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大反響のNHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」ディレクター・貴志謙介氏が描き出す「日本人が知らない〈占領都市TOKYO〉の本当の姿」とは!?

NHK出版

12月15日に台湾・台中市政堂で上映され、現地でも大きな反響を呼んだNHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」。同番組の書籍化『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』(NHK出版)の刊行を記念して行われた、著者・貴志謙介氏(元NHKディレクターのトークイベント(2018年9月9日、主催・Tokyo Little House、赤坂)から、ハイライトをお届けします。研究者も驚く貴重な証言や情報が盛り込まれた本書の濃厚な内容のエッセンスをお楽しみください。




[画像1: https://prtimes.jp/i/18219/125/resize/d18219-125-829155-6.jpg ]

本書は、CIA文書、GHQ検閲記録などの発掘資料を基に、1945年8月から翌年8月にいたる“空白の1年”を再構築したNHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」(2017年8月20日放送)の出版化です。

NHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」公式サイト 
http://www.nhk.or.jp/special/blackhole/
NHK出版 
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000817482018.html

戦後東京の都市空間を研究する早稲田大学・佐藤洋一氏を聞き手に迎え、番組の裏話から、東京の過去・現在・未来まで語り尽くした一夜。
焼野原となった占領都市TOKYOにいったい何が起きていたのか──。
これまで断片的にしか語られてこなかった戦後東京、そして戦後日本の原点を見渡す新しい地図が浮かびあがってきます。

■大反響! NHKスペシャル
「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」
はいかにして誕生したか


佐藤:書籍の元となったNHKスペシャル「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」。その番組制作のいきさつを改めて伺えればと思います。

貴志:「戦後ゼロ年」の前に、NHKスペシャル「新・映像の世紀」(2015年10月〜2016年3月放送)という全6回のシリーズのうち、2本のディレクターを務めました。その際、リサーチ段階からかなりの量のフィルムを収集しましたし、新たに機密資料の公開もあり、だいぶ下地ができていたのです。そのときは、冷戦時代の世界をテーマに1本制作したのですが(第4回「冷戦・世界は秘密と嘘に覆われた」)、集めた資料の中に日本のものも相当数ありました。

日本が戦争に負けて、その後、冷戦時代が始まるわけですけれども、収集した「海外の映像記録の中の日本」というものに改めて目を向けますと、これまでNHKなどで毎年のように放送している戦争に関する番組とか、敗戦直後の日本を取り上げた番組での描かれ方と、異なる点があるのではと思えたわけです。

「新・映像の世紀」は、ベトナム戦争・アフガン戦争・キューバ危機などが中心で、日本についての映像はほとんど紹介しなかったのですが、新しい映像を発掘する番組リサーチチームも非常に優れていましたし、ぜひ、日本をテーマに番組制作を行いたいと思ったのです。

■紋切り型の“戦後ストーリー”
しかなかった


貴志:NHKの番組に限らず、「戦後ゼロ年」が取り上げられるときというのは、そのほとんどが高度成長の話の“前フリ”としてなんです。要するに、「我々は負けた、全部ゼロになった。けれども、それを乗り越えて立ち上がり復興した。そして、高度成長に邁進した。結果、日本は世界有数の経済大国になった。めでたし、めでたし」というストーリー。その描かれ方も、必然的にステレオタイプになる。いつも同じなんです。「耐えがたきを耐え……」から始まって、それで、少しだけヤミ市の映像が出てきて……。で、すぐ、次にいくんですよ。「けれども、日本人は立ち上がりました」と。

[画像2: https://prtimes.jp/i/18219/125/resize/d18219-125-895994-3.jpg ]

「戦後ゼロ年」は“終わった時代”、もしくは“克服した時代”であって、そのときの苦労話を延々やる必要はないじゃないか、ということかもしれません。しかし、「新・映像の世紀」の制作途中で出会った“生の映像”を観たり、資料や文献を調べたりするうちに、ずいぶんイメージが変わってきたわけです。「戦後ゼロ年」について違った見方が可能なはずだ、という確信がありました。


■貴重な資料写真は、
アメリカ以外の国から出てくる

佐藤:番組は、古いフィルムがふんだんに使われていますね。僕はいつも主にアメリカで調査をしていますが、これまでに見たことのない写真や映像がたくさんあり驚きました。たとえば、(番組の)冒頭に出てくる、日本軍の隠匿物資の一部とされる金塊が海から引き上げられる映像はフランスのものですね。

