「すぐやる課」発足50周年
[19/09/30]
提供元:PRTIMES
提供元:PRTIMES
累計処理件数は15万7,000件を突破。50周年記念イベントも
「すぐやる課」は10月6日、50周年を迎えます。
松戸市役所に「すぐやる課」ができたのは、今から半世紀、50年も前のことです。
[画像1: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-158656-5.jpg ]
昭和37年(1962年)、当時、松戸市の人口は11万人でした。それが昭和44年(1969年)には23万人を突破。経済成長に合わせるように人口が急増しましたが、それに伴う道路や上下水道などのインフラ整備が追い付かず、多様化する市民生活に市政が追いつかなかったのです。
[画像2: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-241764-0.jpg ]
第9・10代市長 松本清
当時の松本清・第9代松戸市長は「マツモトキヨシ」で有名なドラッグストアの経営者からの転身でした。市役所は、ややもすると「市民の要望がたらいまわしにされている」「役所は働かない」という、不名誉なレッテルを貼られがちでした。そんななか、松本市長は「市役所とは“市”民のために“役”立つ人のいる“所”」であり、市民の役に立つことを迅速にできないだろうか、と考えたのです。
[画像3: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-629116-1.jpg ]
課の前で臼井課長
「すぐやる課」はこうした背景で昭和44年10月6日に発足するのですが、市議会はひらがな課名に猛反対でした。中には「特急課」「応急処理課」「特殊機動処理課」などの珍名が候補に挙がったのです。でも、松本市長は譲りませんでした。民間の経営者としての経験から、市民に愛されるには「小学生にも分かる課名でなければならない」と議会を押し切り、議会通過の2日後には「すぐやる課」を開設したのです。部屋は市長室のすぐ隣。運転手の控室を割り当てました。そして初代課長には50歳の元軍人、管財課の臼井銀次郎氏を抜擢したのです。
臼井氏は軍人だっただけに、偉丈夫な上に実直です。前の職場では「赤ん坊をおぶって出勤した」ことを恥ずかしがることもなく、また、「雨の日でも傘を差したことがない」というエピソードに「この男だ!」松本市長は我が意を得たりと膝を打ったのでした。課長1人に課員も1人、元警視庁防犯刑事の今井進氏が異動してたった2人の「すぐやる課」ができあがりました。初仕事は「側溝の破損処理」でした。初日から16件の依頼があり、上々のスタート。それからたった4日で5人体制になるのです。何しろ1日40件の依頼が殺到。臼井課長も悲鳴を上げる忙しさに、松本市長の即断で増員されたのでした。市長は自ら乗ったタクシーの運転手をも引き抜き、1か月で総勢6人の体制ができあがります。
「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」(市長)というスローガン。その横には「市民はお客さま」という言葉が大書してあります。「すぐやる課」の精神は半世紀たった今でも生き続けています。
「すぐやる課」の石原稔課長にお尋ねしました。
――「すぐやる課」は50周年を迎えましたが、現在は何人体制ですか?
石原課長(以下同)「課長を含めて8人体制です。」(男性7人、女性1人、ほか臨時職員1人)
――「すぐやる課」課長は何代目ですか?
同「17代目になります。」
――辞令を受けた時はどのような気持ちでしたか?
同「(市長から)すぐやる課は(松戸市の)伝統の課。しっかり頼む、と言われ責任を感じました。」
――他の課との文化の違いなどはありますか?
同「市民からの要望に対し、当日または長くても翌日には解決を目指します。市民サービスの観点から、市民をお客様と呼びます。」
――私生活でも「すぐやる課」の習慣などが出てしまいますか?
