児童期の言語機能に遺伝要因が年齢に応じて関与〜ことばの発達の仕組み解明に貢献
[16/11/30]
提供元:共同通信PRワイヤー
提供元:共同通信PRワイヤー
2016年11月30日
公立大学法人 首都大学東京
児童期の言語機能に遺伝要因が年齢に応じて関与〜ことばの発達の仕組み解明に貢献
言語の獲得には、遺伝要因と環境要因の両者が関与していると考えられています。しかし、言語獲得を実現する遺伝子群が解明されていない上に、遺伝子と環境の相互作用が言語機能に与える影響は複雑であるため、その実態は明らかにされていませんでした。
首都大学東京大学院人文科学研究科/言語の脳遺伝学研究センターの故萩原裕子教授と杉浦理砂特任准教授らの研究グループは、小学生約250人を対象に、COMT遺伝子※の多型(個人によりタイプが異なる)と、母語である日本語を使用する能力、および、言語課題遂行時の脳活動との関係性について調べました。その結果、COMT遺伝子のタイプにより、行動と脳活動に現れる言語機能に違いがあることが明らかになりました。更に、COMT遺伝子多型の言語機能に対する影響は学童期において一定ではなく、年齢と共に変化することが示されました。本結果は、言語獲得の過程に、遺伝要因が年齢に依存した形で反映される可能性を示唆しています。
本研究成果は、2016年11月30日(日本時間午後5時)に米国科学誌「Cerebral Cortex(大脳皮質)」のオンライン版で公開されます。本研究は、理化学研究所/脳科学総合研究センター・分子精神科学研究チーム(チームリーダー:吉川武男)との共同研究であり、同研究所 言語発達研究チーム 馬塚れい子チームリーダーの協力を得て行われました。
※COMT:catechol-O-methyl transferase (カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ)の略。
この遺伝子の多型と認知機能との関連性が報告されている。
◆研究のポイント
・COMT遺伝子の多型が、主に前頭前野が担う認知機能と関連することはこれまでに報告されていたが、
本研究では、児童期の言語機能に影響を与えることを初めて明らかにした。
・COMT遺伝子による言語機能への影響は、児童期の年齢により変化することを示した。
・COMT遺伝子の影響は、従来報告されてきた前頭前野機能に限られず、
後部言語野が担う機能にも及ぶことを示した。
【研究の背景と経緯】
「子どもは如何にして言語を獲得するか」という問いに対して、環境要因が重要であるという考え方(経験説)と、言語学者ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)が提唱するように、ヒトには言語獲得能力が遺伝的に備わっているという考え方(生得説)があります。近年の母語に関する言語獲得研究は、後者の考えに基づいてめざましく進展してきましたが、チョムスキーが提唱する言語能力の中核は文法であり、単語を覚えることや、読み・書き・聞き取り、文章理解などを含めた総合的な言語の使用はまた別の能力です。このような総合的な言語機能は、遺伝・環境要因が相互作用することにより発達が進むと考えられますが、それぞれの要因がもたらす影響や相互作用は複雑で、その実態は殆ど分かっていません。特に、言語機能に関わる遺伝子は検討され始めたばかりであり、児童期における言語機能に対する遺伝的影響を脳科学的な見地から調べることは課題となっていました。
【研究の内容】
首都大学東京/言語の脳遺伝学研究センターでは、小学生246人(年齢:6〜10歳)を対象に、遺伝要因と、母語である日本語を使用する能力、言語課題遂行時の脳活動の間の関係性を調べました。具体的には、個人ごとに(1)カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ (catechol-O-methyl transferase; COMT)遺伝子多型、(2)読み・書き・聞き取り、言語知識・文章理解の能力を問う言語調査に対する成績、(3)単語を復唱する時の脳活動を調べました。
COMTは、前頭前野が関与する認知機能や行動・性格特性との関連性が報告されている遺伝子で、ドーパミン、アドレナリン、ノルアドレナリンなどのカテコールアミンとよばれる神経伝達物質の代謝酵素です。中でもドーパミン伝達系の研究が最も進んでおり、ワーキングメモリ※との関連性が多く報告されています。
