アステイオンの創刊30周年を記念する『アステイオン創刊30周年ベスト論文選 1986-2016 冷戦後の世界と平成』が発売!
[17/11/22]
提供元:PRTIMES
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鋭く感じ、柔らかく考える『アステイオン』。その創刊30周年を記念する「ベスト論文選」が発売となりました。
日本を代表する論者たちは冷戦後の世界と平成日本をどのように見て、どのように論じてきたのか。
時代と社会がさらに複雑化し、羅針盤が見えなくなる今こそ、先人たちが残した『アステイオン』での議論と歴史に学ぶべきヒントがあります。
[画像: https://prtimes.jp/i/11369/105/resize/d11369-105-831356-0.jpg ]
日本を代表する論者たちは冷戦後の世界と平成日本をどのように見て、どのように論じてきたのか。
世界では冷戦、国内では昭和の終焉を迎えつつあった1986年に創刊された論壇誌『アステイオン』。冷戦後の世界情勢の変化によって日本の国際的地位・役割が変わり、国内でもバブル経済崩壊によって産業や雇用・労働問題、そして少子高齢化問題から労働力、年金問題など「先進国病」を世界で一番はじめに経験した。平成日本は社会と構造に大変革を求められた時代でもあった。
一歩引いたスタンスで長期的な視野をもって議論する場を提供してきた『アステイオン』は、激動の平成、そして世界における日本の役割をどのように論じてきたのか。時代と社会がさらに複雑化し、羅針盤が見えなくなる今こそ、先人たちが残した『アステイオン』での議論と歴史に学べるヒントがある。
目次
<第I巻 政治・経済 国際編>
高坂正堯 粗野な正義感と力の時代
岡崎久彦 イスラムの友から
永井陽之助 脱工業化イデオロギーの終焉
中西輝政 イギリスの知恵と「悪知恵」
猪木武徳 アメリカの底力を探る――文明衰亡史観を排す
山内昌之 ホメイニーとゴルバチョフ――イスラム革命とソ連
入江 昭 国家史から国際史へ
ダニエル・ベル 知識人の決闘――サルトルとアロン
ラルフ・ダーレンドルフ ?「一九八九年革命」の宴のあとで
北岡伸一+竹中平蔵+三浦雅士 涙の谷をこえて――東欧の「ヨーロッパ」への回帰
長尾龍一 西洋的伝統?――その普遍性と限界
佐伯啓思 アメリカニズムの終焉――リベラリズムとデモクラシーの葛藤
猪木武徳 統合の夢を醒ますもの
青木 保 アジア・ジレンマ
富永健一 文化の多様性と二つの資本主義――ゲマインシャフト・キャピタリズムの提唱
山内昌之 イスラムとアメリカ――自由と民主主義をめぐる非対称
梶田孝道 現代ヨーロッパをどう読むか――「文化的多様性」をめぐって
福田和也 F・D・ルーズベルトの登場――アパシィに根ざした政治
佐藤誠三郎 文明の衝突か、相互学習か――冷戦後の世界秩序を展望して
松原隆一郎 ケインズ再考――20世紀経済の特質を考える
下斗米伸夫 逆説の現代史
猪木武徳 グローバリゼーションの逆説?――二一世紀の国家像を求めて
田中明彦 テロリズムとの戦い――「戦後思想」をいかに構築すべきか
酒井啓子 政権の反米、人々の反米――イラクとアラブ諸国の対米感情をめぐって
細谷雄一 アンビバレントな関係――英米関係の百年と歴史の教訓
川島 真 「共通敵」のない時代
白石 隆 東南アジアからみた中国の台頭
高原明生 中国の未来?――「平和的発展」は続くのか
久保文明 アメリカの政治家はどう育てられているか
鈴木 董 トルコのEU加盟?――EUにとっての一つの試金石
デーヴィッド・A・ウェルチ 「アメリカ帝国」に同盟は必要か
マーク・リラ ネオコンは終わったか
阿川尚之 最後にして最善の希望?
