MDNT Research Memo(2):苦況期乗り越え、企業変革へ乗り出す
[20/07/21]
提供元:株式会社フィスコ
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注目トピックス 日本株
■会社概要
1. 沿革
メディネット<2370>は、「がん免疫細胞治療」領域のパイオニアとして走り続けてきた創業25年を迎える老舗バイオベンチャーである。
(1) 創業の思い
創業者である木村佳司氏のプロフィールを振りかえる。木村氏は、自ら苦労を買って出る性分らしく何事にも深く首を突っ込み猛勉強を行い、当時所属していた組織で担当していた複数の分野のスペシャリストとなった。医療ビジネスに転身するきっかけは(株)保谷硝子(現HOYA<7741>)でコンタクトレンズや医療機器の販売を担当したことが背景にあるという。1999年にがん免疫細胞治療の開発・実用化する同社を創業した。木村氏は子供の頃からひどい小児ぜん息を患っており、「ぜん息を治したい。健康になりたい」という思いが根底にあった。ぜん息は免疫疾患で薬での根治は難しく、体の免疫力のバランスを整えることで快方に向かう病気である。そのため、同社を立ち上げた時も、免疫の領域で新しい事業を始めたいという思いがあった。
そして、木村氏と東京大学医科研でがんの免疫療法を研究してきた医師の故 江川滉二教授との出会いが化学反応を起こし、2人は「がん治療の副作用から多くの患者さんを救うにはがん免疫細胞治療しかない」と大きな可能性を感じたという。がん免疫細胞治療は、血液内の免疫細胞に着目し、患者の血液から採取した免疫細胞を体外で培養し、機能を強化して体内に戻し、がんに対する免疫力を引き上げる仕組みである。自分の免疫力を使ってがんを攻撃することができる。その後、木村氏と江川氏(相談役として)は二人三脚で同社をけん引していった。
(2) 画期的ビジネスモデル「免疫細胞療法総合支援サービス」をデザインし事業化に成功
当時、再生・細胞医療は今ほど認知されておらず、がん免疫細胞治療についてもその有効性を示すデータは出ていたものの、事業として成立させるのは無理だと言われていた。しかし、患者のためにこの新しい治療法を普及させることは大変意義があると考え、「だれもやらないなら自分たちでやるしかない」との思いから、「免疫細胞療法総合支援サービス」(当時)というまったく新しい事業モデルをデザインし、事業化するに至り、1999年に江川教授が創業の地名を冠して命名・開院した国内初のがん免疫細胞治療専門クリニックである瀬田クリニック(現 医療法人社団 滉志会 瀬田クリニック東京)へ当該サービスの提供を開始した。
(3) 売上半減の苦況期
同社の細胞加工業の売上高は、最盛時1,876百万円(2016年9月期)まで拡大したが、その後激減し、997百万円(2018年9月期)と売上半減となった。その背景にはがん治療分野の免疫チェックポイント阻害剤の普及などが挙げられるが、最大の要因は、現時点では“自費診療”となる「がん免疫細胞治療」への風当たりが強かったことのようだ。通常、がん治療計画は標準治療(手術、放射線治療、抗がん剤など)をベースに主治医が立てる。理解のある主治医は患者からの要望も踏まえ、自分の得意な治療以外にも効果のあるがん治療法(がん免疫細胞治療等)を取り入れて患者に最善の治療が提供できるよう検討する。しかし標準治療以外は行わないという主治医も多くいる。一般的に“自費診療”の肯定派、否定派は半々であるようだ。否定派の医師は「保険で認められていない治療はよくない」という見解で、患者の要望を受け入れず、同社の細胞加工に関わるがん免疫細胞治療の適用が見送られるケースが多発したようだ。
医療行政も保険財源をベースとした際、患者の利益のための「がん治療法」「がん治療薬」「保険適用」を含めた総合医療政策を今後どう考えるかの曲がり角に来ているように思える。
(4) 中期経営計画「ACCEPT2021戦略」を掲げ事業構造改革で“黒転”へ
同社は2018年9月期から2021年9月期にかけて中期経営計画「ACCEPT2021戦略」を掲げている。同社の収益構造等の改善・改革に乗り出した。目指すのは、細胞加工業における製造体制の効率化及び2019年9月期の収支均衡、そして再生医療等製品のパイプライン拡充と早期収益化である。
細胞加工業は2018年9月期に入ると売上が急減、大幅な赤字が見込まれ、事業再生は待ったなしの状況となった。「ACCEPT2021戦略」による事業構造改革により、2018年9月期から全国4拠点あった細胞培養加工施設の統合集約、連結子会社2社の吸収合併、早期退職募集の実施、研究開発投資の大幅抑制に取り組んだことで2019年9月期は、セグメント利益89百万円となった。わずか1年間で“黒転”へと回復した。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 清水啓司)