ヒトのCOMTにはVal158Met遺伝子多型があり、個人によってVal/Val、Val/Met、Met/Metの3つのタイプのいずれかに分類することができます。COMTがドーパミンを分解する酵素活性の程度は、Val/Val>Val/Met>Met/Metの順に小さくなり、これにより前頭前野のドーパミン量は逆にVal/Val<Val/Met<Met/Metの順に大きくなります。健常者に関する先行研究では、前頭葉機能を要する課題において、Met/Met を持つ群の方がVal/Val を持つ群より成績が良く、低い脳活動でも課題の遂行が可能で効率が良いという報告が多くなされています。このような報告では、前頭葉のドーパミン量が高いことが、課題のパフォーマンスに好影響を与えていると解釈されています。本研究では、唾液からDNAを抽出し、COMT遺伝子の多型を調べました。
※ワーキングメモリ:一時的に記憶や情報を保持しておく能力。また、保持した記憶を活用して同時に処理する能力。
会話・読み書き・計算などに欠かせない能力。作業記憶ともいう。
単語復唱時の脳活動の計測には、安全で計測時の負担が少ない光トポグラフィを用いました。この装置では、脳表面の血流における酸素化状態の変化を調べることができます。
計測では、出現頻度の異なる2種類の単語リスト(高頻度語と低頻度語)を用意し、それぞれのリストについて復唱課題を実施しました。高頻度語は100万語中50回以上の使用頻度、低頻度語は100万語中5回以下の使用頻度の単語としました。小学生にとっては、高頻度語は知っている単語ですが、低頻度語は知らない単語ばかりです。言語に関わると考えられる4つの領域((1)上・中側頭回後部(ウェルニッケ野周辺)、(2)角回、(3)縁上回、(4)下前頭回(ブローカ野周辺))に焦点をあてて、データを解析しました。
遺伝子解析の結果、本研究への参加者の遺伝子多型の分布は図1のようになりました。Met/Metを持つ参加者が一番少なく、次いでVal/Metを持つ参加者となり、一番多いのはVal/Valを持つ参加者でした。Met/Metの参加者は全体の7.7%しかいなかったため、Met/Met とVal/Metの参加者を纏めてMet群とし、Val/Valの参加者であるVal群との2群に分けて解析をしました。
言語調査の成績において、遺伝子多型のタイプ(Met群とVal群)により差があるかどうか、また小学校の学年(低学年群:6-8歳と高学年群:9-10歳)により差があるかどうかを調べた結果、Met群がVal群より、また高学年群が低学年群より有意に高い成績を示しました。同時に、COMT遺伝子多型と学年の交互作用が認められました。
事後解析の結果(図2)、低学年群ではMet群がVal群よりも良い成績を示した一方で、高学年群では群間に有意差はありませんでした。また、学年の効果を調べたところ、Met群においては年齢による成績に有意差はなく、Val群は学年が上がるとともに成績が有意に向上していました。Val群が高学年で顕著な成績の向上を示したことで、低学年に見られたMet群における成績の優位性が現れなくなったと考えられます。
次に、単語復唱時の脳活動に、上記4つの脳領域において、(1)COMT遺伝子多型(Met群とVal群)、(2)学年(低学年群と高学年群)、(3)単語リスト(高頻度語と低頻度語)、(4)大脳半球(左半球と右半球)による差異があるかを調べました。その結果、高頻度語処理時に、後部言語野(角回、上・中側頭回後部の2領域)において、Met群はVal群よりも活動が有意に大きく(図3)、非効率的な処理をしている可能性が示唆されました。
さらに、学年による違いを調べたところ、低学年群ではMet群とVal群で活動の大きさに差は認められなかったのに対し、高学年群ではMet群の活動がVal群よりも有意に高いことが分かりました。また、Met群においては、学年による差が無かったのに対し、Val群は学年が上がるとともに活動が低下しており、脳における処理の効率が向上している傾向が認められました。
これらの結果は、COMT遺伝子多型が言語機能に影響を与えることを示していると同時に、その影響が、6〜10歳という狭い年齢範囲において変化することを示唆しています。前頭前野のドーパミン量と認知課題の成績の間に「逆U字関係」があるとする仮説(Goldman-Rakic et al., 2000)がありますが、本研究の結果はこの仮説を支持するものと考えられます。また、この「逆U字関係」を支持する先行研究では、老化に伴う前頭前野のドーパミン量の減少が認知機能を低下させることを報告しています(図4、Nagel et al., 2008)。
