職業「手紙書き」。55年間、手紙だけを書いてきた小池邦夫のことばの集大成!『小池邦夫のことば集』を発行
[15/02/19]
提供元:PRTIMES
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【コンプレックスが宝物に変わる、絵手紙哲学が詰まった一冊】
本書は小池邦夫が立ち上げた日本絵手紙協会の創立30周年を記念し、機関誌『月刊絵手紙』誌上で昨年、読者から募集した「私の好きな小池邦夫の言葉」を一冊にまとめたものです。2000通以上の応募より137の言葉を収録しています。
◎絵手紙という考え方を創った小池邦夫
[画像1: http://prtimes.jp/i/12380/2/resize/d12380-2-914214-2.jpg ]
「ヘタでいい ヘタがいい」というキャッチフレーズで広がった絵手紙。主にハガキにかいた絵に言葉を添えた手紙を指します。古くは夏目漱石、岡本一平、會津八一などの文化人たちが絵に言葉を添えたハガキを多く投函していますが、10代の頃から小さなハガキが持つ限りない可能性を感じていた小池邦夫は、引っ込み思案な自分を表現する手段を手紙に見出し、誰でも気軽にかける「絵手紙」というジャンルを確立します。以来「口では言えないことも絵手紙でなら伝えられる」と日常的に手紙を書き送る絵手紙運動を実践してきました。
◎職業・手紙書き「不器用が武器になる」
学校で教わる上手にかくこと、お手本通りにかくこととは180度反対の「ヘタでいい ヘタがいい」という考え方。そこには自らを「小さい頃から不器用でコンプレックスの塊だった」という小池邦夫がもがき、苦しみながらも前進して生み出してきた人生哲学が凝縮されています。人まねではなくオリジナルを作り上げたいと願ってきた小池は「手紙書き」という職業を自身に与えました。
◎小池邦夫プロフィール
[画像2: http://prtimes.jp/i/12380/2/resize/d12380-2-804962-6.jpg ]
1941年、愛媛県生まれ。書家、絵手紙作家。東京学芸大学書道科に学ぶ。『季刊銀花』のとじ込み企画で一年間に6万枚の肉筆絵手紙をかいて、話題を呼ぶ。1985年「日本絵手紙協会」を発足、絵手紙運動を推進する。山梨県忍野村の「小池邦夫絵手紙美術館」では、絵手紙の企画展や講演活動を展開中。現在は上武大学客員教授として若い世代へも絵手紙を伝えるほか、同大学「手書き文化研究所」所長として手がき文化の普及活動を行っている。
◎商品概要
[画像3: http://prtimes.jp/i/12380/2/resize/d12380-2-587466-1.jpg ]
B6判変型 モノクロ176頁 定価1000円+税 一般社団法人 日本絵手紙協会刊
【もくじ】
一人だけの革命/動かなければ出会えない/ヘタでいいヘタがいい/あせらないけどあきらめない/手紙は手仕事心仕事心よおどれおどれ/一生涯素人/巻末ロングインタビュー「僕がずっと手紙を書いている理由」
◎問合せ
〒103-0027
東京都中央区日本橋3-5-11 八重洲中央ビル3階
一般社団法人 日本絵手紙協会
『月刊絵手紙』編集部
電話03-3242-7885 FAX03-3242-7881
※営業平日10時〜18時
http://www.etegami.or.jp/contact/contact.php
お申込みはこちら
http://www.etegami.or.jp/about/kotoba.html
◎取扱場所
・日本絵手紙協会(東京事務局・大阪事務所) http://www.etegami.or.jp/
・大崎ウエストギャラリー http://www.space-gallery.net/
・絵手紙株式会社 http://www.etegami-shop.net/
・銀座 鳩居堂(2015年4月より取扱い)
<小池邦夫のヒストリー 〜絵手紙文化を未来へつなぐ!〜>
◎19歳から55年間、手紙を書いてきた小池邦夫
小池は19歳から同郷の友に手紙を書き始め、「絵手紙」という新しい表現方法を模索し続けてきました。37歳で、『季刊銀花』に六万枚の肉筆絵手紙を挟みこむ企画を受け、一日に200枚の絵手紙を書く生活を一年間続けました。やっとかき終えたその晩、家族4人ですきやきを囲み達成を祝します。ところがその数時間後、突然最愛の妻がくも膜下出血で急逝。手紙で生きていく、と決めた夫を高校教師をしながら支え続けた妻との早すぎる別れ。これが小池を一層「手紙書き」の道へと駆り立てました。
