【中国人の女子大生が書いた日本語エッセイ】日本僑報電子週刊で「鶴の橋渡し」コラムスタート
【日本僑報社発】1998年創刊した日本僑報電子週刊の発行1500号を記念として、第16、17回中国人の日本語作文コンクールにおいて連続2回2等賞を受賞された、上海大学日本語学部・朱雅蘭さん(ペンネーム:瀬川はやみ)の日本語コラムを特別にお届け致します。
【日本僑報社発】1998年創刊した日本僑報電子週刊の発行1500号を記念として、第16、17回中国人の日本語作文コンクールにおいて連続2回2等賞を受賞された、上海大学日本語学部・朱雅蘭さん(ペンネーム:瀬川はやみ)の日本語コラムを特別にお届け致します。
朱さんは日本語を勉強してわずか四・五年ですが、とても素晴らしい日本語文章を書けるようになっています。特に彼女の日本語・日本文化を愛している精神には、大変感銘を受けています。彼女のような若い中国人学生が大勢いることに、心から敬意を表し、微力ながら彼らの活躍を応援して参りたいと思います。
これから朱さんのコラムを毎月一回お届け致します。ぜひご愛読の程よろしくお願い申し上げます。朱さんのコラムを読まれたら、ぜひ感想を聞かせてください。
■「鶴の橋渡し」コラム(1)友情を運ぶ鶴/瀬川はやみ
「将来は何をしたい?」
大学四年生になってから、そんなふうによく聞かれるようになった。何かのタイムリミッ
トを迎えたかのように、周りの友達との話題もいつの間にか将来のことが多くなった。大
学最後の冬休みが近づいてくるとともに、友達がそれぞれの進路を決め、「おめでとう」
と一緒に喜びあって、一方、わたし自身はこの先、何をすればいいかわからないまま、次
第に不安に包まれはじめていた。
やがて大晦日の日がやってきて、気分転換のため、母と本棚の整理を始めることにした。
よく読む本を上のほうに、あまり読まなくなった本を下のほうに置く。このような作業を
繰り返していると、書名だけでその本がどこにあるかがわかるようになった。
「最後の一冊は……『漢民族伝統衣装図鑑』か。もう読まなくなったから下だな」と取り
出そうとすると、ふと、中から一枚の写真が落葉のようにひらひらと床に落ちた。
「あら、懐かしいわね。」
写真を拾いながら母はそう言って、大事そうに渡してくれた。
そこには、わたしともう一人の女の子が写っていた。桜色の振り袖姿のわたしの隣に、水
墨画のような薄青い大袖に「一片式」という水色のプリーツスカートを身に着けた黒髪の
女の子が微笑んでいる。彼女は両手を合わせながらお辞儀をしようとしていた。袖口には
白い鶴が松の枝を咥えながら、いきいきと羽ばたいているようだった。
それは、はじめてできた日本人の友達とお互いの伝統衣装を交換しながら撮った写真だ。
彼女と知り合ったのはある交流会のときだった。日中平和友好条約の締結40周年を記念し
、当時上海でも各国の青少年の交流を推進するためのイベントが多数開かれていた。
今まで長年、中国で日本語を勉強してきたが、日本人と直接交流する機会が少なく、もし
かしたら日本人の友達ができたらと思い、色々な交流会を調べていた。すると、「伝統衣
装を着て、みんなと交流しよう」という一文が目に入った瞬間、なぜか急に漢服を着たく
なり、その交流会に応募した。
しかし、いざ会場に入り、日本語の環境に囲まれたら、今まで勉強してきた日本語をすっ
かり忘れてしまったらしく、人見知りのわたしは、なかなか初対面の人に声を掛けられな
かった。せっかく交流会に来たのに、このまま誰にも声を掛けなかったら…、でももし変
な日本語を話したらどうしよう、と躊躇していると、
「これはどういう衣装ですか。」と女の子の声が耳に入った。
すると、目の前には、いつの間にか、桜色の振袖を身に着けた小柄な女の子が微笑みなが
ら立っていた。
「これは、中国の伝統衣装である“ハンフー”です。」と答えながら、彼女の着物の柄に
目を引き寄せられた。淡いピンク色の振袖に白い鶴が竹の枝を咥えながら羽ばたき、どう