一方で、ドーパミンの働きを高める薬物を投与すると、ワーキングメモリ課題の成績が悪かったVal群は成績が良くなるのに対し、良い成績を示していたMet群は成績が悪くなることが報告されています(Mattay et al., 2003)。これらの結果は、ドーパミンは欠乏しても、多すぎても課題の遂行に支障をきたし、前頭前野が効率的に機能するのに「最適なレベル」のドーパミン量があることを示唆しています。
本研究では、言語調査の成績は、低学年ではMet群が優位であったのに対し、高学年では両群の差がなく、また単語復唱時の脳活動は、低学年では両群に差がなかったのに対し、高学年ではMet群よりもVal群の方が低く、処理の効率が良いことが示されました。どちらの結果も、Met群に対してVal群の相対的な位置づけが学年とともに向上していることを示しています。従来の研究結果と併せて考えますと、低学年では、Val群よりもMet群の方がドーパミンの利用効率が高いために、言語機能の発達が進んでいる可能性が考えられます(図5の左図)。しかし、思春期直前期におけるドーパミンD1受容体の増加が示唆されていることから(Koga et al., 2016; Weickert et al., 2007)、高学年になると、Val群のドーパミンの利用効率が向上し、Met群と同程度に言語機能が向上すると考えられます(図5の右図)。
ドーパミンは大脳皮質の中では前頭葉に最も多く分布することから、従来のCOMT遺伝子多型に関する研究は、前頭葉機能との関連性ばかりに注目していました。しかし、本研究により、COMT遺伝子多型の影響は、前頭前野に限らず、広範な脳領域に及ぶことが示唆されました。近年、COMT遺伝子多型がデフォルトモード・ネットワーク(default mode network:DMN※) の活動性に関係することが報告されています(Stokes et al., 2011)。本研究では、COMT遺伝子の影響が前頭葉では見られず、後部言語野でのみ認められたこと、また、従来の研究でCOMT遺伝子の影響が多く確認されている前頭前野も、本研究でCOMT遺伝子の影響が確認された後部言語野の一部もDMNに含まれる脳領域であることから、COMT遺伝子は前頭前野に直接的に影響を及ぼすとは限らず、DMNに影響を及ぼす可能性が考えられます。
※DMN:安静時に活動性を高める脳領域が形成するネットワーク。領域間には神経線維による接続があり、同期して活動する。課題や外部刺激を与えると、活動を示す領域とこのネットワークの間の同期性は低下する。
【本研究の社会的意義】
本研究の結果から、COMT遺伝子が児童の言語機能に影響を与えることが示唆されましたが、その影響は一生涯を通じて同じではなく、6〜10歳という狭い年齢範囲においても変化し、また課題(総合的な言語能力を測る言語調査と単語復唱課題)によっても異なることが示されました。言語機能の個人差には遺伝要因の年齢に応じた影響が反映されることを踏まえて、長期的な展望で言語獲得過程を捉えることが重要であると考えられます。
●論文発表の概要
題名:“Age-Dependent Effects of Catechol-O-Methyltransferase (COMT) Gene Val158Met Polymorphism on Language Function in Developing Children”
(発達期の児童におけるカテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(COMT)遺伝子Val158Met多型の言語機能への年齢依存的影響)
著者:Lisa Sugiura*, Tomoko Toyota, Hiroko Matsuba-Kurita, Yoshimi Iwayama, Reiko Mazuka, Takeo Yoshikawa, and Hiroko Hagiwara ( * は筆頭著者)
雑誌名: Cerebral Cortex (大脳皮質)
公表日:2016年11月30日(オンライン版)
●研究費
本研究は、首都大学東京 言語の脳遺伝学研究センターにおいて行われたもので、首都大学東京新大都市リーディングプロジェクト基金、および科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発事業「脳科学と社会」研究開発領域 研究開発プログラム「脳科学と教育」(タイプII)の研究開発プロジェクト「言語の発達・脳の成長・言語教育に関する統合的研究」(平成16年12月〜平成21年11月)(研究代表者 萩原裕子)の一環として行われたものです。また、本研究の一部は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「脳科学研究戦略推進プログラム」の支援、および理化学研究所脳科学総合研究センターファンドの支援によって行われました。