貴志:そうです、アメリカのものではない。

佐藤:そして、とりわけ印象に残っているのは、売春施設の映像。

貴志:あれは、オーストラリアの戦争博物館からです。

佐藤:当時の記録はすべてアメリカに残されているだけだと思っていたんですけども、実はそんなことはないということですね。別の国のアーカイブでも丹念に発掘作業を行い、番組で使っている。それがすごく印象に残りました。特にオーストラリアの映像は本当に貴重ですね。売春施設の中で、そこで働いている人も含めて撮られている。

連合軍の専用列車、貴賓室のような豪華な客車の中の映像もオーストラリアで見つけたものですね。アメリカでも探せばあるのかもしれないけれども、アメリカの公文書館に所蔵されているものは、基本は公式記録なので、売春施設など、見せたくないものは残っていないですよね。

貴志:占領軍というのは、連合軍であってアメリカだけではないという建前はありますが、実際はアメリカによる占領ですよね。米軍は占領をいかに上手にやったかということを世界に宣伝したい。ですから、その目的にそぐわないものは、隠すか、あるいは撮影させない。たとえばヤミ市とかは撮っちゃいけない。他にも、アメリカ人が銀座を大勢で闊歩しているのもダメ。焼け跡もダメ。売春施設ももちろんそうです。

それから、アメリカ人が贅沢な暮らしをしているところもダメ。その財源は日本が出したお金、「終戦処理費」ですから。日本人のお金で、アメリカ人がものすごく贅沢して、箱根や熱海の温泉に行っておいしいものを食べている。そういう映像が残ると都合が悪い。「民主主義を日本に植え付けようとしているはずなのに、おかしいじゃないか」ということになる。

佐藤:ダブルスタンダードというか。彼らにとって都合の悪いものを隠すということですよね。

貴志:でも、オーストラリアは、なんかゆるくて撮っていた、残っていたというね(笑)。

佐藤:番組で紹介していたオーストラリアの映像は個人が撮影したものですか?

貴志:そうです。アメリカ人はプライベートで撮っていたとしても、世には出さないということかもしれないですね。それでもアメリカは日本とは比べ物にならないくらい情報公開をしています。

本の中でも詳しく書いていますが、日本は戦争に負けたときに機密資料を全部燃やしています。市ヶ谷の陸軍省や霞が関の海軍省・外務省・内務省・大蔵省、三宅坂の陸軍参謀本部ビル。玉音放送の直後から各所で公文書の焼却が始まり、三日間ずっと煙が上がったというんですから。

■銀座、大森、新橋、池袋……。
戦後ゼロ年は、今につながっている



[画像3: https://prtimes.jp/i/18219/125/resize/d18219-125-129020-0.jpg ]

佐藤:この本には、東京の街がいろいろと出てきます。池袋、新宿、銀座、大森、新橋。銀座と新橋は、「東京租界」といわれていたあたりですね。

貴志:東京のほとんどのエリアは焼け跡になって、モノがなくなった。しかし、その中でもモノがあった空間が二つありました。一つはヤミ市。「なぜかモノがたくさんある、どっから来たんだろう?」と。本にも書きましたけれども、それは横流しされた隠匿物資だったりするわけです。

そして、もう一つモノがたくさんあったところが「東京租界」です。これは米軍が接収したエリアで、それこそコカ・コーラ、ハンバーガー、サンドウィッチ、アイスクリームなどの食べ物があふれるようにあった世界です。「モノがあった世界」と「モノがない世界」が隣り合っている。一方では贅沢な料理が食べられ、他方では残飯、場合によって虫が食べられているという、空間構成ですよね。

佐藤:その外側にいた一般の人間には、実態は見えなかった。米軍のコントロールもあるけれども、その「内側はよくわからない」という状況がずっと続いていたわけですよね。70年も経って、「あ、そうだったの!?」と内実が見えるようになってきた。内実を知ることを我々がためらっていたこともあるかもしれませんが、コントロールがずっと利いてきたということです。これも驚くべきことだと思います。

この本の内容を今の日本の状況や日米関係に重ね合わせると、歴史の裏側が見えてきます。ここからさらにうまく補助線を引いていけば、日本の“今”を理解するのに役立つと思います。