土屋大洋 帝国の磁力
待鳥聡史 イデオロギーと統治の間で
袴田茂樹 ?「砂社会」ロシアの復活
ヴォルフ・レペニース ? 「ヨーロッパ」は成立するか
田所昌幸+彦谷貴子 新千年紀の予感――ダニエル・ベル教授インタビュー
池内 恵 ? 「アラブの春」がもたらしたもの
ジョン・ダン 等身大の民主主義観
アレクサンダー・スティル 二極化するアメリカ
中西 寛 再臨、あるいは失われた可能性の時代
ピエール・グロセール 一九八九年に起きたことは何だったのか
池田明史 溶解する中東の国家、拡散する脅威
岡本隆司 清朝の崩潰と中国の近代化
<第II巻 政治・経済 国内編>
中谷 巌 責任国家・日本への選択
ズビグネフ・ブレジンスキー+高坂 正堯 日本はまだ「ひよわな花」か
ローレンス・クラウス ?「円」は新基軸通貨たりうるか
蠟山昌一 なぜ改めて「ライフサイクル計画」か
本間長世 ボーダーレスの経済とリーダーレスの政治
高坂正堯 プロローグ 一九二六?—?一九四五
曽根泰教 ポストモダンの選挙制度改革
猪木正道 政治家は軍事を、自衛隊は政治を
本間正明 転換期を迎えた日本型企業システム
諸井 薫 社有物の研究
野口悠紀雄+森口親司 平成不況の核心
横田洋三 「常任理事国」日本の条件
五百旗頭 真 新世界無秩序論をこえて――冷戦後の世界と日本
中谷 巌 米中が「閉鎖日本」をバイパスする可能性
五百旗頭 真 満州事変――「すでに出たものは仕方がなきにあらずや」
高坂正堯+山崎正和 「脱亜入欧」から「脱亜入洋」の時代へ
島田晴雄 日本型経済システムは21世紀も有効か
竹中平蔵 日本はアジア太平洋時代の「接着剤(グリュー)」となれ――後退的思考を打破する時
高坂正堯 安全保障感覚の欠如――日本に自分の運命は自分の責任だという意識はあるか
久米郁男 二大政党制という妖怪
御厨 貴 官僚制の生理と病理――薬害エイズとオウム教団
川勝平太 明治六年の政変――?明治百年の大計の誤算
伊藤元重 市場化は改革か破壊か――日本の構造改革と市場化の論理
青木 保+佐伯啓思+五百旗頭 真 アジアの日本・日本のアジア
森口親司 どこへ行く日本経済――2極化を超えて
三谷 博 明治維新における「王政」と「公議」――横井小楠と大久保利通を手がかりに
北岡伸一 国家の弁証――二一世紀日本の国家と政治
橘木俊詔 格差の拡大と機会平等の欠如――今の日本で起こっていること
田所昌幸 戦後日本の憲法体制の変容と展望
嶋津 格 憲法を考える前に――法の権威はどこから生じるか
添谷芳秀 日本からみた米中関係
中西 寛 人類史の転換点――世界の将来像と日本の課題
筒井清忠 日本では政治家はなぜ育たないのか
三谷太一郎 政党政治はなぜ、いかに生まれたか――英米および日本について
山室信一 ?「市民」育成へのまなざし
井堀利宏 日本財政の現状と課題
苅部 直 「大正百年」としての現在――知識人と「社会」
田所昌幸 心地よい停滞の中の不安
中西 寛 日本人にとっての「市民」
小林傳司 ? 「国民的議論」とは何だったのか――原発をめぐる市民参加のあり方
空井 護 現代民主政1・5――熟議と無意識の間
牧原 出 アマチュアリズムの政治と科学――日本野鳥の会の戦中・戦後史
遠藤晶久+ウィリー・ジョウ 若者にとっての「保守」と「革新」――世代で異なる政党間対立
宇野重規 鈍牛・哲人宰相と知識人たち――大平総理の政策研究会をめぐって
<第III巻 日本論・日本文化論>
司馬遼太郎 浄土――日本的思想の鍵
目黒依子 「国際婦人年」という黒船