公立大学法人 首都大学東京
児童期の言語機能に遺伝要因が年齢に応じて関与〜ことばの発達の仕組み解明に貢献
言語の獲得には、遺伝要因と環境要因の両者が関与していると考えられています。しかし、言語獲得を実現する遺伝子群が解明されていない上に、遺伝子と環境の相互作用が言語機能に与える影響は複雑であるため、その実態は明らかにされていませんでした。
首都大学東京大学院人文科学研究科/言語の脳遺伝学研究センターの故萩原裕子教授と杉浦理砂特任准教授らの研究グループは、小学生約250人を対象に、COMT遺伝子※の多型(個人によりタイプが異なる)と、母語である日本語を使用する能力、および、言語課題遂行時の脳活動との関係性について調べました。その結果、COMT遺伝子のタイプにより、行動と脳活動に現れる言語機能に違いがあることが明らかになりました。更に、COMT遺伝子多型の言語機能に対する影響は学童期において一定ではなく、年齢と共に変化することが示されました。本結果は、言語獲得の過程に、遺伝要因が年齢に依存した形で反映される可能性を示唆しています。
本研究成果は、2016年11月30日(日本時間午後5時)に米国科学誌「Cerebral Cortex(大脳皮質)」のオンライン版で公開されます。本研究は、理化学研究所/脳科学総合研究センター・分子精神科学研究チーム(チームリーダー:吉川武男)との共同研究であり、同研究所 言語発達研究チーム 馬塚れい子チームリーダーの協力を得て行われました。
※COMT:catechol-O-methyl transferase (カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ)の略。
この遺伝子の多型と認知機能との関連性が報告されている。
◆研究のポイント
・COMT遺伝子の多型が、主に前頭前野が担う認知機能と関連することはこれまでに報告されていたが、
本研究では、児童期の言語機能に影響を与えることを初めて明らかにした。
・COMT遺伝子による言語機能への影響は、児童期の年齢により変化することを示した。
・COMT遺伝子の影響は、従来報告されてきた前頭前野機能に限られず、
後部言語野が担う機能にも及ぶことを示した。
【研究の背景と経緯】
「子どもは如何にして言語を獲得するか」という問いに対して、環境要因が重要であるという考え方(経験説)と、言語学者ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)が提唱するように、ヒトには言語獲得能力が遺伝的に備わっているという考え方(生得説)があります。近年の母語に関する言語獲得研究は、後者の考えに基づいてめざましく進展してきましたが、チョムスキーが提唱する言語能力の中核は文法であり、単語を覚えることや、読み・書き・聞き取り、文章理解などを含めた総合的な言語の使用はまた別の能力です。このような総合的な言語機能は、遺伝・環境要因が相互作用することにより発達が進むと考えられますが、それぞれの要因がもたらす影響や相互作用は複雑で、その実態は殆ど分かっていません。特に、言語機能に関わる遺伝子は検討され始めたばかりであり、児童期における言語機能に対する遺伝的影響を脳科学的な見地から調べることは課題となっていました。
【研究の内容】
首都大学東京/言語の脳遺伝学研究センターでは、小学生246人(年齢:6〜10歳)を対象に、遺伝要因と、母語である日本語を使用する能力、言語課題遂行時の脳活動の間の関係性を調べました。具体的には、個人ごとに(1)カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ (catechol-O-methyl transferase; COMT)遺伝子多型、(2)読み・書き・聞き取り、言語知識・文章理解の能力を問う言語調査に対する成績、(3)単語を復唱する時の脳活動を調べました。
COMTは、前頭前野が関与する認知機能や行動・性格特性との関連性が報告されている遺伝子で、ドーパミン、アドレナリン、ノルアドレナリンなどのカテコールアミンとよばれる神経伝達物質の代謝酵素です。中でもドーパミン伝達系の研究が最も進んでおり、ワーキングメモリ※との関連性が多く報告されています。
