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禅を世界中に広めた大拙が私たちに伝えたかったこと

この度、(株)ディスカヴァー・トゥエンティワン(取締役社長:干場 弓子、本社:東京都千代田区)は『はじめての大拙 鈴木大拙 自然のままに生きていく 一〇八の言葉』を発売いたしました。




[画像: https://prtimes.jp/i/18193/300/resize/d18193-300-773905-0.jpg ]


いまや禅(ZEN)は、世界で広く通用する言葉となっていますが、それはある人物の功績によるものということをご存じでしょうか? その人物の名は鈴木大拙。昭和初期、当時の禅研究の第一人者であった大拙は、海外に向け禅の思想を精力的に紹介したのです。

当然ですが、彼が活躍した時代は、現在のようなネット社会ではありませんでした。つまり、執筆や講演活動を通して、禅を世界に知らしめ、多大なる影響を与えたのです。このことは、彼が発信した言葉自体に、いかに大きな力があったのかを物語っています。

しかし残念ながら、いまでは大拙の名前を知る人は少なくなりました。その要因の一つは、禅語や仏教用語、研究者の専門用語など難解な用語が、彼を知る機会を遠ざけてしまっている点にあります。そこで、難解な用語を極力排除し、日常的な言葉に置き換えることで、彼を知らなかった読者でも、大拙との対話を楽しめるような工夫を凝らしたのが本書です。

日本人のみならず、世界中の人々にも深く響いた大拙の言葉。それは時代を超えて、まさにいま世界で起こっている問題について、言及しているようにも感じられます。彼が私たちに伝えたかったこととは、いったいどのようなものだったのでしょうか? では、ほんの少しだけご紹介しましょう。


みずから、おのずから出てくるのが、自由
西洋のリバティやフリーダムには、自由の義(意味)はなくて、消極性をもった束縛または牽制から解放せられるの義だけである。それは東洋的の自由の義と大いに相違する。
自由はその字のごとく、「自」が主になっている。抑制も牽制もない、「自(みずか)ら」または「自(おのずか)ら」出てくるので、他から手の出しようのないとの義である。
天地自然の原理そのものが、他から何らかの指図もなく、自(おのずか)ら出るままの働き、これを自由というのである。

分断が、征服や侵略の「力」を現実にする
分けると、分けられたものの間に争いの起こるのは当然だ。すなわち、力の世界がそこから開けてくる。
力とは勝負である。制するか制せられるかの、二元的世界である。高い山が自分の面前に突っ立っている。そうすると、その山に登りたいとの気が動く、いろいろと工夫して、その絶頂をきわめる。そうすると、山を征服したという。
この征服欲が力、すなわち各種のインペリアリズム(侵略主義)の実現となる。

人生はそのままで満ち足りている
われわれはひもじい時には食べる。眠い時には横になる。どこに無限や有限が入ってこようか。わたしはわたし自身で完全であり、かれはかれ自身で完全ではないか。人生はこの生きているままで満ち足りている。
そこに人騒がせな知性が入ってきて、人生を破壊しようとする。その時はじめて、われわれは生きることをやめて、何か欠けている、何か足りない、と思いはじめる。

威厳ぶって、本当の威厳を欠く
動物ならば尊厳も価値も何も自覚しないで、動物らしく振舞うだけですね。人が来ればワンワンというし、またそうでなければ、なついて尾をふって飛んでくるというような、何も隠さんですね。そこに犬としての威厳があり、犬としての価値があるというかもしれません。
ところが、人間は威厳ぶって、それでほんとうの威厳を欠く。逆に、威厳を捨てたところに、かえって威厳があるというようなことを感ずる場合がいくらでもあるですね。

言葉は、実際の生命を交換するための貨幣にすぎない
言語は記号にすぎず、物自体ではあり得ない。ところが、お互いの意思の伝達のためにわれわれが作り出したこの言語はあまりにも便利なので、われわれはともすると、それを実在ととりちがいかねない。
お金は本当の価値のある物の代わりである。しかし始終使っているうちに、われわれはお金そのものに価値があるかのごとくに扱うようになる。
言語はお金のようなものである。禅僧たちはこのことをよく知っている。

ただ日々の仕事をやることがいちばん大切です
なんでもない仕事、それが最も大切なのです。何か人の目を驚かす、というようなものではなくてよいのです。
この節は、人々の目を引くようなことをやらぬと、立派でないように考える人もあります。あるいは,何でも異常なことでも申さぬと偉い人になれぬと思うのです。
われわれの一生というものは、なにも目を驚かして、偉い者になろうとか、なったとかいうところにあるのでなくして、日々の仕事をやることが一番です。

【本書の項目】
第一章 自然のままに、自由に生きる
第二章 機械にとらわれず、美と愛に生きる
第三章 知性・言葉とともに、無心に生きる
第四章 苦しみや矛盾のなかを生きていく
第五章 禅の悟りは、いわゆる「宗教」ではない

【著者情報】
鈴木 大拙(すずき だいせつ)
明治3年(1870年)、石川県金沢市に生まれる。本名は貞太郎。東京帝国大学(現・東京大学)在学中に、鎌倉円覚寺の禅僧、今北洪川と釈宗演に参禅、「大拙」の道号を受ける。97年、渡米。1909年に帰国後、学習院にて講師・教授、東京帝国大学にて講師を務める。11年、アメリカ人のビアトリス・レーンと結婚。21年、高校以来の親友である西田幾多郎のすすめで真宗大谷大学に転じ、学内に東方仏教徒協会を設立。英文雑誌『イースタン・ブッディスト』を創刊して、海外に仏教や禅思想を広める。36年、世界宗教大会に日本代表として出席。イギリス、アメリカの諸大学で「禅と日本文化」を講演。戦後の46年、蔵書をもとに鎌倉に松ヶ岡文庫を設立。49年に日本学士院会員となり、文化勲章を受章。90歳を超えてもなお同文庫で研究生活をおくり、66年、95歳にて没。著書に、『禅』(ちくま文庫)、『無心ということ』『禅とは何か』『仏教の大意』(いずれも角川ソフィア文庫)、『日本的霊性』(岩波文庫)、『禅と日本文化』(岩波新書)などがある。

【編集者情報】
大熊 玄(おおくま げん)
1972年千葉に生まれ、新潟に育つ。立命館大学史学科(東洋史学専攻)、金沢大学大学院修士課程(哲学専攻)、同大学院博士後期課程満期退学。専門はインド哲学・仏教学、西田哲学、鈴木禅学。1999年から約1年半のインド・プネー大学への留学より帰国後、石川県西田幾多郎記念哲学館の開館準備に携わる。金沢大学非常勤講師、石川県西田幾多郎記念哲学館専門員・学芸課長を経て、現在、同館副館長、立教大学文学部・大学院21世紀社会デザイン研究科准教授。
著書『鈴木大拙の言葉 世界人としての日本人』(朝文社)、『鈴木大拙/大拙の言葉』(金沢市国際文化課)、共著『鈴木大拙と日本文化』(朝文社)、編著書『西田幾多郎の世界』(石川県西田幾多郎記念哲学館)。


【書籍情報】
タイトル:『はじめての大拙』
発売日:2019年7月26日
出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
仕様:小B6判・ソフトカバー/p.196
ISBN: 978-4-7993-2539-1
本体価格:1300円(税抜)


【本書のご購入はコチラ】
Amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4799325396
楽天ブックス:https://books.rakuten.co.jp/rb/15990752
セブンネット:https://7net.omni7.jp/detail_isbn/9784799325391
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