同「通勤途中や散歩の際に、ハチの巣がないか、他人の家の軒先を見たり、側溝や道路の陥没をチェックしてしまいます。」
***
松戸市役所に「すぐやる課」が登場すると話題は瞬く間に日本中を駆け巡りました。何しろ市民からの要望を、早ければその日のうちに解決してしまうというスピード感。連日のようにマスコミに取り上げられ、市長はTV出演に奔走するなど、忙しい毎日を過ごすのです。日本中をブームに巻き込んで、昭和47年(1972年)には「すぐやる課音頭」が誕生し、同49年(1974年)には「東京コマ劇場」で「すぐやる課長奮戦記」が上演されます。同52年(1977年)にはTBS系列でドラマ「すぐやる一家青春記」が放送されました。「すぐやる課」を基にしたドラマです。小林桂樹、夏目雅子が出演し話題を集めました。
「すぐやる課」という、ちょっと変わった課名も全国に広がりました。
兵庫県芦屋市の「お困りです課」
高知県の「競馬対策課」「まんが・コンテンツ課」
佐賀県武雄市の「つながる部フェイスブック・シティ課」「わたしたちの新幹線課」「つながる部お結び課」 ※現在は廃止・変更になった自治体もあります。
こうした波及効果は1年で全国に43の類似セクションができたことでもわかるでしょう。海外でも「すぐやる課」の話題を聞いてフィリピン、台湾からも視察にやってきたほどでした。
「側溝の破損処理」でスタートした「すぐやる課」の仕事、市民の要望は年ごとに増加し、内容も多岐にわたってきました。土木関係で一番多いのは公道上の側溝蓋補修、道路補修など。動物関係ではスズメバチなどの巣の駆除。こうした市民の要望が毎日のように「すぐやる課」に寄せられて、処理されていくのです。
――市民からの依頼内容について。依頼はおおよそ何件ですか?
同「平成(H)27年度=3,051件、H28年度=2,848件、H29年度=2,695件、H30年度=2,746件(内訳は土木関係674件、清掃関係240件、動物関係1,677件、その他155件)」
――これまで何件の処理をしましたか?
同「発足当時から平成30年度末までの累計処理件数は157,805件です。」
――変わった依頼はどんなものがありますか?
同「野良猫の餌やりを注意してほしいとか、隣の敷地から木の枝が伸び、侵入しているので指導してほしいなど。その際は広聴担当室を紹介しています。」
「高齢の女性宅から、敷地内のマンホールから汚水が溢れていると、市外の実の娘さんからの連絡があり、現場に向かい、業者を紹介して解決しました。」
――困った依頼はどんなものがありますか?
同「発足当時は、剣道の大会に行っている夫を探してほしい、宣伝飛行機がうるさいのでなんとかしてほしい、家出の息子を探してほしいなど。現在では野良猫、ハクビシンの捕獲などです。」
[画像4: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-991310-2.jpg ]
課に貼り出しているハチの巣やパトロールの地図
――これまで一番体を張った仕事はどんなものですか?
同「H30年、東松戸病院。職員寮の施設に直径50〜60センチのキイロスズメバチの巣ができていました。すぐやる課3名が防護服を着用、1時間かけて駆除。真夏の防護服は温度が上がり危険です。」
――すぐやる課に異動してくる方たちはどんな方ですか?
同「人事には“動物嫌いはよしてくれ”などの要望を出すこともあります。毎年4月に蜂の抗体検査を実施。万が一蜂に刺された場合は1月に再検査。過去に抗体検査で引っ掛かり、課を異動したことも。」
――松戸市ならではのエピソードがあればお願いします。
同「担当の課へ連絡しても、予算・優先順位などで対応に時間がかかる場合があります。すぐやる課を知っている市民は、まず、すぐやる課に要望や相談を持ちこんでくれます。」
――「すぐやる課50周年」という大きな節目。お気持ちを聞かせてください。
同「初代臼井課長の夫人と対談しました。このような人物(元軍人で毎朝7時に家を出て、市役所に到着する道すがらでも市民の要望を聞いたり解決しながら出勤したそうです。市役所の到着は始業時間の8時30分を回ることも。)だからこそ、当時の松本市長から抜擢(松本氏が家まで来て口説かれた)され、基礎を構築し、代々の課長に引き継がれてきたのだと思います。これからも、市民の身近な問題を解決していきます。」
――歴代課長で変わった方はどのような方ですか?
