【名古屋タカシマヤ】『生誕120周年 杉原千畝展 〜命のビザに刻まれた想い〜』 を開催
[21/12/15]
提供元:PRTIMES
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■期間:12月23日(木)〜1月9日(日) ■場所:10階 特設会場 ■入場料:一般1,000円 他
岐阜県出身の杉原千畝の生誕120周年を記念し、千畝が発給したビザをはじめとする多彩な史料を一堂に展覧する「生誕120周年 杉原千畝展 〜命のビザに刻まれた想い〜」を開催いたします。
【主催】NHKサービスセンター/NPO杉原千畝命のビザ/中日新聞社
【協賛】アメリカ大使館、イスラエル大使館、オランダ王国大使館、カナダ大使館、ドイツ連邦共和国大使館、ポーランド広報文化センター、リトアニア共和国大使館、岐阜県、愛知県、愛知県教育委員会、名古屋市、 名古屋市教育委員会、早稲田大学文化推進部、瑞陵会、NHK名古屋放送局
【協力】外務省外交史料館 、八百津町・杉原千畝記念館、人道の港 敦賀ムゼウム、JTB
【共同制作】オーク
1939年、第二次世界大戦のさなか、杉原千畝は、リトアニアの日本領事館の領事代理として、家族とともにカウナスに赴任。迫害から逃れる多くのユダヤ人を含む難民に、本省の意向に背いて日本通貨のビザを発給することを決断します。
本展では、千畝が発給したビザの公開をはじめとする多彩な資料群により、活動の軌跡を一堂に展覧します。毅然とビザを発給し続けた杉原千畝の信念と、それを支えた協力者の存在、それによって繋がった多くの命の物語を伝えます。
千畝が発給したビザや貴重な家族写真などを展示
[画像1: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-e1dc88036e9c3cfd40c3-0.jpg ]
迫害から逃れる難民に発給した「命のビザ」
[画像2: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-c3c6dfe8143a2be9f975-5.jpg ]
[画像3: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-774e5139f4f3fd5b2f3d-7.png ]
幼少期やリトアニアでの貴重な家族写真
[画像4: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-cb327ffbdbb53802cbc9-4.jpg ]
[画像5: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-127e61cfb2497d036668-3.jpg ]
千畝が描かれた顕彰切手や、イスラエル政府より「ヤド・バシェム賞」受勲
[画像6: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-ebfb863dda0739bfa369-8.jpg ]
[画像7: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-8255c2ca3cf021d757f2-9.jpg ]
杉原ビザによって命を救われたギリンスキーさんの本展に寄せるメッセージの一部
会場では全メッセージをご覧頂けます。
[動画: https://www.youtube.com/watch?v=tZfaxUJhiXA ]
杉原千畝(すぎはらちうね)
1900年1月1日生。1912年愛知県立第五中学校(現、瑞陵高等学校)入学。1918年早稲田大学入学。翌年外務省留学生採用試験に合格し、ハルビンに留学。1932年満州国建国、同国外交部勤務。1937年フィンランド・ヘルシンキ公使館勤務。1939年リトアニア・カウナスの日本領事館へ。ユダヤ人難民にビザの発給を決断。
その後、プラハの日本総領事館、ケーニヒスベルク日本総領事館、ルーマニア・ブカレスト日本公使館に勤務。1947年外務省退官。1985年イスラエル政府より「ヤド・バシェム賞」受勲。
1986年7月31日没。
※画像はイメージです。
※価格は消費税を含む総額にて表示しております。
岐阜県出身の杉原千畝の生誕120周年を記念し、千畝が発給したビザをはじめとする多彩な史料を一堂に展覧する「生誕120周年 杉原千畝展 〜命のビザに刻まれた想い〜」を開催いたします。
【主催】NHKサービスセンター/NPO杉原千畝命のビザ/中日新聞社
【協賛】アメリカ大使館、イスラエル大使館、オランダ王国大使館、カナダ大使館、ドイツ連邦共和国大使館、ポーランド広報文化センター、リトアニア共和国大使館、岐阜県、愛知県、愛知県教育委員会、名古屋市、 名古屋市教育委員会、早稲田大学文化推進部、瑞陵会、NHK名古屋放送局
【協力】外務省外交史料館 、八百津町・杉原千畝記念館、人道の港 敦賀ムゼウム、JTB
【共同制作】オーク
1939年、第二次世界大戦のさなか、杉原千畝は、リトアニアの日本領事館の領事代理として、家族とともにカウナスに赴任。迫害から逃れる多くのユダヤ人を含む難民に、本省の意向に背いて日本通貨のビザを発給することを決断します。
本展では、千畝が発給したビザの公開をはじめとする多彩な資料群により、活動の軌跡を一堂に展覧します。毅然とビザを発給し続けた杉原千畝の信念と、それを支えた協力者の存在、それによって繋がった多くの命の物語を伝えます。
千畝が発給したビザや貴重な家族写真などを展示
[画像1: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-e1dc88036e9c3cfd40c3-0.jpg ]
迫害から逃れる難民に発給した「命のビザ」
[画像2: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-c3c6dfe8143a2be9f975-5.jpg ]
[画像3: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-774e5139f4f3fd5b2f3d-7.png ]
幼少期やリトアニアでの貴重な家族写真
[画像4: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-cb327ffbdbb53802cbc9-4.jpg ]
[画像5: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-127e61cfb2497d036668-3.jpg ]
千畝が描かれた顕彰切手や、イスラエル政府より「ヤド・バシェム賞」受勲
[画像6: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-ebfb863dda0739bfa369-8.jpg ]
[画像7: https://prtimes.jp/i/47031/114/resize/d47031-114-8255c2ca3cf021d757f2-9.jpg ]
杉原ビザによって命を救われたギリンスキーさんの本展に寄せるメッセージの一部
会場では全メッセージをご覧頂けます。
[動画: https://www.youtube.com/watch?v=tZfaxUJhiXA ]
杉原千畝(すぎはらちうね)
1900年1月1日生。1912年愛知県立第五中学校(現、瑞陵高等学校)入学。1918年早稲田大学入学。翌年外務省留学生採用試験に合格し、ハルビンに留学。1932年満州国建国、同国外交部勤務。1937年フィンランド・ヘルシンキ公使館勤務。1939年リトアニア・カウナスの日本領事館へ。ユダヤ人難民にビザの発給を決断。
その後、プラハの日本総領事館、ケーニヒスベルク日本総領事館、ルーマニア・ブカレスト日本公使館に勤務。1947年外務省退官。1985年イスラエル政府より「ヤド・バシェム賞」受勲。
1986年7月31日没。
※画像はイメージです。
※価格は消費税を含む総額にて表示しております。