■秋葉原電気街は、千葉の
軍事物資の横流しから生まれた

佐藤:秋葉原も出てきますね。

貴志:戦時中、本土決戦が起きるとしたら、米軍は千葉から上陸するのではないかと軍部が考えていたこともあり、千葉の方に軍部の物資がありました。敗戦後、それらを横流ししてどこに持っていくのかというときにたどり着くのが秋葉原です。ヤミ市として繁栄し、だんだん電化製品の町になっていきます。

東京だけではありません。日本全土にまたがって、ヤミ物資の物流ネットワークがどんどんできあがっていきました。たとえば、戦後ゴムの工場が一番たくさんあったのは神戸なんですよ。東京で物資が足りなくなると、神戸など関西のヤミ市で買い込んで持ち帰って売る、とか。

物資を台湾から密輸して、沖縄経由で本国へ──というケースもあります。台湾から与那国島あたりを経由して、瀬戸内海を通って神戸にたどり着く。それから東京へ。物流ネットワークの結節点にある、神戸・大阪・東京のヤミ市は自然とその規模も拡大しました。池袋では、後背地が大農業地帯だから、野菜をはじめとした食料品が取り引きされた。池袋も元はヤミ市から始まっています。新宿も、渋谷も、上野も同じですね。

そうした物流のネットワークができてくる中で、頭の良い人、商売の上手な人が、ヤミ市では次々と成金になっていくわけです。戦前のガチガチの階級社会はすでになくなっている。実力次第ですから、良いも悪いもない。能力のある者が成り上がっていける。そういう人たちがボスになったり、戦後社会の黒幕になったりしていく。

■東京カジノは、
“ヤミ市の帝王”の70年越しの宿願!?

佐藤:今日の会場であるTokyo Little Houseは赤坂にあるのですが、赤坂といえば、「ラテンクォーター」というナイトクラブがありましたね。そのラテンクォーターが火事になって、新しくできたのが「ニューラテンクォーター」。1980年代にやはり火事になったホテルニュージャパンの地下にありました。
  
貴志:ニューラテンクォーターは、オーナーが回想録を書いたりしていて(山本信太郎『東京アンダーナイト』)、ある程度のことは知られていますが、ラテンクォーターは謎のままですね。

佐藤:奥に賭場があったともいわれていますね。

貴志:本の中でもいくつか証言を引いていますが、本当のところはどうだったのかわからない。夜の世界のVIPが毎晩集まって、あれこれビジネスの相談とかしたんでしょうね。そういえば、東京にカジノができるんですか? ラテンクォーターの復活のように思えてなりません。

佐藤:『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』の中で、東京の一等地を買占め、「ヤミ市の帝王」とも称された王長徳のインタビューの発言を紹介していますね。引用します。

「銀座にバクチ場をつくるのは反対で私は国営バクチ場を東京に近い島に作ることが必要だと信じている。日本政府はそこから税金をとり外人が遊びに来て何億という外貨を落して行くようにすれば日本のためになる。私が日本の政治家を後援するのは日本に国営バクチ場を立法化させるのが目的だ」と語った。(「読売新聞」、1952年10月24日付朝刊)

貴志:宿願が70年経って、ようやく実現するんですよ。

佐藤:メンバーも世代も変わっているはずなのですが。そういう利権の構造が残っているってことですよね。

貴志:東京オリンピック、大阪万博、カジノ。「在りし日の日本」に戻っているようにも思えます。王長徳のインタビュー、これは2018年のものだったとしても驚きませんね。利権になるんですよ。しがみついたら一生食えるというすごく大きな利権になりますから。

佐藤:いたたまれない……。

貴志:東京にはいったいどんな未来が待っているんでしょうか。

■ブラックホールに目を凝らし、
知られていない事実を伝える


[画像4: https://prtimes.jp/i/18219/125/resize/d18219-125-258738-1.jpg ]



会場からの質問1:この本を読んでいると鬱々とした気持ちになりましたが……。

貴志:事実、気が滅入る時代だったんですよ(苦笑)。庶民の目線ではどうだったのかを考えるとどうしてもそうなる。私自身もはじめからおわりまで、あくまで庶民の気持ちで書きました。まあ、光と闇はいつの時代でも、ありますからね。

