日本コロムビア創立110周年の記念として人間国宝や名匠らによる日本の伝統音楽の代表的な名演、人気曲を一挙配信スタート!
[20/09/30]
提供元:PRTIMES
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9月30日配信限定 全14タイトル【コロムビア110周年記念配信】伝統音楽の至宝シリーズ
日本の音楽文化、レコードの歴史を築いてきた日本コロムビアは明治43(1910)年10月1日創立より今年で110周年を迎える。
創立当時、“義太夫(義太夫三味線)、謡曲、浪花節、長唄、薩摩琵琶、筑前琵琶、小唄、端唄、新内、軍談、俚謡、落語、俗曲、尺八、演劇台詞(歌舞伎)”等、
伝統邦楽だけでなく様々な数多くのレパートリーを「名人レコード」という名をつけ、売り出した。
以降110年もの間、各種の音楽や音をきざみ収録したが、今シリーズでは110年の歴史を蘇らせるだけでなく、
日本文化をより豊かにしてきた伝統楽器、うた、かたり、演奏、各邦楽分野の歴史的名匠による至芸を広く選曲し、
【配信】という現代に即した形で一挙14タイトルをリリース。
各音楽ストリーミングサービスおよびiTunes Store、レコチョク、moraなど主要ダウンロードサービスにて配信スタートする。
詳しくはこちら↓
伝統音楽の至宝シリーズ”商品ページ https://columbia.jp/hougaku-shihou/
日本コロムビア伝統音楽ホームページhttps://columbia.jp/hougaku/
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タイトル一覧↓
祝賀の雅楽 〜萬歳楽・越天楽〜
演奏:伶楽舎
音楽監督:芝 祐靖(文化勲章受章者・人間国宝・日本芸術院会員)
箏・三絃〜新鮮・華麗・熱烈〜 沢井忠夫ベスト演奏集
沢井忠夫
尺八の世界〜ジャズと伝統尺八の邂逅(めぐりあい)〜
初代 山本邦山(人間国宝)
義太夫三味線(文楽)の魅力
鶴澤清治(人間国宝・日本芸術院会員)
長唄・歌舞伎舞踊 七代目 芳村伊十郎 長唄名演集
七代目 芳村伊十郎(人間国宝)
地歌 〜江戸時代初期からの伝統を継ぐ〜
初代 富山清翁(初代 清琴)(人間国宝・日本芸術院会員)
二代目 富山清琴(人間国宝)
箏曲地歌 〜古雅を最高に伝える〜
菊原初子(人間国宝)
菊原光治
舞踊 大和楽 舞姿(上)
舞踊 大和楽 舞姿(下)
「四季の笛」IN 京都
二世 藤舎名生(人間国宝)
琴の魅力 〜美しく煌めき香る〜
初代 米川敏子(人間国宝)
沖縄の名唱(人間国宝) 〜生命(ぬち)燃えるうた〜
照喜名朝一(人間国宝)・島袋正雄(人間国宝)・
城間徳太郎(人間国宝)・宮城能鳳(人間国宝)・西江喜春(人間国宝)
講談名人
一龍斎貞水(人間国宝)
浪曲名人
初代 京山幸枝若
*人間国宝とは国が認定した重要無形文化財各個人認定保持者である。
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各タイトル詳細↓
■祝賀の雅楽 〜萬歳楽・越天楽〜
演奏:伶楽舎
音楽監督:芝 祐靖(文化勲章受章者・人間国宝・日本芸術院会員)
[画像1: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-329649-0.jpg ]
COKM-42872
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https://VA.lnk.to/r1X5srldPR
芝 祐靖音楽監督の指揮のもと、きめ細やかな音のオーケストレーションは女性を含む雅楽演奏団体
「伶楽舎(れいがくしゃ)」の定評あるところ。2020年6月「第50回ENEOS音楽賞 邦楽部門」を受賞。
「祝いの雅楽」は慶祝の雅楽曲を集めたアルバム。
珍しい「地久」や童舞「迦陵頻」、よく知られる名曲「越天楽」の曲をおさめた。
雅楽
“日本最古の音楽”。7世紀聖徳太子の時代、韓国から(伎楽 ぎがく)の仮面舞踊劇として輸入された。
やがて古代朝鮮(高麗楽・右方)、中国(唐楽・左方)、そして日本古来の伝統音楽や新しく作られ生まれた歌や舞の(大歌所)と三系統の雅楽が纏まってきた。
「雅楽」には管絃(純器楽曲)とテンポのある舞楽曲(舞がある曲)、また唐楽の楽器をもちいる(催馬楽 さいばら)や
管楽器の(朗詠 ろうえい)と日本伝統的歌舞の(神楽・東遊 あずまあそび)の声楽曲があり、伝承演奏する宮内庁式部職楽部がある。
■箏・三絃〜新鮮・華麗・熱烈〜 沢井忠夫ベスト演奏集
沢井忠夫
[画像2: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-198601-1.jpg ]
COKM-42873
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箏・三絃(こと・さんげん)
「箏」は奈良時代から「雅楽」の合奏に使われ、14世紀室町時代に北九州筑紫地方で筑紫箏といわれ寺院で弾かれ、