◎日本絵手紙協会創立から30年、現在の絵手紙愛好者は100万人とも
その後、小池は1985年に40代で日本絵手紙協会を立ち上げます。当初の会員数は約100名。1996年には東京・京橋に事務所を構え、機関誌『月刊絵手紙』を発行。会員は現在約15000名、小池の絵手紙精神を伝える講師の数も約3000名にまで増えました。
国内の絵手紙愛好者は今や100万人とも言われています。その広がりは国内だけにとどまらず、上海、ハワイ、ドイツ、フランス、中国、ブラジルなどこれまでに世界各地で絵手紙が日本文化として紹介されてきています。
協会の近年の取組みとしては、3年前から年に一度イタリア・フィレンツェで絵手紙の体験教室を開催。日本とイタリアの文通も順調に進んでいます。
◎会長交代。絵手紙を「文化」として残すために
今年の年頭、小池は、年度末の3月末日をもって会長職を辞任する意向を発表しました。
もともと自らを「組織には向かない人間」「ただの手紙書き」としていた小池は、「絵手紙なんてちっぽけなものは私一代で終わると思っていた」と言います。しかし、小池邦夫の絵手紙精神を受け継ぐ講師の皆さんや協会の若いスタッフから“絵手紙を文化として残したい”という声が上がると、「その思いが嬉しかった。」と絵手紙愛好者たちの熱意に応え、協会の発展を願って、後任に道を託すこととなりました。そして今年は「絵手紙の創始者」として全国15か所にて講演会を開催する予定です。
※新会長には協会創立当初から活動に参加していた登坂和雄氏(55歳)が就任します。
◎「絵手紙はかき方ではない、生き方だ」
身をけずりながら得た哲学が詰まった一冊!
絵手紙とは、単に「絵のある手紙」というだけではありません。「ヘタでいいヘタがいい」という絵手紙のモットーの通り、形式ばった従来の手紙の型から抜け出し、自由に自分らしく、素直な思いを手がきで届けることが絵手紙の本当の精神です。本書にも「絵があるか墨で書いているかではない 心が書かれているか それだけ」(『ことば集』100頁)ということばがあります。また小池は、「絵手紙とはかき方ではなく“生き方”である」とも言います。
「才能がなかった」と語る小池が、書道や文学など既存の表現方法から抜け出し、ハガキという新しい表現の場を追求しつづけた道は、けっして平坦なものではありませんでした。身をけずりながら得た哲学が、この一冊には詰まっています。絵手紙愛好者はもちろんのこと、現代を生きる人々皆の背中を押してくれる内容です。
本書は小池邦夫が立ち上げた日本絵手紙協会の創立30周年を記念し、機関誌『月刊絵手紙』誌上で昨年、読者から募集した「私の好きな小池邦夫の言葉」を一冊にまとめたものです。2000通以上の応募より137の言葉を収録しています。
◎絵手紙という考え方を創った小池邦夫
[画像1: http://prtimes.jp/i/12380/2/resize/d12380-2-914214-2.jpg ]
「ヘタでいい ヘタがいい」というキャッチフレーズで広がった絵手紙。主にハガキにかいた絵に言葉を添えた手紙を指します。古くは夏目漱石、岡本一平、會津八一などの文化人たちが絵に言葉を添えたハガキを多く投函していますが、10代の頃から小さなハガキが持つ限りない可能性を感じていた小池邦夫は、引っ込み思案な自分を表現する手段を手紙に見出し、誰でも気軽にかける「絵手紙」というジャンルを確立します。以来「口では言えないことも絵手紙でなら伝えられる」と日常的に手紙を書き送る絵手紙運動を実践してきました。
◎職業・手紙書き「不器用が武器になる」
学校で教わる上手にかくこと、お手本通りにかくこととは180度反対の「ヘタでいい ヘタがいい」という考え方。そこには自らを「小さい頃から不器用でコンプレックスの塊だった」という小池邦夫がもがき、苦しみながらも前進して生み出してきた人生哲学が凝縮されています。人まねではなくオリジナルを作り上げたいと願ってきた小池は「手紙書き」という職業を自身に与えました。
◎小池邦夫プロフィール
[画像2: http://prtimes.jp/i/12380/2/resize/d12380-2-804962-6.jpg ]
1941年、愛媛県生まれ。書家、絵手紙作家。東京学芸大学書道科に学ぶ。『季刊銀花』のとじ込み企画で一年間に6万枚の肉筆絵手紙をかいて、話題を呼ぶ。1985年「日本絵手紙協会」を発足、絵手紙運動を推進する。山梨県忍野村の「小池邦夫絵手紙美術館」では、絵手紙の企画展や講演活動を展開中。現在は上武大学客員教授として若い世代へも絵手紙を伝えるほか、同大学「手書き文化研究所」所長として手がき文化の普及活動を行っている。