それでもやはり、闇のことがあまりにも知られてない。東京や日本に偏在していた、そして今も存在する「ブラックホール」に目を凝らす、ということです。そうすると光のことも見えてくる。この本でも、皇居になだれ込む一般の人びとを描いた最終章のあたりでは、光の部分を取り上げたつもりなのですが。

歴史は光と闇を織りなす織物ですから。我々の暮らしもそのころに比べたら、良くなっているかもしれないけれども、両方知らなければいけないということだと思います。

佐藤:そうですよね。私も写真を探していると、めちゃくちゃ鬱になるんですよね、アメリカで(笑)。そういう写真ばかりですから。みんなできれば見たくないと思っているものですが、そういう鬱々としたものをどうしたらうまく伝えられるのかが課題です。

貴志:「明らかにこれは“悪”なのに、なんでなくならないんだ!?」と普通は考えますよね。でも社会のシステムというのは“悪”を含んでできているわけです。「戦後ゼロ年」も同じで、良いとか悪いではないんです。絡まっているんですよ、闇と光は。「こちらに光があって、あちらに闇があって」「こちらが正義であちらが悪」と明確に分けられるほど単純ではない。

■日本人はいまだ、敗戦という
「表の歴史」を受容できていない?

質問2:「表の歴史」、いわゆる正史と「裏の歴史」があるとしますと、この本は「裏の歴史」を扱っているといえるのではないでしょうか。しかし、そもそも、日本は結局敗戦しているわけだから、「敗者の歴史」が正史としてあるはずだけれども、あまり語られていないという気がします。日本や東京は、敗戦の歴史自体を表の歴史としてどれくらい受容できていると思われますか。

貴志:そこが清算できていないのかもしれませんね。教科書にはいろいろ書いてありますが、ほとんど神話や伝説のようなものに思えます。正史自体がありえないのかもしれない。神話で終わってしまって、今につながる受け止め方ができないから。日本は何かあっても、次の日にはすぐ忘れてしまう国なので。


質問者:そうした状況の中で、この裏の話をどう受け止めるかは難しいところがあると思うのですが。

貴志:確かにそうですね。今回の本も書きぶりのバランスや、誰に向かって書くのかというレベル合わせが難しかったんですが。でも、正直言うと、読み手のことを考え抜いて書いたわけではないんですよね。忘れ去られたことがある、知られていないことがある――そういう歴史の断片を拾い集めて伝えようと思っただけなんです。

今、歴史観が変わりつつあると思うんです。資料も公開され始めましたし、映像も発掘されてきた。私が知っている研究者の方々も、新しい研究を次々と始めています。そうすると、正史の方もある意味でクリアになってきて、「裏の歴史」の持つ意味もわかってくるのではないか。表と裏がどうつながっているのか見えてくる――そう進んでくれればいいなと思うのですが。

【登壇者プロフィール】
貴志謙介(きし・けんすけ)
1957年、兵庫県尼崎市生まれ。1981年、京都大学文学部卒業後、NHK入局。ディレクターとしてドキュメンタリーを中心に多くの番組を手がけ、2017年8月に退職。主な番組に、NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、NHKスペシャル「アインシュタインロマン」「新・映像の世紀」など。共著に『NHKスペシャル 海 知られざる世界 第1巻』『NHKスペシャル 宇宙 未知への大紀行 第1巻』『NHKスペシャル 新・映像の世紀 大全』(すべてNHK出版)など。

佐藤洋一(さとう・よういち)
1966年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、同大学院博士課程修了。早稲田大学芸術学校空間映像科教員を経て、2010年から同大学社会科学部教授。博士(工学)。専攻は都市形成史。著書に『図説 占領下の東京 1945~1952』(河出書房新社)、『米軍が見た 東京1945秋』(洋泉社)など。

会場:Tokyo Little House
http://littlehouse.tokyo/
https://ja-jp.facebook.com/TokyoLittleHouse/

[画像5: https://prtimes.jp/i/18219/125/resize/d18219-125-829155-6.jpg ]


『戦後ゼロ年 東京ブラックホール』
著者:貴志謙介
仕様:四六判 ページ数320ページ
発行:2018年06月28日
定価:1,836円(本体1,700円)
ISBN:978-4-14-081748-3
出版社:NHK出版 https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000817482018.html
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