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グアンタナモで、被収容者がまた1名死亡 【アムネスティ】




イエメン出身の男性が起訴も裁判もないまま、独房に11年間拘禁された末、死亡した。

この事件は、グアンタナモ収容所の無期限拘禁がいかに冷酷で非情か、したがって無期限拘禁の撤廃がいかに急務であるか、ということをあらためて思い起こさせる。

米軍当局が9月10日に発表したところでは、最も厳重なキャンプ5の独房で9月8日、1人の被収容者が遺体の姿で発見された。当局は家族に通知後、その男性の身元や国籍を発表した。死亡したのはイエメン国籍のアドナン・ファーハン・アブドゥル・ラティ。彼は起訴もされず裁判にかけられることもないまま、米軍の収容所に11年拘禁されていた。

グアンタナモでの拘禁が始まった2002年1月以降わかっているだけで、過去8人の被収容者が死亡してきた。米軍当局によると、そのうち6名は自殺、残る2名は自然死だ。

アドナン・ラティフの死亡時の状況およびその原因の究明に、海軍犯罪捜査局(NCIS)が捜査を開始した。

アムネスティ・インターナショナルは米国政府に対し、国際法に従い、完全に独立した、民間主導の調査を認めること、またその調査の全内容と取られた他の措置に関する情報を本人の家族に提供すること、を要求する。また検死や捜査から得られた証拠は保全されるべきである。

■「生きているより、死んだ方がマシ」

米国は、2001年9月11日の同時多発テロ以降、「グローバル戦争」という枠組みを想定した。その枠組みの中で、グアンタナモにおいては人権尊重の原則を無視し、多数の被収容者を無期限に拘禁し、本人とその家族を残酷なほど不安定な状態に置いた。ラティフの11年もの拘禁と顛末は、その動かしがたい証拠である。

ラティフは2001年12月にパキスタン国内のアフガニスタンとの国境付近でパキスタン警察に捕えられた後、同月末に身柄を米国に引き渡され、2002年1月17日にグアンタナモに移送された。それ以降、彼の身柄はグアンタナモにあった。ここ数年、彼の精神的、身体的な健康状態は大変懸念されていた。

ラティフは2009年5月10日、人身保護請求担当の弁護士との面会中、自分の手首を切った。それまでも何度か自殺未遂を起こしていた。2010年3月、キャンプ5の独房から弁護士に宛てた手紙には、現在の状況は「生きているより死んだ方がマシだ」と書いた。

2011年10月25日の弁護士との面会では、慢性的な腰痛を患っていると話し、頭痛、胸焼け、のどの痛みを訴えた。1994年にイエメンで自動車事故に遭って以来、左耳が聞こえなくなり、何年も補聴器を待っていた。

■無視され続けた本人の訴え

地方裁判所の判事は2010年6月、人身保護請求の是非に関する公聴会を開いた(公聴会の請求は2004年)。ラティフが身柄を拘束されてから8年半後、また最高裁判所が、被収容者は連邦裁判所に拘禁に対して異議申し立てをすることができるという判決を下した2年後のことだ。

ラティフは、「2001年のパキスタン旅行は、1994年の自動車事故での怪我を治療するためだった」と訴えた。2001年末、米国のカブール爆撃から逃れる前には、「治療でアフガニスタンを訪れていた」とも述べた。

米国は、彼がアルカイダの一員としてアフガニスタンに行き、訓練をうけ、タリバン側で戦闘に加わったと主張した。地方裁判所のヘンリー・ケネディ判事は2010年7月、米国はその主張を「優位な証拠」をもって証明できなかったとし、収容は不当だという判決を下した。担当したケネディ判事の判決文から、2004年時点でラティフは「戦闘員・テロリスト養成訓練に参加していないと思われる」と国防総省が判断していたことが明らかになった。国防総省は2007年に、ラティフをグアンタナモから移動するように、との勧告もしていた。

オバマ政権は控訴した。裁判の焦点は、ケネディ判事が収容の根拠とするには信頼性に欠けるとしたある機密諜報報告書にかかってきた。政府は、判事がラティフの供述には信頼性がないことを判断できず、またこの諜報報告書が信用できないとの判断は誤りである、と主張した。賛否の分かれた控訴院は2011年10月14日、2対1で政府の主張を支持する判決を下し、ケネディ判事の命令を破棄した。ラティフが身柄を拘束されてからおおよそ10年がたっていた。

過半数の判事が「グアンタナモの人身保護手続きにおいて、そうでないと証明されない限り行政の行為が正しいという推定は、諜報報告書など政府の公式記録にもあてはまる」という判断を下した。異議を唱えた判事は、「新たな推定を課す」ことによって「目標を変えてしまった」、と2人の同僚判事を非難した。「政府の主張はすべて真実だということと同じほど危険だ」と訴えた。

判事は、問題の諜報報告書は「不透明な戦争な中、知るよしもない内密の方法で作成された」ものであり、「緊張と混乱の中、通訳者のフィルタをかけられ、書き起こす際の間違いも起こり得る状況で、国家の安全保障のために大きく編集された」ものであると述べた。

■11年にもおよぶ独房拘禁

ラティフ は控訴院の判決から11日後、面会した弁護士に「私は死の囚人だ」と話した。弁護士が米国最高裁にラティフのケースを見直すよう控訴したが、今年6月11日にコメントもなしに棄却された。

弁護士によるとアドナン・ラティフは、11年の拘禁期間のほとんどを独房に入れられ、患っていた疾患の適切な治療も受けることはなかった。

弁護士に宛てた2010年3月の手紙では、グアンタナモの即応部隊(IRF)から繰り返し虐待を受けたと訴え、また次のように書かれていた。「即応部隊チームは定期的に独房にやってきました。彼らは私を投げ飛ばし、床の上で引きずり回しました。(中略)この手紙を書く2日前には、即応部隊のチームが私を押さえつけ、耳の後ろを強く圧迫した。それで1時間以上意識を失いました」。当時の生活状況について「死んだ方がマシな状態です。(中略)人生、睡眠、休息の味わいなどありません」とも記していた。

ラティフは、極悪なキャンプの状態に対してハンストなどの抗議活動に参加していた。今年5月に弁護士が面会した時は、ハンストを再開したばかりだった。体はとても弱っていて、「死が近いと思っています。望みは完全に捨てました」と話した。国防総省は、彼がハンストを6月に止めたと発表していた。

アムネスティは、グアンタナモで死亡した人たちの家族が賠償を含む法的な救済を得られるよう、繰り返し要求する。これは、米国に身柄を拘束された期間、親族が受けた人権侵害に対する補償であり、これには恣意的な拘禁、強制失踪、拷問などの残忍・非人道的、屈辱的な扱いや罰も含まれる。

アムネスティは、グアンタナモにいまだ拘禁されている被収容者が独立した法廷で公平な裁判を受けるか、さもなければ彼らを釈放するよう、引き続き米国政府に対し、要求する。

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https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/syria_20120608.html

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