新型肺炎以来、なぜ李克強が習近平より目立つのか?(1)【中国問題グローバル研究所】
[20/02/13]
提供元:株式会社フィスコ
提供元:株式会社フィスコ
GRICI
【中国問題グローバル研究所】は、中国の国際関係や経済などの現状、今後の動向について研究するグローバルシンクタンク。筑波大学名誉教授の遠藤 誉所長を中心として、トランプ政権の ”Committee on the Present Danger: China” の創設メンバーであるアーサー・ウォルドロン教授、北京郵電大学の孫 啓明教授、アナリストのフレイザー・ハウイー氏などが研究員として在籍している。関係各国から研究員を募り、中国問題を調査分析してひとつのプラットフォームを形成。考察をオンライン上のホームページ「中国問題グローバル研究所」(※1)にて配信している。
◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってご紹介する。
???
1月20日の新型コロナウイルス肺炎に関する「重要指示」を出してから、習近平は2回しか公けの場に姿を現していない。なぜか?実はそこには習近平が生涯封印しておきたいような深刻な背景がある。この背景こそが新型肺炎を全世界に蔓延させた元凶だ。
◆「重要指示」発布の時、習近平はどこで何をしていたのか?
新型コロナウイルス肺炎発生以来、習近平国家主席が公けの場に姿を現すことは少なく、最初が1月28日に北京の人民大会堂でWHOのテドロス事務局長と会見した時(※2)で、次は2月5日に同じく人民大会堂でカンボジアのフン・セン首相と会見した時(※3)だけである。それ以外は姿を現さず、専ら李克強が鐘南山を横に置きながら会議を開いたり記者会見をしたりする姿が多く見られる。
権力闘争論者たちが飛びつくような状況なのだが、実はここには習近平にとっては致命的な背景がある。
習近平は早くから1月17日〜18日にミャンマーを公式訪問し、1日〜21日は雲南省を視察すると決まっていた。外国訪問となるとよほどのことがない限り直前のキャンセルは困難だろうし、また雲南行きも護衛や列車の保衛などがあり、ルートを変えるのは「よほどのことがない限り」容易ではない側面もあるかもしれない。
それは理解するとしても、1月24日付コラム<新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?>(※4)で述べたように、1月5日には上海市公共衛生臨床センターが病原菌は「歴史上見たことがない新型コロナウイルスだ」と明言したのだから、万全の警戒態勢に入っていなければならなかったはずだ。
ところが習近平は武漢市が発する「問題は解決しています。制御可能です」という忖度メッセージを信じてしまい、以下のパラグラフで述べる現場の医者や免疫学者の必死の警告を重視しなかったとしか言いようがない。結果、1月17日という、すでに危険領域に入っている中で、李克強国務院総理に北京の政治を全て任せてミャンマーと雲南に出かけてしまったのである。
一般に国家主席が北京にいないときは国務院総理が、国務院総理が北京にいないときは国家主席が北京に残るということを基本ルールとして中国は動いているので、李克強が北京に残ったというのは常識的な現象だろう。
しかし北京に対して「当面気に入ってもらえさえすれば、それでいい」と、あり得ない忖度をする武漢政府を信じ、上海市公共衛生臨床センターにいる専門家たちの警告を重視しなかったからこそ習近平はこの事態を「よほどのこと」とは解釈せず、ミャンマーに行ってしまったものと判断される。つまり、「国家の非常事態」に対する習近平の判断ミスがあったということになる。