江戸初期八橋検校から一般の人にひろまりました。その孫弟子生田(いくた)検校によって三絃(地歌箏曲にては三味線の別称)との合奏(手事物)が始まり「生田流箏曲」として全国に伝わりはじめる。
19世紀初めには江戸にて山田検校により「山田流箏曲」が発展していった。
「三味線」は16世紀中頃沖縄から大阪堺へ輸入され「三線(さんしん)」から「三味線」へ姿をかえて流布していった。
■尺八の世界〜ジャズと伝統尺八の邂逅(めぐりあい)〜
初代 山本邦山(人間国宝)
[画像3: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-487223-2.jpg ]
COKM-42874
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原 信夫シャ-プ&フラッツのビッグジャズバンド、海外や国内のジャズメンとの公演、
また映画「悪魔が来りて笛を吹く」の音楽も担当、山本邦山の尺八音楽ジャンルは幅が広い。
特に尺八のアドリブは独自の感性を邦楽器との特色の高低や尺八手法を音楽的にとりいれ、澄んだ音色で鮮やかに表現し、また作曲も多い。
また古典から現代曲、オーケストラ協奏曲とを見事に尺八にかけた演奏者といえる。
尺八
真竹の根元の部分で1尺8寸(約54センチ)からつくり、禅宗のひとつ“普化(ふけ)宗”にて使われる楽器を
“普化(ふけ)尺八”という。
尺八は天蓋(深いあみがさ)で尺八托鉢した虚無僧しか吹けなかった。18世紀初、普化宗本山の黒沢琴古が出、琴古流尺八の基礎をつくり一般人へ尺八を教授、三味線、箏と合奏曲をはじめる。
明治中頃には大阪にて初世中尾都山が今までと違った新しい本曲を創作。
一躍全国に広がり、ほかに明暗流、錦風流、西園流、海道普門の派等がある。
■義太夫三味線(文楽)の魅力
鶴澤清治(人間国宝・日本芸術院会員)
(つるざわ せいじ)
[画像4: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-499075-3.jpg ]
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これらの曲をはじめとして演奏会や地歌舞、上方舞、座敷舞、京舞として祇園、北七軒などにて舞をも鑑賞することができる。
三味線の合方、手事、道行の前弾きなど「野崎」の連れ引き道行等を文楽三味線で表現した三味線音楽集といえる。義太夫三味線のパワーあふれる音と魂をゆさぶる「一撥入魂」の技で生きる魂で弾く世界を聴いてほしい。
義太夫
“義太夫節”は17世紀後半、初代竹本義太夫が大阪竹本座を興し人形操りと結びつき発展した。(現在の「文楽」のはじめ)
また“義太夫節”は語る太夫と伴奏の太棹三味線伴奏と近松門左衛門を座付作者に迎えたことも大変大きく、
その幅広い曲節独自の芸風努力が実って新しい義太夫節と人形と結びつき、演劇的性格を加味していったといわれ現代まで伝承されている。
やがて「浄瑠璃」というと「義太夫節」を言うようにもなった。
■長唄・歌舞伎舞踊 七代目 芳村伊十郎 長唄名演集
七代目 芳村伊十郎(人間国宝)
(しちだいめ よしむら いじゅうろう)
[画像5: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-965335-4.jpg ]
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戦後の舞踊、歌舞伎邦楽界にて、持ち前の美声とハコビ(曲全体を盛り上げていくやり方)の絶品さは追従を許さなかった長唄名人といえる。唄い出しの言の葉の艶やかさは、若きから芸への弛まぬ精進からといえる。
その極めの名曲を聴いていただきたい。
長唄
18世紀中ごろ上方の歌舞伎役者によって江戸へ運ばれたのが三味線や笛・大鼓・小鼓・太鼓(四拍子)伴奏による舞踊曲「長唄」である。
劇場ばかりでなく舞や囃子のつかない曲としても演奏鑑賞され、やがて「大薩摩」という浄瑠璃の権利を受け取り、
歯切れよく、明るいテンポを持ち、常磐津・清元などの掛け合い演奏がおこなわれ芸幅も広くなった。
作調は謡曲、狂言、浄瑠璃、はやり歌、民謡などを多岐にとりいれられている。
長唄三味線は細棹。
■地歌 〜江戸時代初期からの伝統を継ぐ〜
初代 富山清翁(初代 清琴)(とみやま せいおう)(人間国宝・日本芸術院会員)
二代目 富山清琴(人間国宝)
[画像6: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-274589-5.jpg ]
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地歌とは江戸時代上方方面で三味線歌曲としてうたわれた歌をいう。
まず富山清琴師の低音の深みと地歌三味線の豊かな艶やかな音色を聴いてほしい。
若き頃から稽古熱心さとひたむきな芸への姿勢は終生変わらない演奏者としても有名だった。
地歌の古い楽曲を多数保持、大切にし、声の出し方、発音、三味線の一音一音を丁寧に演奏することにこころがけていた。
二代目は初代の芸風を現代に見事に受け継いだ名手。
地歌
「地歌」は“自分達のうた”という意味で京阪の「地の歌」からきている。