ヒトのCOMTにはVal158Met遺伝子多型があり、個人によってVal/Val、Val/Met、Met/Metの3つのタイプのいずれかに分類することができます。COMTがドーパミンを分解する酵素活性の程度は、Val/Val>Val/Met>Met/Metの順に小さくなり、これにより前頭前野のドーパミン量は逆にVal/Val<Val/Met<Met/Metの順に大きくなります。健常者に関する先行研究では、前頭葉機能を要する課題において、Met/Met を持つ群の方がVal/Val を持つ群より成績が良く、低い脳活動でも課題の遂行が可能で効率が良いという報告が多くなされています。このような報告では、前頭葉のドーパミン量が高いことが、課題のパフォーマンスに好影響を与えていると解釈されています。本研究では、唾液からDNAを抽出し、COMT遺伝子の多型を調べました。
※ワーキングメモリ:一時的に記憶や情報を保持しておく能力。また、保持した記憶を活用して同時に処理する能力。
会話・読み書き・計算などに欠かせない能力。作業記憶ともいう。
単語復唱時の脳活動の計測には、安全で計測時の負担が少ない光トポグラフィを用いました。この装置では、脳表面の血流における酸素化状態の変化を調べることができます。
計測では、出現頻度の異なる2種類の単語リスト(高頻度語と低頻度語)を用意し、それぞれのリストについて復唱課題を実施しました。高頻度語は100万語中50回以上の使用頻度、低頻度語は100万語中5回以下の使用頻度の単語としました。小学生にとっては、高頻度語は知っている単語ですが、低頻度語は知らない単語ばかりです。言語に関わると考えられる4つの領域((1)上・中側頭回後部(ウェルニッケ野周辺)、(2)角回、(3)縁上回、(4)下前頭回(ブローカ野周辺))に焦点をあてて、データを解析しました。
遺伝子解析の結果、本研究への参加者の遺伝子多型の分布は図1のようになりました。Met/Metを持つ参加者が一番少なく、次いでVal/Metを持つ参加者となり、一番多いのはVal/Valを持つ参加者でした。Met/Metの参加者は全体の7.7%しかいなかったため、Met/Met とVal/Metの参加者を纏めてMet群とし、Val/Valの参加者であるVal群との2群に分けて解析をしました。
言語調査の成績において、遺伝子多型のタイプ(Met群とVal群)により差があるかどうか、また小学校の学年(低学年群:6-8歳と高学年群:9-10歳)により差があるかどうかを調べた結果、Met群がVal群より、また高学年群が低学年群より有意に高い成績を示しました。同時に、COMT遺伝子多型と学年の交互作用が認められました。
事後解析の結果(図2)、低学年群ではMet群がVal群よりも良い成績を示した一方で、高学年群では群間に有意差はありませんでした。また、学年の効果を調べたところ、Met群においては年齢による成績に有意差はなく、Val群は学年が上がるとともに成績が有意に向上していました。Val群が高学年で顕著な成績の向上を示したことで、低学年に見られたMet群における成績の優位性が現れなくなったと考えられます。
次に、単語復唱時の脳活動に、上記4つの脳領域において、(1)COMT遺伝子多型(Met群とVal群)、(2)学年(低学年群と高学年群)、(3)単語リスト(高頻度語と低頻度語)、(4)大脳半球(左半球と右半球)による差異があるかを調べました。その結果、高頻度語処理時に、後部言語野(角回、上・中側頭回後部の2領域)において、Met群はVal群よりも活動が有意に大きく(図3)、非効率的な処理をしている可能性が示唆されました。
さらに、学年による違いを調べたところ、低学年群ではMet群とVal群で活動の大きさに差は認められなかったのに対し、高学年群ではMet群の活動がVal群よりも有意に高いことが分かりました。また、Met群においては、学年による差が無かったのに対し、Val群は学年が上がるとともに活動が低下しており、脳における処理の効率が向上している傾向が認められました。
これらの結果は、COMT遺伝子多型が言語機能に影響を与えることを示していると同時に、その影響が、6〜10歳という狭い年齢範囲において変化することを示唆しています。前頭前野のドーパミン量と認知課題の成績の間に「逆U字関係」があるとする仮説(Goldman-Rakic et al., 2000)がありますが、本研究の結果はこの仮説を支持するものと考えられます。また、この「逆U字関係」を支持する先行研究では、老化に伴う前頭前野のドーパミン量の減少が認知機能を低下させることを報告しています(図4、Nagel et al., 2008)。
