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浮び上がる韓国の代表的なのコンテンツ、ゲーム

浮び上がる韓国の代表的なのコンテンツ、ゲーム
この間、GNGWCという国際ゲーム大会を取材するためにブラジルを訪ねた。ブラジルといえばただサッカーの国、サンバカーニバルの国くらいに思っていたので、ブラジルでのゲーム大会なんて少しは疎かった。旅立ちの前、ブラジルそして南米のゲーム市場に対しいろいろと調べて尚且つ現地を訪ねて実際に彼らのゲームを楽しむ姿を観て、今更私たちのゲーム産業が本当に発展していたという感じを覚えた。地球の反対側の人々を一緒に笑わせ、騒がせ、楽しくさせる韓国のゲーム市場は今、どこに立っているのか。


危機を脱してチャンスへ
韓国のゲーム市場は1996年‘風の王国’がサービスを始めた時を境にその以前とその以後に時代が分けられる。1996年以前の韓国ゲーム市場はアーケード部門が全体のゲーム市場で高い割合を占めている中、少数のゲーム開発社たちが PCパッケージ用のゲーム開発に力を注いでいた。全体的に市場が零細でもあったが、PCゲームの違法複製の乱立のため‘創世記伝’‘、‘ホワイトデー’など、少数であったが優れたゲームを作り上げた開発市場自体が崩壊寸前であった。ここに突破口を開いたのが正にネクソンの‘風の王国’であった。

‘風の王国’は同名の原作マンガの世界観を借用し、当時徐々に人々に広く行き渡っていたネットワーク基盤のゲームジャンルであるMUD(Multiple User Dungeon- マルチプル ユーザー ダンジョン)をグラフィック的に創りあげた最初のゲームであった。また‘風の王国’は最初のグラフィック基盤のオンラインゲームという象徴的な意味を超え、韓国ゲーム市場のパラダイムを書き換えたゲームでもあった。

ユーザー達が直接、サーバーに接続してこそプレーすることができる環境はゲーム市場をピンチに追い込まれた違法複製に多くの制約を加えた。またユーザー達に毎月、一定の金額のサービス費用を取る課金方式で、たゆまぬ売り上げが生じる安定的な事業構造が取り揃えた。‘風の王国’という、ゲーム市場の新しいロ−ルモデルが誕生したのであった。

‘風の王国’の成功はそれまで沈滞しつづていた韓国のゲーム開発市場に新しい追い風となった。 パッケージ市場で苦戦していたゲーム開発社たちはもちろん、興味はあったが市場状況を懸念し戸惑っていた人々やブルーオーシャンを見通し跳びこんだ人々などいろんな階層の参加で韓国のゲーム市場は未だになかった活気にあふれ始めた。
急激な産業化
‘風の王国’が突破口を開けてから2年後の1998年‘リネージュ’が正式サービスを開始した。 ‘リネージュ’はオンラインゲームが進むべき方向性を示した。 ‘風の王国’と同様、同名のマンガの世界観を描く‘リネージュ’は、MMORPGで取り揃えなければならないシステム的な基盤を固めたゲームであった。尚且つオンラインゲームが人と人の間の交流と競争を基にするという原理を本格的に活用したゲームでもあった。

‘リネージュ’の登場と発展はネットカフェの成長とも密接な関係を結んでいる。当時には今のような超高速インターネット網がまだ普遍的に普及されなかったので、オンラインゲームを楽しむために多くの人々がネットカフェを訪ねていた。このような環境で‘リネージュ’を含めオンラインゲームとネットカフェはお互いシナジー效果を与えながら一緒に成長し続けてきた。

1998年に3000余ヶ所に過ぎなかった全国の ネットカフェの数が1999年に1万5000余ヶ所、2000年には2万1000余ヶ所以上急激に増加した。 ‘リネージュ’も 1998年のサービス開始の時には1,000人余りに過ぎなかった同時接続者数が2000年には10万人を越え、人気絶頂であった。 ‘リネージュ’の開発社であるNCSoft社は 2000年3月にコスタックに上場し、ゲームが産業的に大きい価値を持っていることを明らかにした。

NCSoft社と‘リネージュ’の成功は多くの投資者たちをゲーム市場に引き入れ2000年代に入って韓国ゲーム市場は大好況を迎えることになった。中国市場で同時接続者数が50万人を果たした ‘ミールの伝説 2’、日本と台湾のみならず西洋でも高い人気を博していた ‘ラグナロク・オンライン’、それから3Dのオンラインゲームの時代の扉を開いた ‘ミュー 奇蹟の大地’ などが ‘リネージュ’の後を引き続きMMORPGの市場の動きを主導した。これと共に ‘FORTRESS 2( チームフォートレス2)’‘クレージーアーケード’などのカジュアルゲームらが大衆的な人気を集め、市場を支えた。