渡辺 保 井伊兄弟の幕末?――幻想の黒船人質
佐伯順子 芸者と富士山――外国人の見た日本文化の深層
佐佐木幸綱 近代・西欧・「さびし」の伝統――?留学後の斎藤茂吉
半藤一利 陛下ご自身による「天皇論」
河合隼雄 日本神話にみる意思決定
山崎正和 ?「インテリ」の盛衰――?昭和の知的社会
白幡洋三郎 日本人にとっての「暮しよさ」とは――文化に表れる社会資本
五味文彦 武士の変容
梅棹忠夫 日本はアジアではない――クラシック・コンチネンタルズから距離をおいて
平川?弘 勤労の倫理の系譜――二宮尊徳からスマイルズへ
大宅映子 失われた“個育て”の機能
石川九楊 ?「二重言語国家」日本――日本文化への一試論
坂本多加雄 近代日本の時間体験――「歴史の終焉」を生きるとは
粕谷一希 戦後日本とは何であったか――ジャーナリズムの視点から
森まゆみ ?“明るい東北”のお地蔵様――結城登美雄の町めぐり
橋爪大三郎 めざせ選択・責任・連帯の教育改革
苅谷剛彦 教育改革という見果てぬ夢
玄田有史 ?「即戦力」の幻想
高階秀爾 余白の美学
芳賀 徹 ?「君と住む家」――美智子皇后御歌集『瀬音』
川本三郎 ?「聖林(ハリウッド)」に酔った日本人
渡辺 靖 クール・ジャパンの繁栄と不安
與那覇 潤 ふたつの「中国化論」――江藤淳と山本七平
四方田犬彦 ? 「日本料理」への懐疑
藤森照信 オリンピックと建築家
三橋順子 歴史の中の多様な「性」
<第IV巻 思想・文学・社会>
ダニエル・ベル+山崎正和 20世紀末の危機と希望?――「市民社会(シヴィル・ソサエティ)」の復権
伊丹敬之 文明を輸出するとき
村上泰亮 世紀末文明の現象学
山崎正和 日本文化の世界性?――柔らかい個人主義の系譜
富永健一 情報の氾濫と知識の貧困――「情報」社会は「知識」社会たりうるか
ソール・ベロー+ハーバート・パッシン 二十一世紀に文学は生き残るか?
井上達夫 言論、戦争、そして責任
鷲田清一 エロティックな都市?
渡辺 裕 「文化国家」の裏と表
坂本多加雄 日本はみずからの来歴を語りうるか――「世界史の哲学」とその遺産
養老孟司 臨床諸学の提唱
三浦雅士 身体としてのヨーロッパ
上陽一郎 強いメッセージとしての普遍主義
岩井克人+三浦雅士 事故の連続としての歴史
公文俊平 望ましい情報社会の姿とは
鷲田清一 私的なものの場所
西部 邁 メディア、大衆、そして知識人
西垣 通 退屈に耐える精神的成熟
筒井清忠 ?「新しい教養」へのヒント
加藤秀俊 ? 「公」と「私」のあいだ
大澤真幸 自由の牢獄?――リベラリズムを超えて
パール・K・ベル 世界の小説を読む?――最新の話題作、問題作から
河合隼雄 現代人と宗教?—?無宗教としての宗教
東 浩紀 ポストモダン再考
盛山和夫 規範はいかに語られうるか――自明世界の亀裂と学知
中島秀人 科学論再考?—?現代社会における科学と平等
奥本大三郎 花の夢
山極寿一 共感の由来と未来
張 競 魂の幸福を語り合うこと
金森 修 3・11の科学思想史的含意
森本あんり 幸福を追求するアメリカ人――反知性主義と宗教
トマーシュ・ユルコヴィッチ 母語は世界言語によって磨かれる――あるチェコ語話者の回想
佐藤卓己 「報道の自由度ランキング」への違和感
<総目次>
総目次
アステイオン・グラヴィア
山崎正和+苅部 直 特別企画インタビュー「鋭く感じ、柔らかく考えてきた三十年」
特別企画 「アステイオン三十年を振り返る」
田所昌幸 世界の思潮の把握と日本からの知的発信の試み
池内 恵 「ポスト冷戦期」を見届けた後