一方で、ドーパミンの働きを高める薬物を投与すると、ワーキングメモリ課題の成績が悪かったVal群は成績が良くなるのに対し、良い成績を示していたMet群は成績が悪くなることが報告されています(Mattay et al., 2003)。これらの結果は、ドーパミンは欠乏しても、多すぎても課題の遂行に支障をきたし、前頭前野が効率的に機能するのに「最適なレベル」のドーパミン量があることを示唆しています。
本研究では、言語調査の成績は、低学年ではMet群が優位であったのに対し、高学年では両群の差がなく、また単語復唱時の脳活動は、低学年では両群に差がなかったのに対し、高学年ではMet群よりもVal群の方が低く、処理の効率が良いことが示されました。どちらの結果も、Met群に対してVal群の相対的な位置づけが学年とともに向上していることを示しています。従来の研究結果と併せて考えますと、低学年では、Val群よりもMet群の方がドーパミンの利用効率が高いために、言語機能の発達が進んでいる可能性が考えられます(図5の左図)。しかし、思春期直前期におけるドーパミンD1受容体の増加が示唆されていることから(Koga et al., 2016; Weickert et al., 2007)、高学年になると、Val群のドーパミンの利用効率が向上し、Met群と同程度に言語機能が向上すると考えられます(図5の右図)。
ドーパミンは大脳皮質の中では前頭葉に最も多く分布することから、従来のCOMT遺伝子多型に関する研究は、前頭葉機能との関連性ばかりに注目していました。しかし、本研究により、COMT遺伝子多型の影響は、前頭前野に限らず、広範な脳領域に及ぶことが示唆されました。近年、COMT遺伝子多型がデフォルトモード・ネットワーク(default mode network:DMN※) の活動性に関係することが報告されています(Stokes et al., 2011)。本研究では、COMT遺伝子の影響が前頭葉では見られず、後部言語野でのみ認められたこと、また、従来の研究でCOMT遺伝子の影響が多く確認されている前頭前野も、本研究でCOMT遺伝子の影響が確認された後部言語野の一部もDMNに含まれる脳領域であることから、COMT遺伝子は前頭前野に直接的に影響を及ぼすとは限らず、DMNに影響を及ぼす可能性が考えられます。
※DMN:安静時に活動性を高める脳領域が形成するネットワーク。領域間には神経線維による接続があり、同期して活動する。課題や外部刺激を与えると、活動を示す領域とこのネットワークの間の同期性は低下する。
【本研究の社会的意義】
本研究の結果から、COMT遺伝子が児童の言語機能に影響を与えることが示唆されましたが、その影響は一生涯を通じて同じではなく、6〜10歳という狭い年齢範囲においても変化し、また課題(総合的な言語能力を測る言語調査と単語復唱課題)によっても異なることが示されました。言語機能の個人差には遺伝要因の年齢に応じた影響が反映されることを踏まえて、長期的な展望で言語獲得過程を捉えることが重要であると考えられます。
●論文発表の概要
題名:“Age-Dependent Effects of Catechol-O-Methyltransferase (COMT) Gene Val158Met Polymorphism on Language Function in Developing Children”
(発達期の児童におけるカテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(COMT)遺伝子Val158Met多型の言語機能への年齢依存的影響)
著者:Lisa Sugiura*, Tomoko Toyota, Hiroko Matsuba-Kurita, Yoshimi Iwayama, Reiko Mazuka, Takeo Yoshikawa, and Hiroko Hagiwara ( * は筆頭著者)
雑誌名: Cerebral Cortex (大脳皮質)
公表日:2016年11月30日(オンライン版)
●研究費
本研究は、首都大学東京 言語の脳遺伝学研究センターにおいて行われたもので、首都大学東京新大都市リーディングプロジェクト基金、および科学技術振興機構(JST)社会技術研究開発事業「脳科学と社会」研究開発領域 研究開発プログラム「脳科学と教育」(タイプII)の研究開発プロジェクト「言語の発達・脳の成長・言語教育に関する統合的研究」(平成16年12月〜平成21年11月)(研究代表者 萩原裕子)の一環として行われたものです。また、本研究の一部は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の「脳科学研究戦略推進プログラム」の支援、および理化学研究所脳科学総合研究センターファンドの支援によって行われました。