3つの小分子化合物を用いてヒトiPS細胞の分化能力を促進する基盤技術を開発
[17/10/27]
提供元:PRTIMES
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-病態モデルにおける分化成熟・老化を促進、iPS細胞株選別を不要に-
このたび、慶應義塾大学医学部生理学教室の岡野栄之教授、順天堂大学大学院医学研究科ゲノム・再生医療センターの赤松和土特任教授らの共同研究チームは、ヒト多能性幹細胞に3つの小分子化合物を加えて、その分化能力を促進する基盤技術を開発しました。
本研究成果は2017年10月26日正午(米国東部時間)に、国際幹細胞学会(ISSCR)の公式ジャーナルである「Stem Cell Reports」のオンライン版に掲載されました。
1.研究の背景と概要
多能性幹細胞(ES細胞・iPS細胞)は、体のあらゆる組織や細胞に分化可能な多能性を持った細胞株であり、再生医療や病態研究など幅広い活用が期待されています。このような応用を実現化するためには、目的とする細胞種・組織へと迅速かつ高効率に分化誘導する技術の確立が必要不可欠です。しかしながら、ヒト多能性幹細胞、とくにiPS細胞は、培養皿中での分化誘導速度が比較的ゆっくりであることに加え、たとえ同じドナーから作製した細胞株であっても、細胞株ごとの分化効率にばらつきがあるという性質を有しています。
多くの種類の細胞では、多能性幹細胞からの分化過程の第一歩として、さまざまな種類の細胞を含む胚様体(EB)(注2)と呼ばれる浮遊構造物(3次元培養)を形成させます。そこから目的の細胞種に最適な培養方法を用いることによって目的の細胞を得るという方法が広く使われています。
しかし、この方法の難点は、多能性幹細胞の分化のばらつきによって、細胞株によっては目的の細胞を生み出す「もと」となる細胞が少ないために、それ以降、分化・誘導等培養が成功しないケースが多く認められていました。このため、さまざまな種類の細胞に分化誘導をする際に、細胞株によって目的の細胞に効率よく分化しないことがあり、また、分化誘導に数十日以上と非常に長い時間がかかることが、研究の効率を大きく低下させていました。さらに、特に新しく体細胞(血液や皮膚の細胞など)からiPS細胞を樹立する際には、分化のしやすさが異なるそれぞれの株の中から目的とする細胞・組織に分化しやすい細胞株を事前に選別する必要があり、たとえ選別された細胞株を用いたとしても目的細胞・組織へと誘導するには極めて多大な労力と長時間を要することがあるという点に問題がありました。
2.研究の成果と意義
今回、共同研究チームは、未分化状態のヒト多能性幹細胞にさまざまな小分子化合物を作用させ検討した結果、未分化維持機構に関与するシグナルを調節する3つの小分子(SB431542・Dorsomorphin・CHIR99021)を5日間培地に添加すると、ヒト多能性幹細胞が培養条件を整えるフィーダー細胞の上で平面的に分化が促進された状態(2次元培養)へと、ごく短期間で誘導されることを発見しました。これら3つの小分子化合物を用いて誘導された多能性幹細胞の状態を“Chemically Transitional EB-like State; CTraS(シトラス)”と定義し、CTraS誘導を経た細胞は、化合物の添加を終えた後も目的細胞への分化効率・速度ともに大きく上昇することを見いだしました(図1)。
[画像1: https://prtimes.jp/i/21495/40/resize/d21495-40-102100-1.jpg ]
さらに、神経変性疾患(家族性ALS、家族性パーキンソン病)患者由来のiPS細胞株を用いて、CTraSを介し神経細胞へと誘導したところ、単に神経細胞への分化成熟が促されているだけでなく、神経変性疾患モデルにおける老化に伴って起きる病態発現も、従来の方法に比して短期間で再現できることが明らかとなりました。
一方で、CTraSを介した細胞は、神経系に分化しにくい株であっても高効率に目的の細胞に分化するため、iPS細胞を用いた疾患モデルで、これまで多大な労力・時間を要していた厳正な細胞株選別が不要になり、大きく研究効率が上昇しました(図2)。
[画像2: https://prtimes.jp/i/21495/40/resize/d21495-40-379337-0.jpg ]
3.今後の展開
本研究では神経系への分化誘導を中心に解析が行われましたが、CTraSを経た細胞の分化促進は、神経系だけでなく他の細胞系譜にも応用が可能であるため、他の細胞系譜であってもすでに確立されている既存の分化誘導技術と組み合わせて、活用することが可能であると考えられます。本技術による疾患特異的iPS細胞研究における目的細胞への分化誘導期間の短縮と分化効率の上昇は、iPS細胞を用いた病態研究・創薬スクリーニングの効率を大きく上昇させることが期待できます。一方で、多能性幹細胞を用いた再生医療において、移植細胞に分化抵抗性細胞が未分化なままの状態で混入することにより、移植後に腫瘍形成がおきる危険性がありますが、ヒト多能性幹細胞由来の分化細胞の誘導効率を上昇させることにより、この分化抵抗性細胞に由来した腫瘍形成を抑えることが期待されます。
