アックス シャワナビニュース コラム『お風呂大国 日本の歴史を紐解く・・・』 -江戸時代までは、服を着たままお風呂に入っていた!
[10/08/31]
提供元:PRTIMES
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ユニリーバ・ジャパンが展開する、男性用化粧品ブランド“AXE (アックス)”では、男性用ボディソープ『アックス ボディソープ』を8月18日(水)に発売しました。発売にあわせ、日本の若い男性のお風呂タイムをより楽しく、充実させるために、バスタイムに関する様々なニュースを『AXE SHOWER-NAVI NEWS』として、この夏から秋にかけて約10回、集中的に発信しております。
自然湧出の温泉や眺望を楽しむ露天風呂。電気風呂や気泡風呂、うたせ湯のあるスーパー銭湯。ジャグジーバス、サウナ風呂や塩風呂を備えたスポーツ施設、岩盤浴にフットバス、ヨモギ風呂まで、日本は多様なお風呂が楽しめる、お風呂大国です。
そして、40℃を超す熱い湯に肩までつかる入浴法は、世界でも珍しい独特のもの。わたし達日本人は世界中のお風呂や入浴法をとりこみながら、貴重な燃料や水を生かして独自のお風呂文化を育ててきました。
『AXE SHOWER-NAVI NEWS』第3回目では、お風呂への愛情と工夫が刻まれた、その歴史をご紹介します。
■日本最初の浴場は、川や湖など自然の神聖な水の力で心身を清める意味で始まった。
江戸時代まで、湯帳(ゆちょう)や湯帷子(ゆかたびら)とよばれる浴衣を着てお風呂に入っていた!
熱帯から温帯にかけての地域では、川や湖、海などでの水浴が一般的。熱帯に近い夏をもつ日本のお風呂の歴史も、水浴から始まります。水には、神聖な力があると信じられ、物質的に身体の汚れや垢を落とすだけでなく、けがれを祓い清めると信じられ、宗教的な意味合いで始まったといわれています。
自然のギフトといえる温泉は、世界中のお風呂に影響を与え、そのほとんどが病気治療に利用されていますが、実は爽快感を得られる高い温度で湧出する温泉は少なく、火山国日本はそのわずかな例のひとつ。日本人は、かなり昔から温泉の爽快さを楽しんでいた贅沢な民族なのです。
また、古文書によると、古代人は「湯帳(ゆちょう)」や「湯帷子(ゆかたびら)」と呼ばれる浴衣のようなものを着てお風呂に入っていたようで、江戸時代までは、服を着たままお風呂に入るのが普通だったようです。
■昔のお風呂は蒸気を浴びる「サウナ式」だった!
6世紀、中国から仏教と共に日本の寺院にお風呂が伝わります。宮中でも使われた取り湯式の行水風のものもありましたが、湯を沸かしたり、石に水をかけることで湯気を出す、今でいうサウナのような「蒸し風呂」が一般的であったようで、お湯に浸かるものではありませんでした。
この「蒸し風呂」は、当時の衛生状態からくる皮膚病の蔓延を背景に、寺院には湯屋・温室などと呼ばれる入浴施設が設置され、僧侶自身は勿論のこと、庶民にも入浴を施したことから、お風呂に入る習慣が広まっていきました。
■銭湯の起源、2種類の公衆風呂が誕生!関西の「風呂屋」、関東の「湯屋」
豊臣秀吉も、朝鮮出兵の戦陣でお風呂を使っていた!
平安時代から、安土桃山時代にかけ、寺院に伝わった「蒸し風呂」からは、二つの公衆風呂が誕生します。湯を沸かして蒸気出す湯釜式から派生した「風呂屋」と、取り湯式から派生した「湯屋」です。おもに関西地方から 「風呂屋」が広まり、関東地方では、天正19年(1591年)伊勢の余市が、施工が簡単な「湯屋」を江戸で開業したといわれています。
また佐渡の「おろげ」と呼ばれる、桶の底にためた少量の湯と湯気で温まる半身浴蒸し風呂タイプの桶型の個人用風呂が、この頃からつくられます。記録に残る、あの豊臣秀吉が朝鮮出兵の戦陣で使ったお風呂も、このような桶型だろうといわれています。
■「湯女風呂」は吉原遊郭がさびれるほどの人気だった!
江戸時代初期に流行したのが、 「風呂屋」から派生した、半身浴蒸し風呂タイプの公衆風呂です。浴槽に膝の高さ程お湯を入れ、膝から下をお湯に浸し、上半身は、ひしゃくでお湯をかけるというもの。湯気は貴重なので、入り口を引き戸にしたり、(戸棚風呂)、出入り口を低くしたり(ざくろ口)、湯気を逃がすまいとした昔の人の工夫が偲ばれます。
こういった公衆風呂の普及に加え、身体を洗うためのものだった風呂に、男性の楽しみの要素が加わっていきました。江戸初期にできた、「湯女(ゆな)」と呼ばれた遊女がいる「湯女風呂」は、垢すりや背中を流してくれたり、さらには三味線片手に遊客をもてなしたりという、その尽くしっぷりが人気で、吉原遊郭をしのぐ勢いで繁昌したとか。そんな湯女風呂は、風紀の乱れを理由に幕府から禁止令が出たそうです。
■洗いのプロフェッショナル「三助さん」の登場!