「外交だから仕方がない」という言い訳ができないのは、なんとミャンマーの帰りに、近くにある雲南省の新年訪問に3日間も費やしていることだ。1月19日から21日にかけての雲南省での「習近平のめでたい姿」を新華網(※5)でご覧いただきたい。中国新聞網(※6)にもある。また、中国チベット網(※7)には一部分動画もあり、車に乗って春節巡りをしている様子の写真もある。いずれにしても、「めでたい」ではないか。1月20日には新型コロナウイルス肺炎に関する「重要指示」を出しているというのに、春節巡りなどしている場合か。
それだけではない。1月21日の雲南訪問終わると、なんと江沢民に「春節のご挨拶」に行っている。その報道の仕方がどうも奇妙だ。新華網(※8)の報道には「工夫」がこらしてある。そこには「春節前夜、中共中央総書記・国家主席・中央軍事委員会主席の習近平等、党と国家の指導者たちは、それぞれ別々に(手分けして)、江沢民、胡錦涛、朱鎔基・・・・・等々の老同志に直接ご挨拶あるいは他の人に委託してご挨拶をして、老同志たちの春節の喜びを伝え、健康長寿をお祈りした」と、書いてある。
つまり、以下のことが曖昧模糊(あいまいもこ)となるように表現しているのである。
1.習近平が実際に江沢民に会いに行ったのか、それとも他の関係者に委託して習近平の代わりにご挨拶に行ってもらったのかが分からない。
2.江沢民は日ごろ上海にいるが、果たして習近平は雲南の帰路に上海に立ち寄ったのか、それとも江沢民が「偶然」北京にいたのか分からない。したがって習近平が直接、江沢民にご挨拶に行ったとしても、北京で会ったのか上海で会ったのかは不明。
何れにしても、「1月20日に習近平国家主席の名において重要指示を発布した」というのに、21日には江沢民など「老同志」に春節のご挨拶をトップ指導層が一斉にやったということは確かだ。そんなことをしている場合ではないだろう。
ここに書いた情報は、その内削除されるかもしれないので、興味のある方は、ここまでの中国側のリンク先はダウンロードしておいた方がいいかもしれない。
ご参考までにミャンマーにおける習近平の姿はこちら(※9)で見ることができる。これも削除候補になるかもしれない。
『新型肺炎以来、なぜ李克強が習近平より目立つのか?(2)【中国問題グローバル研究所】』へ続く
(本論はYahooニュース個人からの転載である)
写真:代表撮影/ロイター/アフロ
※1:https://grici.or.jp/
※2:http://www.xinhuanet.com/politics/leaders/2020-01/28/c_1125508752.htm
※3:http://pic.people.com.cn/n1/2020/0205/c426981-31573019.html
※4:https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20200124-00160069/
※5:http://www.xinhuanet.com/politics/leaders/2020-01/21/c_1125490916.htm
※6:http://www.chinanews.com/gn/2020/01-21/9066325.shtml
※7:http://www.tibet.cn/cn/index/tt/202001/t20200123_6739912.html
※8:http://www.xinhuanet.com/politics/2020-01/22/c_1125493873.htm
※9:http://www.xinhuanet.com/world/2020-01/18/c_1125478106.htm
<SI>
◇以下、中国問題グローバル研究所のホームページでも配信している遠藤 誉所長の考察を2回に渡ってご紹介する。
???
1月20日の新型コロナウイルス肺炎に関する「重要指示」を出してから、習近平は2回しか公けの場に姿を現していない。なぜか?実はそこには習近平が生涯封印しておきたいような深刻な背景がある。この背景こそが新型肺炎を全世界に蔓延させた元凶だ。
◆「重要指示」発布の時、習近平はどこで何をしていたのか?