「地歌」は三味線を伴奏とする歌曲。
種類は「三味線組歌(地歌でいちばん古い三味線歌曲)」、「長歌(元禄頃流行った。「長唄」とはことなる)、「端唄(地歌舞等にもつかわれる<ゆき><黒髪>)」、「手事物(曲中の間奏に入れる合奏部分がある<残月><八千代獅子>)」、「浄瑠璃物(絶えてしまいこの曲にのみ残っている<永閑節の笑顔><繁太夫節の三吉>」、「作物(三味線の音でねずみの鳴き声を擬したり、滑稽な歌曲<曲ねずみ><たにし>」に区別されている。富山清琴(清翁)師は(作物)を得意とし、会場を沸かせた。
■箏曲地歌 〜古雅を最高に伝える〜
菊原初子(きくはら はつこ)(人間国宝)
菊原光治(きくはら こうじ)
[画像7: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-912326-6.jpg ]
COKM-42878
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17世紀末頃から大阪地歌野川流に伝わる三味線組歌全32曲を伝承するほか貴重な古曲も伝える菊原初子師の演奏。祇園、先斗町、上七軒の上方舞 座敷舞(山村・楳茂都・吉村・井上(京舞)など)、
日本舞踊はじめ多くの上方箏曲地歌の宝庫として貴重な名演奏者。
その直門の弟子菊原光治師のうたごころあふれる三絃は特筆される。
三味線組歌
「三味線組歌」は地歌の中でも最も古く近世邦楽の原点ともいわれている。
17世紀末頃から大阪地歌野川流のみに伝える「三味線組歌」全32曲を伝承する菊原初子師がいた。
また「生田流箏組歌」や貴重な古曲も伝え、穏やかな人柄と研究音熱心にくわえて、正確に伝承された演奏で評価が大変高い先生でもあった。
大阪船場言葉の扱い折り目ただしい大阪弁からも、谷崎潤一郎の「春琴抄」のモデルともいわれた。
■舞踊 大和楽 舞姿(上)
[画像8: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-521539-7.jpg ]
COKM-42879
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舞踊曲のなかでも新しく明治につくられた三味線舞踊曲。
江戸期や明治の人情や風俗をたくみによみこんだ曲が多い。
唄い手も今までになかった女性陣といい、唄も洋楽の発声法やハーモニーをもちいたりし、
邦楽には珍しいテクニックがある。最近の人気大和楽舞踊曲を集めた。
大和楽
1933年大倉喜七郎が創設した三味線音楽。
歌い方にハーモニー、ハミングなど洋楽の発声法や日本舞踊方面からも取り入れた。
1943年には大和楽団第一回公演を日比谷公会堂で開催した。
作詞も長田幹彦(あやめ)、田中青滋(河)、笹川臨風(雪折竹)邦枝完二(団十郎娘)、作曲には岸上きみ(狐・隅田川)宮川源次<清元榮寿郎>(あやめ)、(たけくらべ)、
大和久満(かしく道成寺)などによる江戸情緒や人情を巧みに読み込んだ優れた舞踊曲がある。
■舞踊 大和楽 舞姿(下)
[画像9: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-911693-8.jpg ]
COKM-42880
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舞踊曲のなかでも新しく明治につくられた三味線舞踊曲。
江戸期や明治の人情や風俗をたくみによみこんだ曲が多い。
唄い手も今までになかった女性陣といい、唄も洋楽の発声法やハーモニーをもちいたりし、
邦楽には珍しいテクニックがある。最近の人気大和楽舞踊曲を集めた。
■「四季の笛」IN京都
二世 藤舎名生(とうしゃ めいしょう)(人間国宝)
[画像10: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-400269-9.jpg ]
COKM-42881
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若き頃から笛や古典邦楽の手ほどきを受け、ツトム山下、猪俣猛等ジャズの方々とも共演する。
京都名所の数々を訪ね、満開の桜と声明の醍醐寺を背景にて、花の寺鐘楼堂、比叡山無動寺回峰者道にて、朝霧のおりるなか鳥が鳴く玉照院、三千院の鹿威し、寂光院にて。それぞれの自然と笛との対峙を表現する癒しの「四季の笛」。
笛
日本の横笛は女竹、煤竹、篠竹などをそれぞれ良材として用いる。
「源氏物語」に<雅楽>の ふえ・こまふえの楽器の名が書かれている。
<雅楽>の笛は3種類。先ず「龍笛」(約40センチ指孔7孔)の独奏から雅楽演奏は始まる。
雅楽笛の中で最も短く細い「高麗笛」(6孔)は高麗楽や「東遊」に、また「神楽歌」(6孔)に用いられる「神楽笛」は最も長く「龍笛」よりも細く「高麗笛」よりも太い、雅楽笛のなかでもっとも高貴な笛とされている。
また<能楽>で演奏する複雑な製作工程を経る「能管(のうかん)」(7孔)は、<歌舞伎囃子、祇園ばやし、里神楽>にも用いられ、またお祭り民謡などで吹かれる「篠笛」もある。
■琴の魅力 〜美しく煌めき香る〜