<EY>
1. 沿革
メディネット<2370>は、「がん免疫細胞治療」領域のパイオニアとして走り続けてきた創業25年を迎える老舗バイオベンチャーである。
(1) 創業の思い
創業者である木村佳司氏のプロフィールを振りかえる。木村氏は、自ら苦労を買って出る性分らしく何事にも深く首を突っ込み猛勉強を行い、当時所属していた組織で担当していた複数の分野のスペシャリストとなった。医療ビジネスに転身するきっかけは(株)保谷硝子(現HOYA<7741>)でコンタクトレンズや医療機器の販売を担当したことが背景にあるという。1999年にがん免疫細胞治療の開発・実用化する同社を創業した。木村氏は子供の頃からひどい小児ぜん息を患っており、「ぜん息を治したい。健康になりたい」という思いが根底にあった。ぜん息は免疫疾患で薬での根治は難しく、体の免疫力のバランスを整えることで快方に向かう病気である。そのため、同社を立ち上げた時も、免疫の領域で新しい事業を始めたいという思いがあった。
そして、木村氏と東京大学医科研でがんの免疫療法を研究してきた医師の故 江川滉二教授との出会いが化学反応を起こし、2人は「がん治療の副作用から多くの患者さんを救うにはがん免疫細胞治療しかない」と大きな可能性を感じたという。がん免疫細胞治療は、血液内の免疫細胞に着目し、患者の血液から採取した免疫細胞を体外で培養し、機能を強化して体内に戻し、がんに対する免疫力を引き上げる仕組みである。自分の免疫力を使ってがんを攻撃することができる。その後、木村氏と江川氏(相談役として)は二人三脚で同社をけん引していった。
(2) 画期的ビジネスモデル「免疫細胞療法総合支援サービス」をデザインし事業化に成功
当時、再生・細胞医療は今ほど認知されておらず、がん免疫細胞治療についてもその有効性を示すデータは出ていたものの、事業として成立させるのは無理だと言われていた。しかし、患者のためにこの新しい治療法を普及させることは大変意義があると考え、「だれもやらないなら自分たちでやるしかない」との思いから、「免疫細胞療法総合支援サービス」(当時)というまったく新しい事業モデルをデザインし、事業化するに至り、1999年に江川教授が創業の地名を冠して命名・開院した国内初のがん免疫細胞治療専門クリニックである瀬田クリニック(現 医療法人社団 滉志会 瀬田クリニック東京)へ当該サービスの提供を開始した。
(3) 売上半減の苦況期
同社の細胞加工業の売上高は、最盛時1,876百万円(2016年9月期)まで拡大したが、その後激減し、997百万円(2018年9月期)と売上半減となった。その背景にはがん治療分野の免疫チェックポイント阻害剤の普及などが挙げられるが、最大の要因は、現時点では“自費診療”となる「がん免疫細胞治療」への風当たりが強かったことのようだ。通常、がん治療計画は標準治療(手術、放射線治療、抗がん剤など)をベースに主治医が立てる。理解のある主治医は患者からの要望も踏まえ、自分の得意な治療以外にも効果のあるがん治療法(がん免疫細胞治療等)を取り入れて患者に最善の治療が提供できるよう検討する。しかし標準治療以外は行わないという主治医も多くいる。一般的に“自費診療”の肯定派、否定派は半々であるようだ。否定派の医師は「保険で認められていない治療はよくない」という見解で、患者の要望を受け入れず、同社の細胞加工に関わるがん免疫細胞治療の適用が見送られるケースが多発したようだ。
医療行政も保険財源をベースとした際、患者の利益のための「がん治療法」「がん治療薬」「保険適用」を含めた総合医療政策を今後どう考えるかの曲がり角に来ているように思える。
(4) 中期経営計画「ACCEPT2021戦略」を掲げ事業構造改革で“黒転”へ
同社は2018年9月期から2021年9月期にかけて中期経営計画「ACCEPT2021戦略」を掲げている。同社の収益構造等の改善・改革に乗り出した。目指すのは、細胞加工業における製造体制の効率化及び2019年9月期の収支均衡、そして再生医療等製品のパイプライン拡充と早期収益化である。
細胞加工業は2018年9月期に入ると売上が急減、大幅な赤字が見込まれ、事業再生は待ったなしの状況となった。「ACCEPT2021戦略」による事業構造改革により、2018年9月期から全国4拠点あった細胞培養加工施設の統合集約、連結子会社2社の吸収合併、早期退職募集の実施、研究開発投資の大幅抑制に取り組んだことで2019年9月期は、セグメント利益89百万円となった。わずか1年間で“黒転”へと回復した。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 清水啓司)
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