1999年、わずか1600万ドルに過ぎなかった韓国のオンラインゲーム市場は2000年に1億7100万ドル、2001年には2億630万ドルの市場に大きく変わった。2004年に初めて約 10億ドル規模に達した韓国のオンラインゲーム市場は、2007年のゲーム市場全体が最悪の沈滞期に当たった時にも成長の勢いは止められなかった。韓国のオンラインゲームの市場がこんなに急激に大きくなることができたのは、国内市場だけに止まることなく、素早く海外への市場進出を試みたのがその理由であるだろう。


約束の地を捜して世界へ
1990年代の後半から 2000年代の頭まで韓国のオンラインゲーム市場は最高の繁盛記であった。 市場は成長しつづ開発者たちは夢と希望を持って情熱的にゲームをどんどん創りあげた。 1999年当時、韓国でオンラインゲームの開発を行う会社の数は30余個だったが、2000年代に入ってゲーム開発会社の数は倍以上増加し、多くのゲームが出始めた。そこで問題になるのが、この数多いゲームが全部受け入れられるほど韓国のゲーム市場が大きくなかったことである。

‘‘リネージュ’、‘ミュー 奇蹟の大地’‘、‘ラグナロクオンライン’が先取りしたオンラインゲームの市場は追い手たちの進入をめったに許さなかった。結局、国内市場で突破口を捜せなかったゲームは海外に目を向けるようになる。16世紀のヨーロッパの人々が富と名誉を求め、船に乗って海の向こうを目指したように、韓国のオンラインゲームらも新しいブルーオーシャンを捜し海外で活路を探した 。

海外市場でいち早く成果を見せたのは‘ミールの伝説2’であった。 武挟を素材にしたMMORPG‘ミールの伝説2’は中国市場で熱い人気を集め、同時接続者数が50万人という記録を打ち立てた。その以来、‘ミールの伝説2’の成功に刺激を受けた多くの国産ゲームらはわれ先に海外市場の扉をたたき始めた。しかしその過程は決して順調ではなかった。

まず、海外のネットワークインフラは韓国のように素早い発展が出来なかったためオンラインゲームの定着には時間がかかった。それから韓国のゲーム業者たちは海外市場の進出に経験がなく、現地の事情にも疎かったため事業展開が困難であった。しかし何より問題だったのは大量生産し始めた韓国産のオンラインゲームの質的な成長が止まってしまったという点だった。‘リネージュ’成功の神話を見渡し、市場に跳びこんだ多くのゲーム開発者たちと投資者たちは‘リネージュ’の亜流その以上のものを創り上げることができなかったのだ。


市場の再編と新しい跳躍
2000年代中盤に入って韓国のゲーム市場はピンチを迎える。徹底した準備なしに市場に飛び込んだ多くのゲームがその名も知らせることもなく消えていき、数百億ウォンの規模の資金を投入した大型プロジェクトも続々と失敗を繰り返した。ここに決め手になったのが 2004年末に正式サービスを始めたブリザードの‘ワールドオブウォークレフト’であった。 その以前まではどんな外国産のオンラインゲームも韓国市場の高い壁を越えることができなかったが、ブリザードは違った。 ‘ワールドオブウォークレフト’は止まることを知らなかった韓国産ゲームを市場から少しずつ追い出して行った。

MMORPG中心の市場構造が搖れ、新しいジャンルのゲームらが出始めた。複雑なシステムと長い時間が必要だったMMORPGのジャンルとは逆に、短い時間と気軽く楽しめるカジュアルゲームらが市場の主流に浮び上がった。‘カートライダー’‘、‘オーディション’‘、‘フリースタイル’ 等ののゲームらが人気を呼び、沈滞に陷ったオンラインゲーム市場を早くも変貌して行った。 特にFPSゲームの完璧なオンライン化を実現した‘スペシャルポス’は以後のオンラインFPSゲームの開発の新しい風を起こすほど市場に大きな影響を及ぼしたのである。

‘アラド戦記’‘、‘メープルストーリー’‘、‘サドンアタック’そして‘アイオン’に至るまで、オンラインゲーム市場は沈滞期を機会とし、ゲームの多様性の強化と質的な成長を同時に遂げることができた。市場競争力を確保した韓国のゲームらはこれを足がかりに再び世界市場で注目を浴びるようになる。2009年の韓国のオンラインゲームの売り上げは約32億5500万ドルである。その中、輸出が全体の41.7%を占め、約13億6000万ドルを達している。