初代 米川敏子(よねかわ としこ)(人間国宝)
[画像11: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-394150-10.jpg ]
COKM-42882
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若き頃より父親の演奏に立ち合いスタジオに出入り、やがて作曲法も学んでいく。箏をもちいた舞台、映画、放送、現代邦楽と幅広く演奏の場を持った。
父、米川親敏師の古典てほどきから修得した独自の芸風、ベースにきめ細かい絹をまとわせたような輝く筝の音で魅了した。
このアルバムにはシャンソンも収録されている。戦後シャンソンブームの火付け役ジュリエット・グレコの名曲「枯葉」「パリの空の下」など琴の音に妙もいわれぬ哀愁を漂わせた曲も得意曲のひとつ。
筝(琴)
ことは箏、または琴とも書きます。絃を弾いて音を鳴らす。「琴」は平安時代には七絃で柱(じ)を立てずに
左手でポジションを押さえ素手で揆く。
また「筝」は十三絃の糸を持ち糸の間に柱(じ)を立てて調弦し、右手にはめた爪で揆く。
10世紀末には「琴」はなくなっていただろうと推測されてもいる。
「筝」はしばらく前には常用漢字には無くもっぱら争わない「琴」が使われていた。
現在でも産業経済省のコトの字は「琴」をつかう。箏の種類も17絃箏、20絃、25絃、30絃などの箏も作られている
■沖縄の名唱(人間国宝) 〜生命(ぬち)燃えるうた〜
照喜名朝一(てるきな ちょういち)(人間国宝)・島袋正雄(しまぶくろ まさお)(人間国宝)・
城間徳太郎(しろま とくたろう)(人間国宝)・宮城能鳳(みやぎ のうほう)(人間国宝)・西江喜春(にしえ きしゅん)(人間国宝)
[画像12: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-513193-11.jpg ]
COKM-42883
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沖縄にはうたと踊りが生活にとけこんでいるといわれる。
やはりそのエネルギーの源、沖縄音楽の楽しさはカチャーシーにあるといえる。
それと共にここには珍しい組踊の一部分、沖縄唱えを始め・うた・三線の名手(人間国宝)が一堂に。
まさに、雑踊、祝儀組曲、組踊、琉球古典舞踊などを収めている。
沖縄音楽
「沖縄はうたと踊りの島だ」といわれ、沖縄本島の島々では、首里王府の大もとの人たちにも王朝の古典音楽、歌舞の影響はつよく普及している。また雑踊りの熱情も元気にもっている。八重山の歌は共同作業をするときには結合・団結を意味する結(ゆ)いの歌、ユンタを唱和する。また宮古島ではたがいに励まし鼓舞するときには大勢集まってクチャーを歌いおどり、みんなで思い切り声を張り上げることで、ここでも皆の生命(ぬち)を振るい立たせ幾多の苦難を乗り越えてきた。
■講談名人
一龍斎貞水(いちりゅうさい ていすい)(人間国宝)
[画像13: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-307017-12.jpg ]
COKM-42884
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2002年、講談界で初の人間国宝認定者となる。
1975年この「誉れの鉢木」にて文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
張り扇(おうぎ)ひとつで流れるような歯切れ良き「軍記物」と川下りの情景描写の見事さも加わり「白波物」の話芸の面白さをみせる「木村の夜船」。
講談
17世紀頃、食に窮した浪人門付けの人などが寺社境内盛り場に場をかまえ「太平記読み」にはじまり軍談を語り、
やがて市中の寄せ場へ出ていくようになりなったのが「講釈(講談)」のはじまり。レパートリーはお家騒動、伝記物、
霊験物、敵討ち物、英雄豪傑物、侠客物、白浪物、お裁き物と多彩。18世紀後半頃深井志道軒等が
浅草境内に小屋張りに出始め、講釈は特に文化文政から明治にかけ盛んだった。講談と名をあらためた一龍斎派・田辺派・宝井派・神田派(白龍)・神田(山陽)・旭堂派<関西>等が元気だ。
無本で口演したのは天保時代(1891年頃)からでそれまでは台本を使用したという。
道具は釈台と張扇などまた関西は拍子木も使う。
■浪曲名人
初代 京山幸枝若(しょだい きょうやま こうしわか)
[画像14: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-601299-13.jpg ]
COKM-42885
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若き日から浪曲師の父親の厳しい稽古に耐え、浪曲京山門下に入門。
浪曲は勿論、歌謡曲はじめ河内音頭など持ち前の美声で会場を魅了。
「左 甚五郎シリーズ」は落語・滑稽もので、巧みな話術に爆笑を誘う。
最近の浪曲舞台は曲師(三味線伴奏)を舞台に出して見せますが、この頃は下手の幕の中、まして幸枝若師は2人の2挺三味線の伴奏で珍しかった。