同「初代臼井課長は陸自出身でシベリア経験者。10代目大竹課長は臼井さんに似た姿、市民サービスの考え方も似ていたそうです。40周年、すぐやる課をテーマに水戸黄門風の劇を行い、すぐやる課音頭や、踊りを披露。市民に向けたPRを積極的に行ったそうです。」
[画像5: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-270003-3.jpg ]
[画像6: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-664635-4.jpg ]
「すぐやる課」音頭のレコードと踊りの振り付け
法律を曲げてでも、という信念で松本市長が作り上げた松戸市役所の「すぐやる課」。駅前のタバコ屋で「住民票」を受け取ることができる「市役所出前係」(現在では廃止)が登場するなど副産物も生まれました。海外でも話題になり、ソビエト(現ロシア)やフランス・パリでは本に登場し、オーストラリアでは「Today-go課」と紹介されたといいます。
17代目の石原稔課長は市立六実中を卒業、大卒後、松戸市役所に奉職、収納課を振り出しに道路管理課、清掃施設課、施設担当室、道づくり課、病院総務課を経て現職につきました。バスケットボールが趣味。初代の臼井銀次郎課長から歴代課長に引き継がれた理念を受け継ぎたいといいます。
同「現場で直接、ありがとうという言葉をいただく。何度言われてもうれしい。感謝の言葉をいただくために頑張ろうと思います。」
さらに「すぐにやらなければならないもので、すぐにやり得るものはすぐにやります、をモットーに市民の身近な問題の早期解決を図り、安全で快適な生活環境の実現に向け、今後も取り組んでまいります。」と力強く語りました。
平成23年12月から、小学校の通学路パトロールを開始し、怪しい人物については、市の保健体育課、小中学校へ連絡をしています。今年の4月からは、高齢者の徘徊についても捜索パトロールが始まりました。「すぐやる課」の市民密着型のサービスは終わることはありません。
<関連リンク>
すぐやる課発足50周年記念ページ
https://www.city.matsudo.chiba.jp/kurashi/suguyaru/suguyaru_50th_anniv.html
すぐやる課の変遷
https://www.city.matsudo.chiba.jp/kurashi/suguyaru/suguyaru_50th_anniv.files/suguyaruhennsenn0903.pdf
「すぐやる課」は10月6日、50周年を迎えます。
松戸市役所に「すぐやる課」ができたのは、今から半世紀、50年も前のことです。
[画像1: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-158656-5.jpg ]
昭和37年(1962年)、当時、松戸市の人口は11万人でした。それが昭和44年(1969年)には23万人を突破。経済成長に合わせるように人口が急増しましたが、それに伴う道路や上下水道などのインフラ整備が追い付かず、多様化する市民生活に市政が追いつかなかったのです。
[画像2: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-241764-0.jpg ]
第9・10代市長 松本清
当時の松本清・第9代松戸市長は「マツモトキヨシ」で有名なドラッグストアの経営者からの転身でした。市役所は、ややもすると「市民の要望がたらいまわしにされている」「役所は働かない」という、不名誉なレッテルを貼られがちでした。そんななか、松本市長は「市役所とは“市”民のために“役”立つ人のいる“所”」であり、市民の役に立つことを迅速にできないだろうか、と考えたのです。
[画像3: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-629116-1.jpg ]
課の前で臼井課長
「すぐやる課」はこうした背景で昭和44年10月6日に発足するのですが、市議会はひらがな課名に猛反対でした。中には「特急課」「応急処理課」「特殊機動処理課」などの珍名が候補に挙がったのです。でも、松本市長は譲りませんでした。民間の経営者としての経験から、市民に愛されるには「小学生にも分かる課名でなければならない」と議会を押し切り、議会通過の2日後には「すぐやる課」を開設したのです。部屋は市長室のすぐ隣。運転手の控室を割り当てました。そして初代課長には50歳の元軍人、管財課の臼井銀次郎氏を抜擢したのです。
臼井氏は軍人だっただけに、偉丈夫な上に実直です。前の職場では「赤ん坊をおぶって出勤した」ことを恥ずかしがることもなく、また、「雨の日でも傘を差したことがない」というエピソードに「この男だ!」松本市長は我が意を得たりと膝を打ったのでした。課長1人に課員も1人、元警視庁防犯刑事の今井進氏が異動してたった2人の「すぐやる課」ができあがりました。初仕事は「側溝の破損処理」でした。初日から16件の依頼があり、上々のスタート。それからたった4日で5人体制になるのです。何しろ1日40件の依頼が殺到。臼井課長も悲鳴を上げる忙しさに、松本市長の即断で増員されたのでした。市長は自ら乗ったタクシーの運転手をも引き抜き、1か月で総勢6人の体制ができあがります。
「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」(市長)というスローガン。その横には「市民はお客さま」という言葉が大書してあります。「すぐやる課」の精神は半世紀たった今でも生き続けています。
「すぐやる課」の石原稔課長にお尋ねしました。
――「すぐやる課」は50周年を迎えましたが、現在は何人体制ですか?
