャンルから飛び出し、一般読者に向けた書籍を今後も刊行します。『撃ち落とされたエイズの巨星 〜HIV/AIDS撲滅をめざしたユップ・ランゲ博士の闘い』(2019/11刊)、『すこし痛みますよ 〜ジュニアドクターの赤裸々すぎる日記』(2020/2刊)、『RAW DATA ロー・データ』(2020/3刊)、『ワクチン・レース』(2020/9予定)、『美食のサピエンス史』(2020/9予定)以下続刊予定。