しても目が離れられなかった。なによりも、その鶴の文様は、わたしが身に着けている漢
服と同じだった。
「ハンフーですか。このような素晴らしい衣装もありますね。同じく鶴文をしているから
、気になって声を掛けました。」と彼女は微笑み、「よかったら詳しく教えていただけま
せんか」という言葉にで、わたしは漢服のことを話しながら、着物のことを更に詳しく知り
たいと思った。
彼女の話によると、その鶴文は「松喰鶴」と呼ばれ、中国の影響を受けた文様であり、日
本では「めでたい柄」である吉祥文様の一種とされている。長く幸せを運び、千年の長寿
を意味しているそうだ。「千年生きる瑞鳥」と崇拝されてきた鶴は今、着物によく見られ
る文様として、よい兆しやめでたいしるしも意味する。その鶴文のおかげで、今、初めて
日本人の友達ができた。
交流会をきっかけに、わたしたちはよく一緒に出かけていた。交換留学生として中国へ一
年間しか滞在できなかった彼女は、中国語を勉強しながら、着物を身に着けて、積極的に
様々な交流会に参加していた。「着物が日本文化の象徴とされているけど、でもだんだん
着なくなったとともに、着物の文化も忘れられつつある。着物は、単なる服だけでなく、
歴史と文化を身に着けるのと同じだから、その文化を広げようと努力したい。」
それを聞いて、ふと漢服を初めて着たときのことを思い出した。漢服サークルに入ってか
ら初めてのイベント会場で、ばたばたとはしゃいでいるわたしに、先輩は「漢服は中国の
伝統文化も代表しているから、身に着けているときは、常に服が乱れているかどうかを気
を付けなければならないよ」と服を正してくれた。
様々な時代を経て、何千年にわたり伝わってきた漢服は、伝統の重み、歴史の厚みも含ま
れているが、洋服が定着されてから、その素晴らしい伝統文化が忘れられつつあり、中国
人でも知らない人がたくさんいる。わたしも大学に入ってから初めて知ったが、このよう
な素晴らしい伝統文化をなくならないようにしたらいいと常に思っていた。
彼女と知り合ったのをきっかけに、わたしも積極的に色々な交流会へ参加するようになり
、漢服の歴史から刺繡された文様の意味、そこに込められた物語を広めようと努力した。
それが、急に襲い掛かってきたコロナ禍で、今までの生活様式が一変し、生活のリズムが
変わってから、だんだん忘れてしまっていた。
その日の夜、彼女と久々にビデオ通話をした。コロナ対策で、彼女は今でもオンラインで
授業を受けているが、暇のある時、日本の着物文化をはじめに、色々な動画を通して日本
文化を発信している。「様々な文化発信を通じて、異文化交流を促進することがわたしの
夢なんだ。」それが、空港でお見送りの日に話してくれた言葉である。
その夢へ向かって、今、頑張っている彼女に、将来のことについて聞くと、「一緒に放送
関係の仕事に就けたら、わたしたちは異文化交流に力を注ぐ仲間だよね。」と冗談半分に
笑いながら話してくれた。そのとき、わたしははじめて自分が本当にやってみたいことが
わかった気がして、とっさに「実は、前にお世話になった出版社で、異文化交流のコラムを作ろうと思って…」と上ずった声で口走っていた。
それが、「鶴の橋渡し」のコラムの始まりのきっかけだった。日中国交正常化が50周年
を迎えた年に、鶴がもたらしてくれた縁を大事にしながら、恩返しするために、わたしは
今度、日中間の橋掛けとなり、これからも様々な日中文化をコラムを通し、発信していき
たい。
※瀬川(せがわ)はやみ 「鶴の橋渡し」コラムの開設者。現在、名古屋大学人文学研究
科で日本語教育を専門とし、研究活動を行っている。中国の伝統衣装である漢服(ハンフ
ー)文化をはじめ、様々な文化発信や異文化交流に力を注いでいる。
※「鶴の橋渡し」コラム このコラムは、日本語を勉強している中国人学生の目線から、様々な日中文化をエッセイの形で紹介する。「鶴」は「長く幸せを運び、千年の長寿」を意味し、「橋渡し」は「橋をかけること」を意味している。日中国交正常化が50周年を迎えた年に、コラムの発信者らが千年生きる瑞鳥のように、日中間の橋掛けとなり、日中交流が末永く続きますようにという願いが込められている。