新型コロナウイルス肺炎発生以来、習近平国家主席が公けの場に姿を現すことは少なく、最初が1月28日に北京の人民大会堂でWHOのテドロス事務局長と会見した時(※2)で、次は2月5日に同じく人民大会堂でカンボジアのフン・セン首相と会見した時(※3)だけである。それ以外は姿を現さず、専ら李克強が鐘南山を横に置きながら会議を開いたり記者会見をしたりする姿が多く見られる。
権力闘争論者たちが飛びつくような状況なのだが、実はここには習近平にとっては致命的な背景がある。
習近平は早くから1月17日〜18日にミャンマーを公式訪問し、1日〜21日は雲南省を視察すると決まっていた。外国訪問となるとよほどのことがない限り直前のキャンセルは困難だろうし、また雲南行きも護衛や列車の保衛などがあり、ルートを変えるのは「よほどのことがない限り」容易ではない側面もあるかもしれない。
それは理解するとしても、1月24日付コラム<新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?>(※4)で述べたように、1月5日には上海市公共衛生臨床センターが病原菌は「歴史上見たことがない新型コロナウイルスだ」と明言したのだから、万全の警戒態勢に入っていなければならなかったはずだ。
ところが習近平は武漢市が発する「問題は解決しています。制御可能です」という忖度メッセージを信じてしまい、以下のパラグラフで述べる現場の医者や免疫学者の必死の警告を重視しなかったとしか言いようがない。結果、1月17日という、すでに危険領域に入っている中で、李克強国務院総理に北京の政治を全て任せてミャンマーと雲南に出かけてしまったのである。
一般に国家主席が北京にいないときは国務院総理が、国務院総理が北京にいないときは国家主席が北京に残るということを基本ルールとして中国は動いているので、李克強が北京に残ったというのは常識的な現象だろう。
しかし北京に対して「当面気に入ってもらえさえすれば、それでいい」と、あり得ない忖度をする武漢政府を信じ、上海市公共衛生臨床センターにいる専門家たちの警告を重視しなかったからこそ習近平はこの事態を「よほどのこと」とは解釈せず、ミャンマーに行ってしまったものと判断される。つまり、「国家の非常事態」に対する習近平の判断ミスがあったということになる。
「外交だから仕方がない」という言い訳ができないのは、なんとミャンマーの帰りに、近くにある雲南省の新年訪問に3日間も費やしていることだ。1月19日から21日にかけての雲南省での「習近平のめでたい姿」を新華網(※5)でご覧いただきたい。中国新聞網(※6)にもある。また、中国チベット網(※7)には一部分動画もあり、車に乗って春節巡りをしている様子の写真もある。いずれにしても、「めでたい」ではないか。1月20日には新型コロナウイルス肺炎に関する「重要指示」を出しているというのに、春節巡りなどしている場合か。
それだけではない。1月21日の雲南訪問終わると、なんと江沢民に「春節のご挨拶」に行っている。その報道の仕方がどうも奇妙だ。新華網(※8)の報道には「工夫」がこらしてある。そこには「春節前夜、中共中央総書記・国家主席・中央軍事委員会主席の習近平等、党と国家の指導者たちは、それぞれ別々に(手分けして)、江沢民、胡錦涛、朱鎔基・・・・・等々の老同志に直接ご挨拶あるいは他の人に委託してご挨拶をして、老同志たちの春節の喜びを伝え、健康長寿をお祈りした」と、書いてある。
つまり、以下のことが曖昧模糊(あいまいもこ)となるように表現しているのである。
1.習近平が実際に江沢民に会いに行ったのか、それとも他の関係者に委託して習近平の代わりにご挨拶に行ってもらったのかが分からない。
2.江沢民は日ごろ上海にいるが、果たして習近平は雲南の帰路に上海に立ち寄ったのか、それとも江沢民が「偶然」北京にいたのか分からない。したがって習近平が直接、江沢民にご挨拶に行ったとしても、北京で会ったのか上海で会ったのかは不明。
何れにしても、「1月20日に習近平国家主席の名において重要指示を発布した」というのに、21日には江沢民など「老同志」に春節のご挨拶をトップ指導層が一斉にやったということは確かだ。そんなことをしている場合ではないだろう。
ここに書いた情報は、その内削除されるかもしれないので、興味のある方は、ここまでの中国側のリンク先はダウンロードしておいた方がいいかもしれない。
ご参考までにミャンマーにおける習近平の姿はこちら(※9)で見ることができる。これも削除候補になるかもしれない。
『新型肺炎以来、なぜ李克強が習近平より目立つのか?(2)【中国問題グローバル研究所】』へ続く
(本論はYahooニュース個人からの転載である)
写真:代表撮影/ロイター/アフロ
※1:https://grici.or.jp/
※2:http://www.xinhuanet.com/politics/leaders/2020-01/28/c_1125508752.htm
※3:http://pic.people.com.cn/n1/2020/0205/c426981-31573019.html
※4:https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20200124-00160069/
※5:http://www.xinhuanet.com/politics/leaders/2020-01/21/c_1125490916.htm
※6:http://www.chinanews.com/gn/2020/01-21/9066325.shtml
※7:http://www.tibet.cn/cn/index/tt/202001/t20200123_6739912.html
※8:http://www.xinhuanet.com/politics/2020-01/22/c_1125493873.htm
※9:http://www.xinhuanet.com/world/2020-01/18/c_1125478106.htm
<SI>