石原課長(以下同)「課長を含めて8人体制です。」(男性7人、女性1人、ほか臨時職員1人)
――「すぐやる課」課長は何代目ですか?
同「17代目になります。」
――辞令を受けた時はどのような気持ちでしたか?
同「(市長から)すぐやる課は(松戸市の)伝統の課。しっかり頼む、と言われ責任を感じました。」
――他の課との文化の違いなどはありますか?
同「市民からの要望に対し、当日または長くても翌日には解決を目指します。市民サービスの観点から、市民をお客様と呼びます。」
――私生活でも「すぐやる課」の習慣などが出てしまいますか?
同「通勤途中や散歩の際に、ハチの巣がないか、他人の家の軒先を見たり、側溝や道路の陥没をチェックしてしまいます。」
***
松戸市役所に「すぐやる課」が登場すると話題は瞬く間に日本中を駆け巡りました。何しろ市民からの要望を、早ければその日のうちに解決してしまうというスピード感。連日のようにマスコミに取り上げられ、市長はTV出演に奔走するなど、忙しい毎日を過ごすのです。日本中をブームに巻き込んで、昭和47年(1972年)には「すぐやる課音頭」が誕生し、同49年(1974年)には「東京コマ劇場」で「すぐやる課長奮戦記」が上演されます。同52年(1977年)にはTBS系列でドラマ「すぐやる一家青春記」が放送されました。「すぐやる課」を基にしたドラマです。小林桂樹、夏目雅子が出演し話題を集めました。
「すぐやる課」という、ちょっと変わった課名も全国に広がりました。
兵庫県芦屋市の「お困りです課」
高知県の「競馬対策課」「まんが・コンテンツ課」
佐賀県武雄市の「つながる部フェイスブック・シティ課」「わたしたちの新幹線課」「つながる部お結び課」 ※現在は廃止・変更になった自治体もあります。
こうした波及効果は1年で全国に43の類似セクションができたことでもわかるでしょう。海外でも「すぐやる課」の話題を聞いてフィリピン、台湾からも視察にやってきたほどでした。
「側溝の破損処理」でスタートした「すぐやる課」の仕事、市民の要望は年ごとに増加し、内容も多岐にわたってきました。土木関係で一番多いのは公道上の側溝蓋補修、道路補修など。動物関係ではスズメバチなどの巣の駆除。こうした市民の要望が毎日のように「すぐやる課」に寄せられて、処理されていくのです。
――市民からの依頼内容について。依頼はおおよそ何件ですか?
同「平成(H)27年度=3,051件、H28年度=2,848件、H29年度=2,695件、H30年度=2,746件(内訳は土木関係674件、清掃関係240件、動物関係1,677件、その他155件)」
――これまで何件の処理をしましたか?
同「発足当時から平成30年度末までの累計処理件数は157,805件です。」
――変わった依頼はどんなものがありますか?
同「野良猫の餌やりを注意してほしいとか、隣の敷地から木の枝が伸び、侵入しているので指導してほしいなど。その際は広聴担当室を紹介しています。」
「高齢の女性宅から、敷地内のマンホールから汚水が溢れていると、市外の実の娘さんからの連絡があり、現場に向かい、業者を紹介して解決しました。」
――困った依頼はどんなものがありますか?
