登山家・栗城史多(32歳)8000m峰を登頂直後、台湾隊メンバーを救出
[14/07/28]
提供元:PRTIMES
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2014年7月24日10時30分(日本時間14時30分)、栗城史多(くりき・のぶかず)が『ブロードピーク(標高8,047m)』を単独・無酸素で登頂し、その後の下山時に意識を失いかけていた台湾隊メンバーを救助しました。
多くの人々との『冒険の共有』を目指し、8000m峰を登りその模様をインターネット生中継する登山家・栗城史多。2012年秋のエベレスト遠征で手の指9本が凍傷になり大部分を失うも、復帰登山としてパキスタンと中国の国境にある『ブロードピーク(標高8,047m)』を単独・無酸素で登り、2014年7月24日10時30分(日本時間14時30分)に、無事登頂いたしました。7月25日22時(日本時間26日2時)には、標高5,000mにあるベースキャンプまで無事下山、2009年(平成21年)5月の『ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂』から、5年振りとなる「8000m峰登頂」を果たしました。
2012年秋のエベレスト遠征で手の指9本が凍傷になり大部分を失うという経験を経ての今回のチャレンジ。登頂後の下山中には、意識を失いかけていた台湾隊のシャヒ氏(47才)を近くで発見。栗城は酸素を吸わせるために偶然近くにいて酸素を使用していた公募隊のネパール人シェルパに交渉して酸素をシャヒ氏に吸わせ、その公募隊シェルパと栗城がロープを繰り出しながら、シャヒ氏を7600mのコルまで降ろし、そこで別の隊の酸素ボンベと交換したことで、シャヒ氏は一命を取りとめました。
標高8000m以上でのレスキュー作業は大変困難ですが、手の指9本の凍傷を負ってからの復帰登山となるブロードピークを登頂し、その直後の低酸素環境での救助活動となりました。救助された台湾隊のシャヒ氏は、ベースキャンプに下山後、ヘリで緊急搬送されました。
・ 栗城史多 公式Facebook: https://www.facebook.com/kurikiyama
・ 最新映像YouTube: http://goo.gl/gFzE70
多くの人々との『冒険の共有』を目指し、8000m峰を登りその模様をインターネット生中継する登山家・栗城史多。2012年秋のエベレスト遠征で手の指9本が凍傷になり大部分を失うも、復帰登山としてパキスタンと中国の国境にある『ブロードピーク(標高8,047m)』を単独・無酸素で登り、2014年7月24日10時30分(日本時間14時30分)に、無事登頂いたしました。7月25日22時(日本時間26日2時)には、標高5,000mにあるベースキャンプまで無事下山、2009年(平成21年)5月の『ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂』から、5年振りとなる「8000m峰登頂」を果たしました。
2012年秋のエベレスト遠征で手の指9本が凍傷になり大部分を失うという経験を経ての今回のチャレンジ。登頂後の下山中には、意識を失いかけていた台湾隊のシャヒ氏(47才)を近くで発見。栗城は酸素を吸わせるために偶然近くにいて酸素を使用していた公募隊のネパール人シェルパに交渉して酸素をシャヒ氏に吸わせ、その公募隊シェルパと栗城がロープを繰り出しながら、シャヒ氏を7600mのコルまで降ろし、そこで別の隊の酸素ボンベと交換したことで、シャヒ氏は一命を取りとめました。
標高8000m以上でのレスキュー作業は大変困難ですが、手の指9本の凍傷を負ってからの復帰登山となるブロードピークを登頂し、その直後の低酸素環境での救助活動となりました。救助された台湾隊のシャヒ氏は、ベースキャンプに下山後、ヘリで緊急搬送されました。
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