伴奏パワーが出るからだともいいました。
持ちネタのなかでも十八番看板の名調子「左 甚五郎」を三題。
〈お時間まで〉
浪曲
祭などで寺社に祈願を読み上げる祭文をまねて、錫杖ほら貝などを手にし、門付けを行い歌祭文と説教浄瑠璃などを取り入れながら、でろれん祭文、ちょんがれ節、浮かれ節から小屋掛けにて三味線と結びつき「浪花節」とよばれた。
浪花亭駒吉などによって寄席に進出、初めて浪花節から浪曲へ変わったのは1916年のこと。
三味線弾きも曲師となる。
節は関東節・関西節・中京節があり、明治40年<武士道鼓吹>の初代桃中軒雲衛門は本郷座に出、明治45年に歌舞伎座の劇場出演までできるようになった。
関西には二代目吉田奈良丸(大和丞)、初代京山小円、京山若丸が出て明治末から大正を大いに飾った第一次黄金時代を迎えた。
日本の音楽文化、レコードの歴史を築いてきた日本コロムビアは明治43(1910)年10月1日創立より今年で110周年を迎える。
創立当時、“義太夫(義太夫三味線)、謡曲、浪花節、長唄、薩摩琵琶、筑前琵琶、小唄、端唄、新内、軍談、俚謡、落語、俗曲、尺八、演劇台詞(歌舞伎)”等、
伝統邦楽だけでなく様々な数多くのレパートリーを「名人レコード」という名をつけ、売り出した。
以降110年もの間、各種の音楽や音をきざみ収録したが、今シリーズでは110年の歴史を蘇らせるだけでなく、
日本文化をより豊かにしてきた伝統楽器、うた、かたり、演奏、各邦楽分野の歴史的名匠による至芸を広く選曲し、
【配信】という現代に即した形で一挙14タイトルをリリース。
各音楽ストリーミングサービスおよびiTunes Store、レコチョク、moraなど主要ダウンロードサービスにて配信スタートする。
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日本コロムビア伝統音楽ホームページhttps://columbia.jp/hougaku/
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祝賀の雅楽 〜萬歳楽・越天楽〜
演奏:伶楽舎
音楽監督:芝 祐靖(文化勲章受章者・人間国宝・日本芸術院会員)
箏・三絃〜新鮮・華麗・熱烈〜 沢井忠夫ベスト演奏集
沢井忠夫
尺八の世界〜ジャズと伝統尺八の邂逅(めぐりあい)〜
初代 山本邦山(人間国宝)
義太夫三味線(文楽)の魅力
鶴澤清治(人間国宝・日本芸術院会員)
長唄・歌舞伎舞踊 七代目 芳村伊十郎 長唄名演集
七代目 芳村伊十郎(人間国宝)
地歌 〜江戸時代初期からの伝統を継ぐ〜
初代 富山清翁(初代 清琴)(人間国宝・日本芸術院会員)
二代目 富山清琴(人間国宝)
箏曲地歌 〜古雅を最高に伝える〜
菊原初子(人間国宝)
菊原光治
舞踊 大和楽 舞姿(上)
舞踊 大和楽 舞姿(下)
「四季の笛」IN 京都
二世 藤舎名生(人間国宝)
琴の魅力 〜美しく煌めき香る〜
初代 米川敏子(人間国宝)
沖縄の名唱(人間国宝) 〜生命(ぬち)燃えるうた〜
照喜名朝一(人間国宝)・島袋正雄(人間国宝)・
城間徳太郎(人間国宝)・宮城能鳳(人間国宝)・西江喜春(人間国宝)
講談名人
一龍斎貞水(人間国宝)
浪曲名人
初代 京山幸枝若
*人間国宝とは国が認定した重要無形文化財各個人認定保持者である。
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■祝賀の雅楽 〜萬歳楽・越天楽〜
演奏:伶楽舎
音楽監督:芝 祐靖(文化勲章受章者・人間国宝・日本芸術院会員)
[画像1: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-329649-0.jpg ]
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芝 祐靖音楽監督の指揮のもと、きめ細やかな音のオーケストレーションは女性を含む雅楽演奏団体
「伶楽舎(れいがくしゃ)」の定評あるところ。2020年6月「第50回ENEOS音楽賞 邦楽部門」を受賞。
「祝いの雅楽」は慶祝の雅楽曲を集めたアルバム。
珍しい「地久」や童舞「迦陵頻」、よく知られる名曲「越天楽」の曲をおさめた。
雅楽
“日本最古の音楽”。7世紀聖徳太子の時代、韓国から(伎楽 ぎがく)の仮面舞踊劇として輸入された。
やがて古代朝鮮(高麗楽・右方)、中国(唐楽・左方)、そして日本古来の伝統音楽や新しく作られ生まれた歌や舞の(大歌所)と三系統の雅楽が纏まってきた。
「雅楽」には管絃(純器楽曲)とテンポのある舞楽曲(舞がある曲)、また唐楽の楽器をもちいる(催馬楽 さいばら)や
管楽器の(朗詠 ろうえい)と日本伝統的歌舞の(神楽・東遊 あずまあそび)の声楽曲があり、伝承演奏する宮内庁式部職楽部がある。
■箏・三絃〜新鮮・華麗・熱烈〜 沢井忠夫ベスト演奏集
沢井忠夫
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箏・三絃(こと・さんげん)
「箏」は奈良時代から「雅楽」の合奏に使われ、14世紀室町時代に北九州筑紫地方で筑紫箏といわれ寺院で弾かれ、