江戸中期には、お湯の温度が高くなり量も増えて入浴スタイルが大きく変化します。浴衣を着て入るものだったお風呂に、裸で入るようになったのです。そして、湯女に代わり、公衆風呂を舞台にその後現代まで、長く活躍する身体洗いのプロフェッショナル「三助(さんすけ)」が登場。浴場内で垢すりや髪すき等のサービスを提供してくれるプロの技術は、全身サッパリ爽快になると人気を呼びました。現在では、現役の三助さんは数少なくなってしまっているようですが、最近CMに出演し話題になったことも。
いっぽう「湯屋」からは、直接お湯を沸かせる個人用の「据風呂(すいぶろ)」が誕生。
江戸後期には、全身浴ができる「鉄砲風呂」や「五右衛門風呂」へとつながってゆきます。
■蒸し風呂をやっと卒業!文明開化に併せ、現代の銭湯の形に近づいた
明治10年(1877)、鶴沢紋左衛門が東京・神田に「改良風呂」を開業し、その7年後には、長く続いた公衆風呂の「ざくろ口」が廃止されました。文明開化がもたらした石炭や石油燃料、手押しポンプによる水汲みが可能にした「改良風呂」。それまでの蒸し風呂方式ではなく、お湯をたっぷり浴槽にいれ、天井が高い洗い場には湯気抜き窓がある、今につながる銭湯の誕生でした。
一方、江戸後期に生まれ、滋賀から北陸にかけて広まった個人用の半身浴蒸し風呂タイプ「むぎぶろ(桶風呂)」は、昭和の高度経済成長期の前まで使われています。さらに、熱い湯に肩までつかれる「鉄砲風呂」や「五右衛門風呂」には、大阪万博を過ぎても現役を務めたものがありました。
■現代も日々進化するお風呂文化。香り文化も受け継ぐ。
東京オリンピックの前年には、日本初の住宅用ユニットバスが発売されて、つぎつぎに建設される団地に導入され普及してきました。当時のタイプは大人ひとりが足を折って入れるサイズでしたが、徐々にくつろぎの空間としてふさわしい、現代のお風呂のスタイルへと形をかえ、進化していきました。そして現代では、テレビ付きのお風呂を楽しんだり、音楽を聴きながらリラックスしたりと、暮らしのエンターティメントのひとつとして、日本の家風呂は発展しています。
また、日本のお風呂文化の特徴のひとつとして、柚子や菖蒲にかぎらず、岡山では桃の葉を、愛媛では伊予柑を、奈良は柿の葉、青森はりんごという風に、地元で採れる草木や季節の果実を入れるということがあります。植物のもつ薬効の意味もありますが、お風呂でその香りを楽しむ文化は、アロマキャンドルや入浴剤など、今の若者にも受け継がれているのではないでしょうか。
【参考文献】
参考書籍:吉田集而(著)風呂とエクスタシー 入浴の文化人類学
飯島裕一(著)温泉の医学
参考論文:老文子 FORAM DOUGUOLOGY・道具学論集 第11号
桶風呂の形態と使用域〜滋賀県を中心にした事例研究〜
参考資料:能登川博物館図録 おけ風呂〜環境にやさしいくらしの知恵〜
ウェブサイト【洗いの殿堂】記憶博物館
※上記文章はお風呂に関するWEBサイト「洗いの殿堂」(http://www.arainodendo.com/)を主宰するお風呂アドバイザー・おかきた'まりさんの協力を得て作成しました
【ご参考:商品概要】
2010年8月18日(水)新発売 『アックス ボディソープ/アックス ガイウォッシュ』
〜日本人男性のお風呂文化は新たな時代へ!?〜
“アックス ボディソープ” (エッセンス/キロ/ツイスト)
アメリカで2005年の発売以降累計約1億3000万本*を販売している人気商品の成分及びパッケージを日本用にアレンジしたもので、男性がボディソープに求める“泡立ち”や“すすぎ”の良さなどの優れた性能に加えて、AXEらしい本格的な香りが楽しめる商品となっております。香りはフレグランス ボディスプレーにおける売り上げ上位のエッセンスとキロ、また2010年3月に新しく加わったツイストの3種類で展開します。
“アックス ガイウォッシュ”
洗う箇所・用途に応じて、使い分けることができるAXEらしい男らしいクールなデザインのボディウォッシュツールです。クリーミーに泡立て広く洗える『泡立てサイド』と、しつこい汚れや古い角質をおとす『スクラブサイド』の2way仕様で、体全体を洗うことができます。