【日本僑報社発】1998年創刊した日本僑報電子週刊の発行1500号を記念として、第16、17回中国人の日本語作文コンクールにおいて連続2回2等賞を受賞された、上海大学日本語学部・朱雅蘭さん(ペンネーム:瀬川はやみ)の日本語コラムを特別にお届け致します。
朱さんは日本語を勉強してわずか四・五年ですが、とても素晴らしい日本語文章を書けるようになっています。特に彼女の日本語・日本文化を愛している精神には、大変感銘を受けています。彼女のような若い中国人学生が大勢いることに、心から敬意を表し、微力ながら彼らの活躍を応援して参りたいと思います。
これから朱さんのコラムを毎月一回お届け致します。ぜひご愛読の程よろしくお願い申し上げます。朱さんのコラムを読まれたら、ぜひ感想を聞かせてください。
■「鶴の橋渡し」コラム(1)友情を運ぶ鶴/瀬川はやみ
「将来は何をしたい?」
大学四年生になってから、そんなふうによく聞かれるようになった。何かのタイムリミッ
トを迎えたかのように、周りの友達との話題もいつの間にか将来のことが多くなった。大
学最後の冬休みが近づいてくるとともに、友達がそれぞれの進路を決め、「おめでとう」
と一緒に喜びあって、一方、わたし自身はこの先、何をすればいいかわからないまま、次
第に不安に包まれはじめていた。
やがて大晦日の日がやってきて、気分転換のため、母と本棚の整理を始めることにした。
よく読む本を上のほうに、あまり読まなくなった本を下のほうに置く。このような作業を
繰り返していると、書名だけでその本がどこにあるかがわかるようになった。
「最後の一冊は……『漢民族伝統衣装図鑑』か。もう読まなくなったから下だな」と取り
出そうとすると、ふと、中から一枚の写真が落葉のようにひらひらと床に落ちた。
「あら、懐かしいわね。」
写真を拾いながら母はそう言って、大事そうに渡してくれた。
そこには、わたしともう一人の女の子が写っていた。桜色の振り袖姿のわたしの隣に、水
墨画のような薄青い大袖に「一片式」という水色のプリーツスカートを身に着けた黒髪の
女の子が微笑んでいる。彼女は両手を合わせながらお辞儀をしようとしていた。袖口には
白い鶴が松の枝を咥えながら、いきいきと羽ばたいているようだった。
それは、はじめてできた日本人の友達とお互いの伝統衣装を交換しながら撮った写真だ。
彼女と知り合ったのはある交流会のときだった。日中平和友好条約の締結40周年を記念し
、当時上海でも各国の青少年の交流を推進するためのイベントが多数開かれていた。
今まで長年、中国で日本語を勉強してきたが、日本人と直接交流する機会が少なく、もし
かしたら日本人の友達ができたらと思い、色々な交流会を調べていた。すると、「伝統衣
装を着て、みんなと交流しよう」という一文が目に入った瞬間、なぜか急に漢服を着たく
なり、その交流会に応募した。
しかし、いざ会場に入り、日本語の環境に囲まれたら、今まで勉強してきた日本語をすっ
かり忘れてしまったらしく、人見知りのわたしは、なかなか初対面の人に声を掛けられな
かった。せっかく交流会に来たのに、このまま誰にも声を掛けなかったら…、でももし変
な日本語を話したらどうしよう、と躊躇していると、
「これはどういう衣装ですか。」と女の子の声が耳に入った。
すると、目の前には、いつの間にか、桜色の振袖を身に着けた小柄な女の子が微笑みなが
ら立っていた。
「これは、中国の伝統衣装である“ハンフー”です。」と答えながら、彼女の着物の柄に
目を引き寄せられた。淡いピンク色の振袖に白い鶴が竹の枝を咥えながら羽ばたき、どう
しても目が離れられなかった。なによりも、その鶴の文様は、わたしが身に着けている漢
服と同じだった。
「ハンフーですか。このような素晴らしい衣装もありますね。同じく鶴文をしているから