江戸初期八橋検校から一般の人にひろまりました。その孫弟子生田(いくた)検校によって三絃(地歌箏曲にては三味線の別称)との合奏(手事物)が始まり「生田流箏曲」として全国に伝わりはじめる。
19世紀初めには江戸にて山田検校により「山田流箏曲」が発展していった。
「三味線」は16世紀中頃沖縄から大阪堺へ輸入され「三線(さんしん)」から「三味線」へ姿をかえて流布していった。
■尺八の世界〜ジャズと伝統尺八の邂逅(めぐりあい)〜
初代 山本邦山(人間国宝)
[画像3: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-487223-2.jpg ]
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原 信夫シャ-プ&フラッツのビッグジャズバンド、海外や国内のジャズメンとの公演、
また映画「悪魔が来りて笛を吹く」の音楽も担当、山本邦山の尺八音楽ジャンルは幅が広い。
特に尺八のアドリブは独自の感性を邦楽器との特色の高低や尺八手法を音楽的にとりいれ、澄んだ音色で鮮やかに表現し、また作曲も多い。
また古典から現代曲、オーケストラ協奏曲とを見事に尺八にかけた演奏者といえる。
尺八
真竹の根元の部分で1尺8寸(約54センチ)からつくり、禅宗のひとつ“普化(ふけ)宗”にて使われる楽器を
“普化(ふけ)尺八”という。
尺八は天蓋(深いあみがさ)で尺八托鉢した虚無僧しか吹けなかった。18世紀初、普化宗本山の黒沢琴古が出、琴古流尺八の基礎をつくり一般人へ尺八を教授、三味線、箏と合奏曲をはじめる。
明治中頃には大阪にて初世中尾都山が今までと違った新しい本曲を創作。
一躍全国に広がり、ほかに明暗流、錦風流、西園流、海道普門の派等がある。
■義太夫三味線(文楽)の魅力
鶴澤清治(人間国宝・日本芸術院会員)
(つるざわ せいじ)
[画像4: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-499075-3.jpg ]
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これらの曲をはじめとして演奏会や地歌舞、上方舞、座敷舞、京舞として祇園、北七軒などにて舞をも鑑賞することができる。
三味線の合方、手事、道行の前弾きなど「野崎」の連れ引き道行等を文楽三味線で表現した三味線音楽集といえる。義太夫三味線のパワーあふれる音と魂をゆさぶる「一撥入魂」の技で生きる魂で弾く世界を聴いてほしい。
義太夫
“義太夫節”は17世紀後半、初代竹本義太夫が大阪竹本座を興し人形操りと結びつき発展した。(現在の「文楽」のはじめ)
また“義太夫節”は語る太夫と伴奏の太棹三味線伴奏と近松門左衛門を座付作者に迎えたことも大変大きく、
その幅広い曲節独自の芸風努力が実って新しい義太夫節と人形と結びつき、演劇的性格を加味していったといわれ現代まで伝承されている。
やがて「浄瑠璃」というと「義太夫節」を言うようにもなった。
■長唄・歌舞伎舞踊 七代目 芳村伊十郎 長唄名演集
七代目 芳村伊十郎(人間国宝)
(しちだいめ よしむら いじゅうろう)
[画像5: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-965335-4.jpg ]
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戦後の舞踊、歌舞伎邦楽界にて、持ち前の美声とハコビ(曲全体を盛り上げていくやり方)の絶品さは追従を許さなかった長唄名人といえる。唄い出しの言の葉の艶やかさは、若きから芸への弛まぬ精進からといえる。
その極めの名曲を聴いていただきたい。
長唄
18世紀中ごろ上方の歌舞伎役者によって江戸へ運ばれたのが三味線や笛・大鼓・小鼓・太鼓(四拍子)伴奏による舞踊曲「長唄」である。
劇場ばかりでなく舞や囃子のつかない曲としても演奏鑑賞され、やがて「大薩摩」という浄瑠璃の権利を受け取り、
歯切れよく、明るいテンポを持ち、常磐津・清元などの掛け合い演奏がおこなわれ芸幅も広くなった。
作調は謡曲、狂言、浄瑠璃、はやり歌、民謡などを多岐にとりいれられている。
長唄三味線は細棹。
■地歌 〜江戸時代初期からの伝統を継ぐ〜
初代 富山清翁(初代 清琴)(とみやま せいおう)(人間国宝・日本芸術院会員)
二代目 富山清琴(人間国宝)
[画像6: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-274589-5.jpg ]
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地歌とは江戸時代上方方面で三味線歌曲としてうたわれた歌をいう。
まず富山清琴師の低音の深みと地歌三味線の豊かな艶やかな音色を聴いてほしい。
若き頃から稽古熱心さとひたむきな芸への姿勢は終生変わらない演奏者としても有名だった。
地歌の古い楽曲を多数保持、大切にし、声の出し方、発音、三味線の一音一音を丁寧に演奏することにこころがけていた。
二代目は初代の芸風を現代に見事に受け継いだ名手。
地歌
