氷点下の携帯電話通信圏外でも精度高く選手を追跡し、大会の安全向上! 「Tokyo100 Endurance Trail」が「ココヘリ」導入
[24/12/19]
提供元:PRTIMES
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山や海での行方不明者の位置を特定する捜索サービス「ココヘリ」を運営するAUTHENTIC JAPAN株式会社(本社:福岡市中央区、代表取締役社長:久我 一総)は、2024年11月23日(土)、24(日)に開催された「Tokyo100 Endurance Trail」(主催:合同会社Tokyo100、後援:青梅市・奥多摩町)に運営協力しました。
Tokyo100は、青梅市・奥多摩町・檜原村の山々を、総距離101kmを30時間の制限時間で走破する山岳レースです。獲得標高7007m、夜間の気温は氷点下まで下がるという、参加選手だけでなく身につける安全対策機器にとっても過酷な環境で行われるレースとして知られています。今大会は合計100名以上のランナーが参加しました。
今大会では、安全対策の一環としてココヘリが採用されました。決め手は通信エリア、そしてタフな環境でも安定的に稼働する耐久性の2点でした。コース内では、一般的な携帯電話の通信が圏外となるエリアが複数あります。ココヘリの採用するELTRES通信では、高い精度で選手の現在位置と移動状況をトラッキングできます。またココヘリは夜間の低温環境下でも安定稼働し、バッテリーもレースの制限時間を超える30時間以上、保持できることが確認できました。
結果として、選手の状況を位置情報の履歴から詳細に把握できるようになりました。このことから、例年以上に安心・安全な運営が実現しました。
[画像1: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/39904/69/39904-69-11aeea4429cf48ec2f228892df2da63c-695x461.png?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
GPS情報で選手の詳細位置を把握
主催者コメント
お陰様で天候にも恵まれ、大きな事故もなく無事に大会を終えることができました。
GPSの軌跡機能については非常に素晴らしいと感じました。携帯の圏外エリアでも精度よくデータを取得しており、高精度を実感しました。
ココヘリは軌跡データもあるため、例えば、往復区間での移動方向の特定など、直前の行動範囲が把握しやすいです。
また、バッテリーの持ちについても、夜間の氷点下という厳しい条件下でも30時間問題なく稼働しており、非常に優秀でした。
素晴らしいシステムだと思います。大会でも活用したいと思います。
[画像2: https://prcdn.freetls.fastly.net/release_image/39904/69/39904-69-a9003ab8bc28c6ddbb999c4efd30be68-368x472.jpg?width=536&quality=85%2C75&format=jpeg&auto=webp&fit=bounds&bg-color=fff ]
主催事務局 合同会社Tokyo100 小池透馬様
大会概要
名称:Tokyo100 Endurance Trail
日時:2024年11月23日(土)、24(日)
場所:東京都青梅市・奥多摩町・檜原村
主催:合同会社Tokyo100
後援:青梅市 奥多摩町
URL:https://www.tokyo100.info/
AUTHENTIC JAPAN 会社概要
AUTHENTIC JAPAN株式会社
代表取締役社長:久我 一総
本社:福岡県福岡市中央区赤坂1-6-15-4F
URL:https://www.authjapan.com/
事業内容:山岳捜索サービス「ココヘリ」などの展開
「ココヘリ」とは
「ココヘリ」は会員に専用の電波を発信する発信機を貸与し、山岳遭難時に受信機を持った民間提携ヘリコプターを始めドローンや民間地上捜索隊を出動させ、発信機と受信機の「直接通信」を用いて登山者の位置を特定することで、捜索時間を大幅に短縮できるサービスです。
遭難が発生するような山岳地帯ではスマートフォンの電波が届かないことが珍しくありません。ですが、「ココヘリ」は携帯電話の通信網に頼らない「直接通信」なので、山岳地帯での迅速な捜索が可能となります。こうした「命を守る」ことへの高い性能が登山家に強く支持され、会員数は17万人を超えるまでに達しています。
代表取締役 久我 一総の略歴
1978年、福岡県福岡市生まれ。西南学院大学文学部外国語学科英語専攻卒業。2002年パナソニックシステムネットワークスに入社し、SCM部門の責任者としてイギリスの子会社へ出向。10年後に帰国し、商品企画部門へ異動。2011年にAUTHENTIC JAPANを立ち上げ、退職。現在に至る。