CTraSを介した分化誘導技術の開発は、多能性幹細胞を用いた疾患研究の研究効率の上昇と移植医療における安全性の向上を実現する基盤技術としての活用が期待されます。
4.特記事項
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の再生医療の産業化に向けた評価基盤技術開発事業「再生医療の産業化に向けた細胞製造・加工システムの開発」、再生医療実用化研究事業「精神・神経疾患特異的iPS細胞を用いた創薬研究」、再生医療実現拠点ネットワークプログラム「疾患特異的iPS細胞を活用した難病研究」、JSPS科研費JP16K09677、JP16J06437、慶應義塾大学 医学部研究奨励費、博士課程学生研究支援プログラムの支援を受けて行われました。
5.論文
タイトル:Escape from Pluripotency via Inhibition of TGF-β/BMP and Activation of
Wnt Signaling Accelerates Differentiation and Aging in hPSC Progeny Cells
日本語訳:TGF-β/BMPシグナル阻害とWntシグナル活性化を介した多能性保持機構からの脱出は、ヒト多能性幹細胞由来モデルにおける分化成熟・老化を加速させる
著者名:藤森康希、松本拓也、木佐文彦、服部信孝、岡野栄之、赤松和土
掲載誌:「Stem Cell Reports」オンライン版
【用語解説】
(注1)人工多能性幹細胞(iPS 細胞)(Induced pluripotent stem cell:iPS cell):2006 年に、京都大学の山中伸弥教授らのグループによって世界で初めて作成された細胞のことで、2007 年にヒトでも同様の細胞が作製されました。この細胞は、皮膚組織などの体細胞に Oct4, Sox2, Klf4, c-Mycといった転写因子を導入することで作成され、体のあらゆる組織や細胞に分化可能な多能性を獲得します。この技術は、ヒトの細胞を用いた研究が困難であった分野に新たな研究手法を生み出しました。また、拒絶反応のない移植細胞として利用することもでき、再生医療の分野では大きく注目されています。
(注2)胚様体(Embryoid body:EB):多能性幹細胞を浮遊状態で培養を続けると、球状の細胞塊を形成し、様々な細胞間の相互作用がおき、胚発生初期にみられる3胚葉(内胚葉、中胚葉、外胚葉)への分化が誘導されます。この細胞塊を胚様体といいます。胚様体には各成熟細胞や組織の基になる未成熟な細胞が豊富に混在していることから、多能性幹細胞を用いた分化誘導研究の基礎的な手法として頻繁に使用されています。
このたび、慶應義塾大学医学部生理学教室の岡野栄之教授、順天堂大学大学院医学研究科ゲノム・再生医療センターの赤松和土特任教授らの共同研究チームは、ヒト多能性幹細胞に3つの小分子化合物を加えて、その分化能力を促進する基盤技術を開発しました。
本研究成果は2017年10月26日正午(米国東部時間)に、国際幹細胞学会(ISSCR)の公式ジャーナルである「Stem Cell Reports」のオンライン版に掲載されました。
1.研究の背景と概要
多能性幹細胞(ES細胞・iPS細胞)は、体のあらゆる組織や細胞に分化可能な多能性を持った細胞株であり、再生医療や病態研究など幅広い活用が期待されています。このような応用を実現化するためには、目的とする細胞種・組織へと迅速かつ高効率に分化誘導する技術の確立が必要不可欠です。しかしながら、ヒト多能性幹細胞、とくにiPS細胞は、培養皿中での分化誘導速度が比較的ゆっくりであることに加え、たとえ同じドナーから作製した細胞株であっても、細胞株ごとの分化効率にばらつきがあるという性質を有しています。
多くの種類の細胞では、多能性幹細胞からの分化過程の第一歩として、さまざまな種類の細胞を含む胚様体(EB)(注2)と呼ばれる浮遊構造物(3次元培養)を形成させます。そこから目的の細胞種に最適な培養方法を用いることによって目的の細胞を得るという方法が広く使われています。
しかし、この方法の難点は、多能性幹細胞の分化のばらつきによって、細胞株によっては目的の細胞を生み出す「もと」となる細胞が少ないために、それ以降、分化・誘導等培養が成功しないケースが多く認められていました。このため、さまざまな種類の細胞に分化誘導をする際に、細胞株によって目的の細胞に効率よく分化しないことがあり、また、分化誘導に数十日以上と非常に長い時間がかかることが、研究の効率を大きく低下させていました。さらに、特に新しく体細胞(血液や皮膚の細胞など)からiPS細胞を樹立する際には、分化のしやすさが異なるそれぞれの株の中から目的とする細胞・組織に分化しやすい細胞株を事前に選別する必要があり、たとえ選別された細胞株を用いたとしても目的細胞・組織へと誘導するには極めて多大な労力と長時間を要することがあるという点に問題がありました。
2.研究の成果と意義