、気になって声を掛けました。」と彼女は微笑み、「よかったら詳しく教えていただけま
せんか」という言葉にで、わたしは漢服のことを話しながら、着物のことを更に詳しく知り
たいと思った。
彼女の話によると、その鶴文は「松喰鶴」と呼ばれ、中国の影響を受けた文様であり、日
本では「めでたい柄」である吉祥文様の一種とされている。長く幸せを運び、千年の長寿
を意味しているそうだ。「千年生きる瑞鳥」と崇拝されてきた鶴は今、着物によく見られ
る文様として、よい兆しやめでたいしるしも意味する。その鶴文のおかげで、今、初めて
日本人の友達ができた。
交流会をきっかけに、わたしたちはよく一緒に出かけていた。交換留学生として中国へ一
年間しか滞在できなかった彼女は、中国語を勉強しながら、着物を身に着けて、積極的に
様々な交流会に参加していた。「着物が日本文化の象徴とされているけど、でもだんだん
着なくなったとともに、着物の文化も忘れられつつある。着物は、単なる服だけでなく、
歴史と文化を身に着けるのと同じだから、その文化を広げようと努力したい。」
それを聞いて、ふと漢服を初めて着たときのことを思い出した。漢服サークルに入ってか
ら初めてのイベント会場で、ばたばたとはしゃいでいるわたしに、先輩は「漢服は中国の
伝統文化も代表しているから、身に着けているときは、常に服が乱れているかどうかを気
を付けなければならないよ」と服を正してくれた。
様々な時代を経て、何千年にわたり伝わってきた漢服は、伝統の重み、歴史の厚みも含ま
れているが、洋服が定着されてから、その素晴らしい伝統文化が忘れられつつあり、中国
人でも知らない人がたくさんいる。わたしも大学に入ってから初めて知ったが、このよう
な素晴らしい伝統文化をなくならないようにしたらいいと常に思っていた。
彼女と知り合ったのをきっかけに、わたしも積極的に色々な交流会へ参加するようになり
、漢服の歴史から刺繡された文様の意味、そこに込められた物語を広めようと努力した。
それが、急に襲い掛かってきたコロナ禍で、今までの生活様式が一変し、生活のリズムが
変わってから、だんだん忘れてしまっていた。
その日の夜、彼女と久々にビデオ通話をした。コロナ対策で、彼女は今でもオンラインで
授業を受けているが、暇のある時、日本の着物文化をはじめに、色々な動画を通して日本
文化を発信している。「様々な文化発信を通じて、異文化交流を促進することがわたしの
夢なんだ。」それが、空港でお見送りの日に話してくれた言葉である。
その夢へ向かって、今、頑張っている彼女に、将来のことについて聞くと、「一緒に放送
関係の仕事に就けたら、わたしたちは異文化交流に力を注ぐ仲間だよね。」と冗談半分に
笑いながら話してくれた。そのとき、わたしははじめて自分が本当にやってみたいことが
わかった気がして、とっさに「実は、前にお世話になった出版社で、異文化交流のコラムを作ろうと思って…」と上ずった声で口走っていた。
それが、「鶴の橋渡し」のコラムの始まりのきっかけだった。日中国交正常化が50周年
を迎えた年に、鶴がもたらしてくれた縁を大事にしながら、恩返しするために、わたしは
今度、日中間の橋掛けとなり、これからも様々な日中文化をコラムを通し、発信していき
たい。
※瀬川(せがわ)はやみ 「鶴の橋渡し」コラムの開設者。現在、名古屋大学人文学研究
科で日本語教育を専門とし、研究活動を行っている。中国の伝統衣装である漢服(ハンフ
ー)文化をはじめ、様々な文化発信や異文化交流に力を注いでいる。
※「鶴の橋渡し」コラム このコラムは、日本語を勉強している中国人学生の目線から、様々な日中文化をエッセイの形で紹介する。「鶴」は「長く幸せを運び、千年の長寿」を意味し、「橋渡し」は「橋をかけること」を意味している。日中国交正常化が50周年を迎えた年に、コラムの発信者らが千年生きる瑞鳥のように、日中間の橋掛けとなり、日中交流が末永く続きますようにという願いが込められている。