苅部 直 根源的な思考と時代の省察
張 競 技術至上の現代になぜ文学芸術が大切か
細谷雄一 歴史の教養と外交の叡智、冷戦後世界を見通す三人の歴史家
待鳥聡史 日本政治論の不在から、自律した政治学に基づく発信へ
日本を代表する論者たちは冷戦後の世界と平成日本をどのように見て、どのように論じてきたのか。
時代と社会がさらに複雑化し、羅針盤が見えなくなる今こそ、先人たちが残した『アステイオン』での議論と歴史に学ぶべきヒントがあります。
[画像: https://prtimes.jp/i/11369/105/resize/d11369-105-831356-0.jpg ]
日本を代表する論者たちは冷戦後の世界と平成日本をどのように見て、どのように論じてきたのか。
世界では冷戦、国内では昭和の終焉を迎えつつあった1986年に創刊された論壇誌『アステイオン』。冷戦後の世界情勢の変化によって日本の国際的地位・役割が変わり、国内でもバブル経済崩壊によって産業や雇用・労働問題、そして少子高齢化問題から労働力、年金問題など「先進国病」を世界で一番はじめに経験した。平成日本は社会と構造に大変革を求められた時代でもあった。
一歩引いたスタンスで長期的な視野をもって議論する場を提供してきた『アステイオン』は、激動の平成、そして世界における日本の役割をどのように論じてきたのか。時代と社会がさらに複雑化し、羅針盤が見えなくなる今こそ、先人たちが残した『アステイオン』での議論と歴史に学べるヒントがある。
目次
<第I巻 政治・経済 国際編>
高坂正堯 粗野な正義感と力の時代
岡崎久彦 イスラムの友から
永井陽之助 脱工業化イデオロギーの終焉
中西輝政 イギリスの知恵と「悪知恵」
猪木武徳 アメリカの底力を探る――文明衰亡史観を排す
山内昌之 ホメイニーとゴルバチョフ――イスラム革命とソ連
入江 昭 国家史から国際史へ
ダニエル・ベル 知識人の決闘――サルトルとアロン
ラルフ・ダーレンドルフ ?「一九八九年革命」の宴のあとで
北岡伸一+竹中平蔵+三浦雅士 涙の谷をこえて――東欧の「ヨーロッパ」への回帰
長尾龍一 西洋的伝統?――その普遍性と限界
佐伯啓思 アメリカニズムの終焉――リベラリズムとデモクラシーの葛藤
猪木武徳 統合の夢を醒ますもの
青木 保 アジア・ジレンマ
富永健一 文化の多様性と二つの資本主義――ゲマインシャフト・キャピタリズムの提唱
山内昌之 イスラムとアメリカ――自由と民主主義をめぐる非対称
梶田孝道 現代ヨーロッパをどう読むか――「文化的多様性」をめぐって
福田和也 F・D・ルーズベルトの登場――アパシィに根ざした政治
佐藤誠三郎 文明の衝突か、相互学習か――冷戦後の世界秩序を展望して
松原隆一郎 ケインズ再考――20世紀経済の特質を考える
下斗米伸夫 逆説の現代史
猪木武徳 グローバリゼーションの逆説?――二一世紀の国家像を求めて
田中明彦 テロリズムとの戦い――「戦後思想」をいかに構築すべきか
酒井啓子 政権の反米、人々の反米――イラクとアラブ諸国の対米感情をめぐって
細谷雄一 アンビバレントな関係――英米関係の百年と歴史の教訓
川島 真 「共通敵」のない時代
白石 隆 東南アジアからみた中国の台頭
高原明生 中国の未来?――「平和的発展」は続くのか
久保文明 アメリカの政治家はどう育てられているか
鈴木 董 トルコのEU加盟?――EUにとっての一つの試金石
デーヴィッド・A・ウェルチ 「アメリカ帝国」に同盟は必要か
マーク・リラ ネオコンは終わったか
阿川尚之 最後にして最善の希望?
