ダイコク電機 Research Memo(12):業界のリーディングカンパニーとして盤石な事業基盤を築く
[14/12/25]
提供元:株式会社フィスコ
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注目トピックス 日本株
■沿革
ダイコク電機<6430>は、1964年、現代表取締役社長の栢森秀行(かやもりひでゆき)氏の実父である栢森新治(かやもりしんじ)氏によって大阪に電子計算機の代理店として設立された。その後、電磁カウンター(計数器)の販売や、バッティングセンターのピッチングマシンに搭載するコイン数値制御装置の開発などで実績を上げた。1968年にパチンコ玉をカウントする装置を開発したのがパチンコ業界との付き合いの始まりである。1974年にホールコンピュータ事業に参入すると、遊技機の電子化が進んだ90年代以降、ホールコンピュータはホール経営の最重要ツールとして業界の土台を支えるまでになった。
1990年には、パチンコホール向け会員制情報提供サービス「DK-SIS」や、大当たり情報を表示できる業界初の呼び出しランプを開始すると、1991年にはファン向け情報公開端末「データロボ」を発売。データ管理と情報公開を意識した革新的な機能を開発することで、ホール経営の効率化を支援するとともに、ファンに対しても新しい楽しみ方の提供等を通じて、ホールの業績向上に貢献してきた。
業界のリーディングカンパニーとして盤石な事業基盤を築いてきた同社であったが、1996年にパチンコ業界で遊技機内規変更が行われ、「社会的不適合機」と呼ばれた射幸性が高い機種約70万台が自主撤去された時期には、同社の業績も落ち込み、年間約100人の従業員が辞める事態に陥った。そのような環境下で同社に入社した現代表取締役社長の栢森秀行氏は、京都大学大学院で情報工学を学んだ経歴を持ち、現状の基盤拡充はもちろん、大量に保有するデータに着眼した次世代事業の構想を描いている。
また、パチンコ・パチスロをアミューズメントに変えるという強い思いのもと、2006年にはパチスロメーカー「DAXEL(ダクセル)(株)」を立ち上げ、自らパチスロ事業へも参入した。
株式上場は2002年11月。東証2部及び名証2部に上場すると、2004年4月には東証1部及び名証1部へ指定替えとなった。2014年は、創業から50年を迎えるとともに、遊技業界をコアにビジネスを手掛ける企業で初めて日本経済団体連合会(経団連)の会員になった。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 柴田 郁夫)
<FA>
ダイコク電機<6430>は、1964年、現代表取締役社長の栢森秀行(かやもりひでゆき)氏の実父である栢森新治(かやもりしんじ)氏によって大阪に電子計算機の代理店として設立された。その後、電磁カウンター(計数器)の販売や、バッティングセンターのピッチングマシンに搭載するコイン数値制御装置の開発などで実績を上げた。1968年にパチンコ玉をカウントする装置を開発したのがパチンコ業界との付き合いの始まりである。1974年にホールコンピュータ事業に参入すると、遊技機の電子化が進んだ90年代以降、ホールコンピュータはホール経営の最重要ツールとして業界の土台を支えるまでになった。
1990年には、パチンコホール向け会員制情報提供サービス「DK-SIS」や、大当たり情報を表示できる業界初の呼び出しランプを開始すると、1991年にはファン向け情報公開端末「データロボ」を発売。データ管理と情報公開を意識した革新的な機能を開発することで、ホール経営の効率化を支援するとともに、ファンに対しても新しい楽しみ方の提供等を通じて、ホールの業績向上に貢献してきた。
業界のリーディングカンパニーとして盤石な事業基盤を築いてきた同社であったが、1996年にパチンコ業界で遊技機内規変更が行われ、「社会的不適合機」と呼ばれた射幸性が高い機種約70万台が自主撤去された時期には、同社の業績も落ち込み、年間約100人の従業員が辞める事態に陥った。そのような環境下で同社に入社した現代表取締役社長の栢森秀行氏は、京都大学大学院で情報工学を学んだ経歴を持ち、現状の基盤拡充はもちろん、大量に保有するデータに着眼した次世代事業の構想を描いている。
また、パチンコ・パチスロをアミューズメントに変えるという強い思いのもと、2006年にはパチスロメーカー「DAXEL(ダクセル)(株)」を立ち上げ、自らパチスロ事業へも参入した。
株式上場は2002年11月。東証2部及び名証2部に上場すると、2004年4月には東証1部及び名証1部へ指定替えとなった。2014年は、創業から50年を迎えるとともに、遊技業界をコアにビジネスを手掛ける企業で初めて日本経済団体連合会(経団連)の会員になった。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 柴田 郁夫)
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