◎商品概要
[画像3: http://prtimes.jp/i/12380/2/resize/d12380-2-587466-1.jpg ]
B6判変型 モノクロ176頁 定価1000円+税 一般社団法人 日本絵手紙協会刊
【もくじ】
一人だけの革命/動かなければ出会えない/ヘタでいいヘタがいい/あせらないけどあきらめない/手紙は手仕事心仕事心よおどれおどれ/一生涯素人/巻末ロングインタビュー「僕がずっと手紙を書いている理由」
◎問合せ
〒103-0027
東京都中央区日本橋3-5-11 八重洲中央ビル3階
一般社団法人 日本絵手紙協会
『月刊絵手紙』編集部
電話03-3242-7885 FAX03-3242-7881
※営業平日10時〜18時
http://www.etegami.or.jp/contact/contact.php
お申込みはこちら
http://www.etegami.or.jp/about/kotoba.html
◎取扱場所
・日本絵手紙協会(東京事務局・大阪事務所) http://www.etegami.or.jp/
・大崎ウエストギャラリー http://www.space-gallery.net/
・絵手紙株式会社 http://www.etegami-shop.net/
・銀座 鳩居堂(2015年4月より取扱い)
<小池邦夫のヒストリー 〜絵手紙文化を未来へつなぐ!〜>
◎19歳から55年間、手紙を書いてきた小池邦夫
小池は19歳から同郷の友に手紙を書き始め、「絵手紙」という新しい表現方法を模索し続けてきました。37歳で、『季刊銀花』に六万枚の肉筆絵手紙を挟みこむ企画を受け、一日に200枚の絵手紙を書く生活を一年間続けました。やっとかき終えたその晩、家族4人ですきやきを囲み達成を祝します。ところがその数時間後、突然最愛の妻がくも膜下出血で急逝。手紙で生きていく、と決めた夫を高校教師をしながら支え続けた妻との早すぎる別れ。これが小池を一層「手紙書き」の道へと駆り立てました。
◎日本絵手紙協会創立から30年、現在の絵手紙愛好者は100万人とも
その後、小池は1985年に40代で日本絵手紙協会を立ち上げます。当初の会員数は約100名。1996年には東京・京橋に事務所を構え、機関誌『月刊絵手紙』を発行。会員は現在約15000名、小池の絵手紙精神を伝える講師の数も約3000名にまで増えました。
国内の絵手紙愛好者は今や100万人とも言われています。その広がりは国内だけにとどまらず、上海、ハワイ、ドイツ、フランス、中国、ブラジルなどこれまでに世界各地で絵手紙が日本文化として紹介されてきています。
協会の近年の取組みとしては、3年前から年に一度イタリア・フィレンツェで絵手紙の体験教室を開催。日本とイタリアの文通も順調に進んでいます。
◎会長交代。絵手紙を「文化」として残すために
今年の年頭、小池は、年度末の3月末日をもって会長職を辞任する意向を発表しました。
もともと自らを「組織には向かない人間」「ただの手紙書き」としていた小池は、「絵手紙なんてちっぽけなものは私一代で終わると思っていた」と言います。しかし、小池邦夫の絵手紙精神を受け継ぐ講師の皆さんや協会の若いスタッフから“絵手紙を文化として残したい”という声が上がると、「その思いが嬉しかった。」と絵手紙愛好者たちの熱意に応え、協会の発展を願って、後任に道を託すこととなりました。そして今年は「絵手紙の創始者」として全国15か所にて講演会を開催する予定です。
※新会長には協会創立当初から活動に参加していた登坂和雄氏(55歳)が就任します。
◎「絵手紙はかき方ではない、生き方だ」
身をけずりながら得た哲学が詰まった一冊!
絵手紙とは、単に「絵のある手紙」というだけではありません。「ヘタでいいヘタがいい」という絵手紙のモットーの通り、形式ばった従来の手紙の型から抜け出し、自由に自分らしく、素直な思いを手がきで届けることが絵手紙の本当の精神です。本書にも「絵があるか墨で書いているかではない 心が書かれているか それだけ」(『ことば集』100頁)ということばがあります。また小池は、「絵手紙とはかき方ではなく“生き方”である」とも言います。
「才能がなかった」と語る小池が、書道や文学など既存の表現方法から抜け出し、ハガキという新しい表現の場を追求しつづけた道は、けっして平坦なものではありませんでした。身をけずりながら得た哲学が、この一冊には詰まっています。絵手紙愛好者はもちろんのこと、現代を生きる人々皆の背中を押してくれる内容です。