今回、共同研究チームは、未分化状態のヒト多能性幹細胞にさまざまな小分子化合物を作用させ検討した結果、未分化維持機構に関与するシグナルを調節する3つの小分子(SB431542・Dorsomorphin・CHIR99021)を5日間培地に添加すると、ヒト多能性幹細胞が培養条件を整えるフィーダー細胞の上で平面的に分化が促進された状態(2次元培養)へと、ごく短期間で誘導されることを発見しました。これら3つの小分子化合物を用いて誘導された多能性幹細胞の状態を“Chemically Transitional EB-like State; CTraS(シトラス)”と定義し、CTraS誘導を経た細胞は、化合物の添加を終えた後も目的細胞への分化効率・速度ともに大きく上昇することを見いだしました(図1)。
[画像1: https://prtimes.jp/i/21495/40/resize/d21495-40-102100-1.jpg ]
さらに、神経変性疾患(家族性ALS、家族性パーキンソン病)患者由来のiPS細胞株を用いて、CTraSを介し神経細胞へと誘導したところ、単に神経細胞への分化成熟が促されているだけでなく、神経変性疾患モデルにおける老化に伴って起きる病態発現も、従来の方法に比して短期間で再現できることが明らかとなりました。
一方で、CTraSを介した細胞は、神経系に分化しにくい株であっても高効率に目的の細胞に分化するため、iPS細胞を用いた疾患モデルで、これまで多大な労力・時間を要していた厳正な細胞株選別が不要になり、大きく研究効率が上昇しました(図2)。
[画像2: https://prtimes.jp/i/21495/40/resize/d21495-40-379337-0.jpg ]
3.今後の展開
本研究では神経系への分化誘導を中心に解析が行われましたが、CTraSを経た細胞の分化促進は、神経系だけでなく他の細胞系譜にも応用が可能であるため、他の細胞系譜であってもすでに確立されている既存の分化誘導技術と組み合わせて、活用することが可能であると考えられます。本技術による疾患特異的iPS細胞研究における目的細胞への分化誘導期間の短縮と分化効率の上昇は、iPS細胞を用いた病態研究・創薬スクリーニングの効率を大きく上昇させることが期待できます。一方で、多能性幹細胞を用いた再生医療において、移植細胞に分化抵抗性細胞が未分化なままの状態で混入することにより、移植後に腫瘍形成がおきる危険性がありますが、ヒト多能性幹細胞由来の分化細胞の誘導効率を上昇させることにより、この分化抵抗性細胞に由来した腫瘍形成を抑えることが期待されます。
CTraSを介した分化誘導技術の開発は、多能性幹細胞を用いた疾患研究の研究効率の上昇と移植医療における安全性の向上を実現する基盤技術としての活用が期待されます。
4.特記事項
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の再生医療の産業化に向けた評価基盤技術開発事業「再生医療の産業化に向けた細胞製造・加工システムの開発」、再生医療実用化研究事業「精神・神経疾患特異的iPS細胞を用いた創薬研究」、再生医療実現拠点ネットワークプログラム「疾患特異的iPS細胞を活用した難病研究」、JSPS科研費JP16K09677、JP16J06437、慶應義塾大学 医学部研究奨励費、博士課程学生研究支援プログラムの支援を受けて行われました。
5.論文
タイトル:Escape from Pluripotency via Inhibition of TGF-β/BMP and Activation of
Wnt Signaling Accelerates Differentiation and Aging in hPSC Progeny Cells
日本語訳:TGF-β/BMPシグナル阻害とWntシグナル活性化を介した多能性保持機構からの脱出は、ヒト多能性幹細胞由来モデルにおける分化成熟・老化を加速させる
著者名:藤森康希、松本拓也、木佐文彦、服部信孝、岡野栄之、赤松和土
掲載誌:「Stem Cell Reports」オンライン版
【用語解説】
(注1)人工多能性幹細胞(iPS 細胞)(Induced pluripotent stem cell:iPS cell):2006 年に、京都大学の山中伸弥教授らのグループによって世界で初めて作成された細胞のことで、2007 年にヒトでも同様の細胞が作製されました。この細胞は、皮膚組織などの体細胞に Oct4, Sox2, Klf4, c-Mycといった転写因子を導入することで作成され、体のあらゆる組織や細胞に分化可能な多能性を獲得します。この技術は、ヒトの細胞を用いた研究が困難であった分野に新たな研究手法を生み出しました。また、拒絶反応のない移植細胞として利用することもでき、再生医療の分野では大きく注目されています。
(注2)胚様体(Embryoid body:EB):多能性幹細胞を浮遊状態で培養を続けると、球状の細胞塊を形成し、様々な細胞間の相互作用がおき、胚発生初期にみられる3胚葉(内胚葉、中胚葉、外胚葉)への分化が誘導されます。この細胞塊を胚様体といいます。胚様体には各成熟細胞や組織の基になる未成熟な細胞が豊富に混在していることから、多能性幹細胞を用いた分化誘導研究の基礎的な手法として頻繁に使用されています。