「地歌」は“自分達のうた”という意味で京阪の「地の歌」からきている。
「地歌」は三味線を伴奏とする歌曲。
種類は「三味線組歌(地歌でいちばん古い三味線歌曲)」、「長歌(元禄頃流行った。「長唄」とはことなる)、「端唄(地歌舞等にもつかわれる<ゆき><黒髪>)」、「手事物(曲中の間奏に入れる合奏部分がある<残月><八千代獅子>)」、「浄瑠璃物(絶えてしまいこの曲にのみ残っている<永閑節の笑顔><繁太夫節の三吉>」、「作物(三味線の音でねずみの鳴き声を擬したり、滑稽な歌曲<曲ねずみ><たにし>」に区別されている。富山清琴(清翁)師は(作物)を得意とし、会場を沸かせた。
■箏曲地歌 〜古雅を最高に伝える〜
菊原初子(きくはら はつこ)(人間国宝)
菊原光治(きくはら こうじ)
[画像7: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-912326-6.jpg ]
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17世紀末頃から大阪地歌野川流に伝わる三味線組歌全32曲を伝承するほか貴重な古曲も伝える菊原初子師の演奏。祇園、先斗町、上七軒の上方舞 座敷舞(山村・楳茂都・吉村・井上(京舞)など)、
日本舞踊はじめ多くの上方箏曲地歌の宝庫として貴重な名演奏者。
その直門の弟子菊原光治師のうたごころあふれる三絃は特筆される。
三味線組歌
「三味線組歌」は地歌の中でも最も古く近世邦楽の原点ともいわれている。
17世紀末頃から大阪地歌野川流のみに伝える「三味線組歌」全32曲を伝承する菊原初子師がいた。
また「生田流箏組歌」や貴重な古曲も伝え、穏やかな人柄と研究音熱心にくわえて、正確に伝承された演奏で評価が大変高い先生でもあった。
大阪船場言葉の扱い折り目ただしい大阪弁からも、谷崎潤一郎の「春琴抄」のモデルともいわれた。
■舞踊 大和楽 舞姿(上)
[画像8: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-521539-7.jpg ]
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舞踊曲のなかでも新しく明治につくられた三味線舞踊曲。
江戸期や明治の人情や風俗をたくみによみこんだ曲が多い。
唄い手も今までになかった女性陣といい、唄も洋楽の発声法やハーモニーをもちいたりし、
邦楽には珍しいテクニックがある。最近の人気大和楽舞踊曲を集めた。
大和楽
1933年大倉喜七郎が創設した三味線音楽。
歌い方にハーモニー、ハミングなど洋楽の発声法や日本舞踊方面からも取り入れた。
1943年には大和楽団第一回公演を日比谷公会堂で開催した。
作詞も長田幹彦(あやめ)、田中青滋(河)、笹川臨風(雪折竹)邦枝完二(団十郎娘)、作曲には岸上きみ(狐・隅田川)宮川源次<清元榮寿郎>(あやめ)、(たけくらべ)、
大和久満(かしく道成寺)などによる江戸情緒や人情を巧みに読み込んだ優れた舞踊曲がある。
■舞踊 大和楽 舞姿(下)
[画像9: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-911693-8.jpg ]
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舞踊曲のなかでも新しく明治につくられた三味線舞踊曲。
江戸期や明治の人情や風俗をたくみによみこんだ曲が多い。
唄い手も今までになかった女性陣といい、唄も洋楽の発声法やハーモニーをもちいたりし、
邦楽には珍しいテクニックがある。最近の人気大和楽舞踊曲を集めた。
■「四季の笛」IN京都
二世 藤舎名生(とうしゃ めいしょう)(人間国宝)
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若き頃から笛や古典邦楽の手ほどきを受け、ツトム山下、猪俣猛等ジャズの方々とも共演する。
京都名所の数々を訪ね、満開の桜と声明の醍醐寺を背景にて、花の寺鐘楼堂、比叡山無動寺回峰者道にて、朝霧のおりるなか鳥が鳴く玉照院、三千院の鹿威し、寂光院にて。それぞれの自然と笛との対峙を表現する癒しの「四季の笛」。
笛
日本の横笛は女竹、煤竹、篠竹などをそれぞれ良材として用いる。
「源氏物語」に<雅楽>の ふえ・こまふえの楽器の名が書かれている。
<雅楽>の笛は3種類。先ず「龍笛」(約40センチ指孔7孔)の独奏から雅楽演奏は始まる。
雅楽笛の中で最も短く細い「高麗笛」(6孔)は高麗楽や「東遊」に、また「神楽歌」(6孔)に用いられる「神楽笛」は最も長く「龍笛」よりも細く「高麗笛」よりも太い、雅楽笛のなかでもっとも高貴な笛とされている。
また<能楽>で演奏する複雑な製作工程を経る「能管(のうかん)」(7孔)は、<歌舞伎囃子、祇園ばやし、里神楽>にも用いられ、またお祭り民謡などで吹かれる「篠笛」もある。
■琴の魅力 〜美しく煌めき香る〜
初代 米川敏子(よねかわ としこ)(人間国宝)
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若き頃より父親の演奏に立ち合いスタジオに出入り、やがて作曲法も学んでいく。箏をもちいた舞台、映画、放送、現代邦楽と幅広く演奏の場を持った。