土屋大洋 帝国の磁力
待鳥聡史 イデオロギーと統治の間で
袴田茂樹 ?「砂社会」ロシアの復活
ヴォルフ・レペニース ? 「ヨーロッパ」は成立するか
田所昌幸+彦谷貴子 新千年紀の予感――ダニエル・ベル教授インタビュー
池内 恵 ? 「アラブの春」がもたらしたもの
ジョン・ダン 等身大の民主主義観
アレクサンダー・スティル 二極化するアメリカ
中西 寛 再臨、あるいは失われた可能性の時代
ピエール・グロセール 一九八九年に起きたことは何だったのか
池田明史 溶解する中東の国家、拡散する脅威
岡本隆司 清朝の崩潰と中国の近代化
<第II巻 政治・経済 国内編>
中谷 巌 責任国家・日本への選択
ズビグネフ・ブレジンスキー+高坂 正堯 日本はまだ「ひよわな花」か
ローレンス・クラウス ?「円」は新基軸通貨たりうるか
蠟山昌一 なぜ改めて「ライフサイクル計画」か
本間長世 ボーダーレスの経済とリーダーレスの政治
高坂正堯 プロローグ 一九二六?—?一九四五
曽根泰教 ポストモダンの選挙制度改革
猪木正道 政治家は軍事を、自衛隊は政治を
本間正明 転換期を迎えた日本型企業システム
諸井 薫 社有物の研究
野口悠紀雄+森口親司 平成不況の核心
横田洋三 「常任理事国」日本の条件
五百旗頭 真 新世界無秩序論をこえて――冷戦後の世界と日本
中谷 巌 米中が「閉鎖日本」をバイパスする可能性
五百旗頭 真 満州事変――「すでに出たものは仕方がなきにあらずや」
高坂正堯+山崎正和 「脱亜入欧」から「脱亜入洋」の時代へ
島田晴雄 日本型経済システムは21世紀も有効か
竹中平蔵 日本はアジア太平洋時代の「接着剤(グリュー)」となれ――後退的思考を打破する時
高坂正堯 安全保障感覚の欠如――日本に自分の運命は自分の責任だという意識はあるか
久米郁男 二大政党制という妖怪
御厨 貴 官僚制の生理と病理――薬害エイズとオウム教団
川勝平太 明治六年の政変――?明治百年の大計の誤算
伊藤元重 市場化は改革か破壊か――日本の構造改革と市場化の論理
青木 保+佐伯啓思+五百旗頭 真 アジアの日本・日本のアジア
森口親司 どこへ行く日本経済――2極化を超えて
三谷 博 明治維新における「王政」と「公議」――横井小楠と大久保利通を手がかりに
北岡伸一 国家の弁証――二一世紀日本の国家と政治
橘木俊詔 格差の拡大と機会平等の欠如――今の日本で起こっていること
田所昌幸 戦後日本の憲法体制の変容と展望
嶋津 格 憲法を考える前に――法の権威はどこから生じるか
添谷芳秀 日本からみた米中関係
中西 寛 人類史の転換点――世界の将来像と日本の課題
筒井清忠 日本では政治家はなぜ育たないのか
三谷太一郎 政党政治はなぜ、いかに生まれたか――英米および日本について
山室信一 ?「市民」育成へのまなざし
井堀利宏 日本財政の現状と課題
苅部 直 「大正百年」としての現在――知識人と「社会」
田所昌幸 心地よい停滞の中の不安
中西 寛 日本人にとっての「市民」
小林傳司 ? 「国民的議論」とは何だったのか――原発をめぐる市民参加のあり方
空井 護 現代民主政1・5――熟議と無意識の間
牧原 出 アマチュアリズムの政治と科学――日本野鳥の会の戦中・戦後史
遠藤晶久+ウィリー・ジョウ 若者にとっての「保守」と「革新」――世代で異なる政党間対立
宇野重規 鈍牛・哲人宰相と知識人たち――大平総理の政策研究会をめぐって
<第III巻 日本論・日本文化論>
司馬遼太郎 浄土――日本的思想の鍵
目黒依子 「国際婦人年」という黒船
渡辺 保 井伊兄弟の幕末?――幻想の黒船人質
佐伯順子 芸者と富士山――外国人の見た日本文化の深層