同「発足当時は、剣道の大会に行っている夫を探してほしい、宣伝飛行機がうるさいのでなんとかしてほしい、家出の息子を探してほしいなど。現在では野良猫、ハクビシンの捕獲などです。」
[画像4: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-991310-2.jpg ]
課に貼り出しているハチの巣やパトロールの地図
――これまで一番体を張った仕事はどんなものですか?
同「H30年、東松戸病院。職員寮の施設に直径50〜60センチのキイロスズメバチの巣ができていました。すぐやる課3名が防護服を着用、1時間かけて駆除。真夏の防護服は温度が上がり危険です。」
――すぐやる課に異動してくる方たちはどんな方ですか?
同「人事には“動物嫌いはよしてくれ”などの要望を出すこともあります。毎年4月に蜂の抗体検査を実施。万が一蜂に刺された場合は1月に再検査。過去に抗体検査で引っ掛かり、課を異動したことも。」
――松戸市ならではのエピソードがあればお願いします。
同「担当の課へ連絡しても、予算・優先順位などで対応に時間がかかる場合があります。すぐやる課を知っている市民は、まず、すぐやる課に要望や相談を持ちこんでくれます。」
――「すぐやる課50周年」という大きな節目。お気持ちを聞かせてください。
同「初代臼井課長の夫人と対談しました。このような人物(元軍人で毎朝7時に家を出て、市役所に到着する道すがらでも市民の要望を聞いたり解決しながら出勤したそうです。市役所の到着は始業時間の8時30分を回ることも。)だからこそ、当時の松本市長から抜擢(松本氏が家まで来て口説かれた)され、基礎を構築し、代々の課長に引き継がれてきたのだと思います。これからも、市民の身近な問題を解決していきます。」
――歴代課長で変わった方はどのような方ですか?
同「初代臼井課長は陸自出身でシベリア経験者。10代目大竹課長は臼井さんに似た姿、市民サービスの考え方も似ていたそうです。40周年、すぐやる課をテーマに水戸黄門風の劇を行い、すぐやる課音頭や、踊りを披露。市民に向けたPRを積極的に行ったそうです。」
[画像5: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-270003-3.jpg ]
[画像6: https://prtimes.jp/i/15010/230/resize/d15010-230-664635-4.jpg ]
「すぐやる課」音頭のレコードと踊りの振り付け
法律を曲げてでも、という信念で松本市長が作り上げた松戸市役所の「すぐやる課」。駅前のタバコ屋で「住民票」を受け取ることができる「市役所出前係」(現在では廃止)が登場するなど副産物も生まれました。海外でも話題になり、ソビエト(現ロシア)やフランス・パリでは本に登場し、オーストラリアでは「Today-go課」と紹介されたといいます。
17代目の石原稔課長は市立六実中を卒業、大卒後、松戸市役所に奉職、収納課を振り出しに道路管理課、清掃施設課、施設担当室、道づくり課、病院総務課を経て現職につきました。バスケットボールが趣味。初代の臼井銀次郎課長から歴代課長に引き継がれた理念を受け継ぎたいといいます。
同「現場で直接、ありがとうという言葉をいただく。何度言われてもうれしい。感謝の言葉をいただくために頑張ろうと思います。」
さらに「すぐにやらなければならないもので、すぐにやり得るものはすぐにやります、をモットーに市民の身近な問題の早期解決を図り、安全で快適な生活環境の実現に向け、今後も取り組んでまいります。」と力強く語りました。
平成23年12月から、小学校の通学路パトロールを開始し、怪しい人物については、市の保健体育課、小中学校へ連絡をしています。今年の4月からは、高齢者の徘徊についても捜索パトロールが始まりました。「すぐやる課」の市民密着型のサービスは終わることはありません。
<関連リンク>
すぐやる課発足50周年記念ページ
https://www.city.matsudo.chiba.jp/kurashi/suguyaru/suguyaru_50th_anniv.html
すぐやる課の変遷
https://www.city.matsudo.chiba.jp/kurashi/suguyaru/suguyaru_50th_anniv.files/suguyaruhennsenn0903.pdf