父、米川親敏師の古典てほどきから修得した独自の芸風、ベースにきめ細かい絹をまとわせたような輝く筝の音で魅了した。
このアルバムにはシャンソンも収録されている。戦後シャンソンブームの火付け役ジュリエット・グレコの名曲「枯葉」「パリの空の下」など琴の音に妙もいわれぬ哀愁を漂わせた曲も得意曲のひとつ。
筝(琴)
ことは箏、または琴とも書きます。絃を弾いて音を鳴らす。「琴」は平安時代には七絃で柱(じ)を立てずに
左手でポジションを押さえ素手で揆く。
また「筝」は十三絃の糸を持ち糸の間に柱(じ)を立てて調弦し、右手にはめた爪で揆く。
10世紀末には「琴」はなくなっていただろうと推測されてもいる。
「筝」はしばらく前には常用漢字には無くもっぱら争わない「琴」が使われていた。
現在でも産業経済省のコトの字は「琴」をつかう。箏の種類も17絃箏、20絃、25絃、30絃などの箏も作られている
■沖縄の名唱(人間国宝) 〜生命(ぬち)燃えるうた〜
照喜名朝一(てるきな ちょういち)(人間国宝)・島袋正雄(しまぶくろ まさお)(人間国宝)・
城間徳太郎(しろま とくたろう)(人間国宝)・宮城能鳳(みやぎ のうほう)(人間国宝)・西江喜春(にしえ きしゅん)(人間国宝)
[画像12: https://prtimes.jp/i/19470/1184/resize/d19470-1184-513193-11.jpg ]
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沖縄にはうたと踊りが生活にとけこんでいるといわれる。
やはりそのエネルギーの源、沖縄音楽の楽しさはカチャーシーにあるといえる。
それと共にここには珍しい組踊の一部分、沖縄唱えを始め・うた・三線の名手(人間国宝)が一堂に。
まさに、雑踊、祝儀組曲、組踊、琉球古典舞踊などを収めている。
沖縄音楽
「沖縄はうたと踊りの島だ」といわれ、沖縄本島の島々では、首里王府の大もとの人たちにも王朝の古典音楽、歌舞の影響はつよく普及している。また雑踊りの熱情も元気にもっている。八重山の歌は共同作業をするときには結合・団結を意味する結(ゆ)いの歌、ユンタを唱和する。また宮古島ではたがいに励まし鼓舞するときには大勢集まってクチャーを歌いおどり、みんなで思い切り声を張り上げることで、ここでも皆の生命(ぬち)を振るい立たせ幾多の苦難を乗り越えてきた。
■講談名人
一龍斎貞水(いちりゅうさい ていすい)(人間国宝)
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2002年、講談界で初の人間国宝認定者となる。
1975年この「誉れの鉢木」にて文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
張り扇(おうぎ)ひとつで流れるような歯切れ良き「軍記物」と川下りの情景描写の見事さも加わり「白波物」の話芸の面白さをみせる「木村の夜船」。
講談
17世紀頃、食に窮した浪人門付けの人などが寺社境内盛り場に場をかまえ「太平記読み」にはじまり軍談を語り、
やがて市中の寄せ場へ出ていくようになりなったのが「講釈(講談)」のはじまり。レパートリーはお家騒動、伝記物、
霊験物、敵討ち物、英雄豪傑物、侠客物、白浪物、お裁き物と多彩。18世紀後半頃深井志道軒等が
浅草境内に小屋張りに出始め、講釈は特に文化文政から明治にかけ盛んだった。講談と名をあらためた一龍斎派・田辺派・宝井派・神田派(白龍)・神田(山陽)・旭堂派<関西>等が元気だ。
無本で口演したのは天保時代(1891年頃)からでそれまでは台本を使用したという。
道具は釈台と張扇などまた関西は拍子木も使う。
■浪曲名人
初代 京山幸枝若(しょだい きょうやま こうしわか)
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若き日から浪曲師の父親の厳しい稽古に耐え、浪曲京山門下に入門。
浪曲は勿論、歌謡曲はじめ河内音頭など持ち前の美声で会場を魅了。
「左 甚五郎シリーズ」は落語・滑稽もので、巧みな話術に爆笑を誘う。
最近の浪曲舞台は曲師(三味線伴奏)を舞台に出して見せますが、この頃は下手の幕の中、まして幸枝若師は2人の2挺三味線の伴奏で珍しかった。
伴奏パワーが出るからだともいいました。
持ちネタのなかでも十八番看板の名調子「左 甚五郎」を三題。
〈お時間まで〉
浪曲
祭などで寺社に祈願を読み上げる祭文をまねて、錫杖ほら貝などを手にし、門付けを行い歌祭文と説教浄瑠璃などを取り入れながら、でろれん祭文、ちょんがれ節、浮かれ節から小屋掛けにて三味線と結びつき「浪花節」とよばれた。
浪花亭駒吉などによって寄席に進出、初めて浪花節から浪曲へ変わったのは1916年のこと。
三味線弾きも曲師となる。
節は関東節・関西節・中京節があり、明治40年<武士道鼓吹>の初代桃中軒雲衛門は本郷座に出、明治45年に歌舞伎座の劇場出演までできるようになった。
関西には二代目吉田奈良丸(大和丞)、初代京山小円、京山若丸が出て明治末から大正を大いに飾った第一次黄金時代を迎えた。