佐佐木幸綱 近代・西欧・「さびし」の伝統――?留学後の斎藤茂吉
半藤一利 陛下ご自身による「天皇論」
河合隼雄 日本神話にみる意思決定
山崎正和 ?「インテリ」の盛衰――?昭和の知的社会
白幡洋三郎 日本人にとっての「暮しよさ」とは――文化に表れる社会資本
五味文彦 武士の変容
梅棹忠夫 日本はアジアではない――クラシック・コンチネンタルズから距離をおいて
平川?弘 勤労の倫理の系譜――二宮尊徳からスマイルズへ
大宅映子 失われた“個育て”の機能
石川九楊 ?「二重言語国家」日本――日本文化への一試論
坂本多加雄 近代日本の時間体験――「歴史の終焉」を生きるとは
粕谷一希 戦後日本とは何であったか――ジャーナリズムの視点から
森まゆみ ?“明るい東北”のお地蔵様――結城登美雄の町めぐり
橋爪大三郎 めざせ選択・責任・連帯の教育改革
苅谷剛彦 教育改革という見果てぬ夢
玄田有史 ?「即戦力」の幻想
高階秀爾 余白の美学
芳賀 徹 ?「君と住む家」――美智子皇后御歌集『瀬音』
川本三郎 ?「聖林(ハリウッド)」に酔った日本人
渡辺 靖 クール・ジャパンの繁栄と不安
與那覇 潤 ふたつの「中国化論」――江藤淳と山本七平
四方田犬彦 ? 「日本料理」への懐疑
藤森照信 オリンピックと建築家
三橋順子 歴史の中の多様な「性」
<第IV巻 思想・文学・社会>
ダニエル・ベル+山崎正和 20世紀末の危機と希望?――「市民社会(シヴィル・ソサエティ)」の復権
伊丹敬之 文明を輸出するとき
村上泰亮 世紀末文明の現象学
山崎正和 日本文化の世界性?――柔らかい個人主義の系譜
富永健一 情報の氾濫と知識の貧困――「情報」社会は「知識」社会たりうるか
ソール・ベロー+ハーバート・パッシン 二十一世紀に文学は生き残るか?
井上達夫 言論、戦争、そして責任
鷲田清一 エロティックな都市?
渡辺 裕 「文化国家」の裏と表
坂本多加雄 日本はみずからの来歴を語りうるか――「世界史の哲学」とその遺産
養老孟司 臨床諸学の提唱
三浦雅士 身体としてのヨーロッパ
上陽一郎 強いメッセージとしての普遍主義
岩井克人+三浦雅士 事故の連続としての歴史
公文俊平 望ましい情報社会の姿とは
鷲田清一 私的なものの場所
西部 邁 メディア、大衆、そして知識人
西垣 通 退屈に耐える精神的成熟
筒井清忠 ?「新しい教養」へのヒント
加藤秀俊 ? 「公」と「私」のあいだ
大澤真幸 自由の牢獄?――リベラリズムを超えて
パール・K・ベル 世界の小説を読む?――最新の話題作、問題作から
河合隼雄 現代人と宗教?—?無宗教としての宗教
東 浩紀 ポストモダン再考
盛山和夫 規範はいかに語られうるか――自明世界の亀裂と学知
中島秀人 科学論再考?—?現代社会における科学と平等
奥本大三郎 花の夢
山極寿一 共感の由来と未来
張 競 魂の幸福を語り合うこと
金森 修 3・11の科学思想史的含意
森本あんり 幸福を追求するアメリカ人――反知性主義と宗教
トマーシュ・ユルコヴィッチ 母語は世界言語によって磨かれる――あるチェコ語話者の回想
佐藤卓己 「報道の自由度ランキング」への違和感
<総目次>
総目次
アステイオン・グラヴィア
山崎正和+苅部 直 特別企画インタビュー「鋭く感じ、柔らかく考えてきた三十年」
特別企画 「アステイオン三十年を振り返る」
田所昌幸 世界の思潮の把握と日本からの知的発信の試み
池内 恵 「ポスト冷戦期」を見届けた後
苅部 直 根源的な思考と時代の省察
張 競 技術至上の現代になぜ文学芸術が大切か
細谷雄一 歴史の教養と外交の叡智、冷戦後世界を見通す三人の歴史家
待鳥聡史 日本政治論の不在から、自律した政治学に基づく発信へ