今頃、芸能界の話頭は韓流だ。韓国を代表するアイドルグループたちが海外でも熱い人気を集め韓国を知らせる先頭に立っている。ゲームも同じだ。現在、韓国産のゲームは中国、日本、台湾、東南アジアなどのアジア圏を含め、アメリカとヨーロッパ、そして南米まで全世界のあらゆる地域でサービスされている。韓国産のゲームを楽しむ全世界のユーザー達は間接的かもしれないが韓国と接しているわけである。


世界中の韓国のゲーム
一頃、韓国は最大のオンラインゲームの輸出国であった。今はその席を中国に譲ったが相変らず世界市場で一番大きい影響力を持っているオンラインゲームの強国である。台湾の場合、 10位圏にランクされたゲームの中に7個が韓国産のゲームである。東南アジア市場でも韓国産のゲームが強気を見せている。最大の市場である中国でも‘アラド戦記’‘、‘Cross Fire’ など多数の韓国産のゲームが上位圏に布陣している。

しかし、アメリカ市場とヨーロッパ市場では出入りが激しくて不安定である。でも多くの現地パブリッシャーたちが韓国産のゲームらに興味を見せている。 今、開発中の新作ゲームの中には韓国内のサービスよりアメリカ或いはヨーロッパ地域のサービスの契約が先に締結した場合も少なくない。 この間開催された国際ゲーム展示会の‘G-star2010’で紹介された‘Blade and Soul’、‘Tera’‘、‘Kingdom under fire 2’等の期待作もアメリカとヨーロッパ市場で多くの注目を浴びた。

何より注目すべきは、新しく立ち上がる新興ゲーム市場である。 ブラジルをはじめとした南米ゲーム市場とロシアが動き始めた。まだ二つの市場はちょうど動き始めの状態でその規模は大きくはない。しかし現地の市場条件と将来性を見て中国に引き続き第2の市場になりうる地域である。この地域のゲーム市場の立ち上げと発展の中心に韓国産のゲームが位置つけていることはもうあまり驚きべきではないだろう。


ゲームとゲーム、続けられるために
只今、ネクソン、NCSoft、NHNゲームスなど韓国の大型のゲーム開発会社及びパブリッシング企業は海外に現地法人を置いて直接、事業を展開している。 現地法人を持ってない企業らも現地のパブリッシャーとサービス契約を締結し、ゲームを海外でサービスしている。 しかしまだ多くの中小ゲーム開発社たちが海外進出に当たって力不足とそのやり方に苦労している。そこで韓国政府ではゲーム市場の発展と中小ゲーム開発社たちを手助けするために様々な支援事業を展開している。

文頭に明かしたGNGWC大会もその一つである。2006年から始まったGNGWCはいくつのゲームを正式種目に選定し、各大陸別に地域本選を行い最終的に世界チャンピオンを決める国際ゲーム大会である。参加するゲームの世界的な広報とユーザー達に対するサービスを兼ねて行われるGNGWCは今では参加したユーザー達の国際交流の場としても活用されている。地域も言葉も違う人々が一つのゲームを通じて交感することができるということを GNGWCが証明してくれているわけだ。

海外のパブリッシングを手伝ってくれるGSP(Global Service Platform)事業も韓国政府が推進しているサポート事業の一つ。GSPに参加を申し込んだ企業を審査、選定し、海外言語への翻訳とゲームサーバーを提供している。また、韓国政府で運営するゲームポータル・サイトである ‘GNG(Game&Game)’を通じて、選ばれたゲームのパブリッシングも共に行われている。その他にも ‘グローバルハーブセンター’ など多彩な支援で中小開発社たちがより良い環境でゲーム開発に専念するように多くの支援が行われている。

このようなサポートの中、韓国のゲーム市場は過渡期を脱して安定された開発環境を取り揃え、再び復興期に向かう準備を終えた。現在、韓国は世界2位のオンラインゲームの輸出国であり世界でも屈指のオンラインゲームの消費市場でもある。これからは産業的な成長一辺倒の構造よりもゲームによって生じる社会問題を解決し、望ましい遊び文化として位置づけられるように業界と関連機関そしてユーザー達がより多くの努力を注ぐべき時期だと思っている。 巨大な市場規模に相応しい姿勢を取り揃えた時、韓国のゲーム市場は再び進化を成し遂げることができるだろう。



お問い合わせ
Chang, bum-Choong
www.kacca.kr
メール:bcchang@kocca.kr
電話:82-31-8016-8503


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