ESMOD×PARISMIKI PROJECT ミュゼフュージョン(=ファッションとメガネの融合)
[12/09/26]
提供元:@Press
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【コンセプト】
ミュゼフュージョン(=ファッションとメガネの融合)。
見せる世界から魅せる世界へ。
【イベント内容】
パリファッションウィーク2012期間中(9月25日〜10月3日)、株式会社三城ホールディングスとパリのファッション・服飾の専門校 エスモードとのコラボレーションイベントを開催します。
パリオペラ通りにあるパリミキオペラ店内をものづくりの空間、発信のステージとしてメガネだけにとらわれることなくファッション、デザインの本質、可能性や未来を追究する若い学生達の創造力を発表、展示公開します。
ショーウィンドウと店内に展示された、エスモードParis校の作品とミキのクリエーターズコレクション、メガネの廃材などを利用したディスプレイ、アクセサリーなどが展示されます。
ちなみに日本国内ではエスモードジャポンとのコラボレーションイベントを2010年創業80周年記念イベントを皮切りに、渋谷、神戸、京都等で開催し、ご来場された沢山のお客様から好評を得ました。
今回のコラボレーションイベントは、若きクリエーターたちの独自性、創造性の可能性を追求し、商品のデザインや店舗開発に至る様々なコラボレーションを創造するイベントです。
このパリでの新しい試みは、40年前にパリに進出した時と同様、今後のミキグループの展開に大きな影響を与えると確信しております。
【参考-1】
ESMOD
エスモードパリ本校は170年前に創設された世界最古のファッション専門教育機関。現在、世界14カ国に21校を開設している。日本には東京校と大阪校がある。
詳しくは http://www.esmod.com/fr/prehome/index.html
【参考-2】
株式会社三城ホールディングス
1930年の創業以来、時代や環境に適応しながら、お客様お一人おひとりに真摯にお合わせすることを考えてまいりました。
現在海外210店舗、国内949店舗を展開している東証1部上場企業。
1974年はじめての海外出店となったパリミキオペラ店は、その後のミキグループの成長と躍進に大きく貢献することとなる。
当時、日本国内ではメガネはまだまだ視力矯正のためというイメージが強く
女性にとってはメガネを掛けるということはかなり抵抗をあたえるものであった。
もっと自信を持って、ファッションとして女性はもちろん男性にも認められる
フレームデザインが必要と考えパリへ出店(当時としては画期的な決断であった)。
ミュゼフュージョン(=ファッションとメガネの融合)。
見せる世界から魅せる世界へ。
【イベント内容】
パリファッションウィーク2012期間中(9月25日〜10月3日)、株式会社三城ホールディングスとパリのファッション・服飾の専門校 エスモードとのコラボレーションイベントを開催します。
パリオペラ通りにあるパリミキオペラ店内をものづくりの空間、発信のステージとしてメガネだけにとらわれることなくファッション、デザインの本質、可能性や未来を追究する若い学生達の創造力を発表、展示公開します。
ショーウィンドウと店内に展示された、エスモードParis校の作品とミキのクリエーターズコレクション、メガネの廃材などを利用したディスプレイ、アクセサリーなどが展示されます。
ちなみに日本国内ではエスモードジャポンとのコラボレーションイベントを2010年創業80周年記念イベントを皮切りに、渋谷、神戸、京都等で開催し、ご来場された沢山のお客様から好評を得ました。
今回のコラボレーションイベントは、若きクリエーターたちの独自性、創造性の可能性を追求し、商品のデザインや店舗開発に至る様々なコラボレーションを創造するイベントです。
このパリでの新しい試みは、40年前にパリに進出した時と同様、今後のミキグループの展開に大きな影響を与えると確信しております。
【参考-1】
ESMOD
エスモードパリ本校は170年前に創設された世界最古のファッション専門教育機関。現在、世界14カ国に21校を開設している。日本には東京校と大阪校がある。
詳しくは http://www.esmod.com/fr/prehome/index.html
【参考-2】
株式会社三城ホールディングス
1930年の創業以来、時代や環境に適応しながら、お客様お一人おひとりに真摯にお合わせすることを考えてまいりました。
現在海外210店舗、国内949店舗を展開している東証1部上場企業。
1974年はじめての海外出店となったパリミキオペラ店は、その後のミキグループの成長と躍進に大きく貢献することとなる。
当時、日本国内ではメガネはまだまだ視力矯正のためというイメージが強く
女性にとってはメガネを掛けるということはかなり抵抗をあたえるものであった。
もっと自信を持って、ファッションとして女性はもちろん男性にも認められる
フレームデザインが必要と考えパリへ出店(当時としては画期的な決断であった)。