INTERNATIONAL IMAGES. GALLERYによるヘルムート・ニュートンの写真展をLOWWにて開催
[23/03/31]
提供元:PRTIMES
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2023年1月東京都目黒区にオープンしたアートギャラリーLOWW(ロウ)でINTERNATIONAL IMAGES. GALLERYによるヘルムート・ニュートンの写真展を開催。
期間は2023年4月1日〜4月16日(12:00 ~ 20:00)。
[画像1: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-51e1360da581335d895a-0.jpg ]
これまでに「VOGUE」や「PLAYBOY」をはじめ、ファッション・フォトグラファーの第一人者としても有名なヘルムート・ニュートンの写真展をLOWWにて開催。
今展覧会はノーマン・ソロモン氏が生前ヘルムート・ニュートンから彼の最高傑作45作品のポートフォリオ・コレクションのフィルム所有権を取得し、独占販売権を財団より認められている”Private Property Colletion”の中から選定された展覧会になります。
INTERNATIONAL IMAGES. GALLERY Exhibition Photos by Helmut Newton
・会期: 2023年4月1日(土) - 4月16日(日) 12:00 ~ 20:00
休廊日:毎週水曜日
・場所: LOWW(ロウ) 東京都目黒区大岡山1-6-6
オリジナルプリント(ヘルムート・ニュートン サイン入り),ヴィンテージ・プリント(サインなし)、モダーンプリント(エディション・プリント)をご用意しております。
展覧会ページ
https://www.loww.co.jp/
ヘルムート・ニュートン プロフィール
1920年10月31日ドイツ・ベルリンにて誕生。裕福なユダヤ人の工場長の息子としてベルリンのアメリカンスクールに通う。小さい頃から写真に対して猛烈な執着心をもったニュートンは12歳の時に初めてカメラを購入する。その4年後、ニュートンは義務教育に背を向け、Yva(イヴァ)という名で知られる有名ドイツ人フォトグラファーのElse Simon(エルゼ・ジーモン)に弟子入りをする。彼女のスタイルはファッション、ヌード、肖像画を独特な手法で撮っていた。また、映画のように複数の露出を利用し夢のようなシュールな世界観を作り上げる斬新な試みで注目されていた。ニュートンのキャリアに多大な影響を与えた人物である。
1935年反ユダヤ主義ニュルンベルク法が可決されたことで、父親は工場の管理職を失い強制収容所に一時的に収容されたため1938年11月両親はドイツを離れ南米チリに逃げる事にを余儀なくされた。18歳のニュートンは中国経由の経路をとり一時は敵国人として英国当局によって拘留されるが、シンガポールでストレーツ・タイムズ社で写真家として短期間働く。その後、1940年〜1945年までオーストラリア軍で軍務に就き、輸送隊に所属した。
1948年女優ジェーンブラウンと結婚。ジェーンはオーストラリアの地名からAlice Springsの名で、フォトグラファーとしても活動していた。ジェーンは多くのニュートン 作品をアートディレクトしている。2人はアーティスティックな夫婦として長年にわたって活躍することになる。
1950年ニュートンは数々のファッション誌との契約を締結して活動の場を広げていく。
1957-1958年VOGUE Australia,VOGUE UK と続き、1961年VOGUE PARISとの契約は、ニュートンにとって分岐点となりニュートンのファッションフォトグラフィースタイルは世界中に広がり後に40年間ニュートン スタイルはファッション界の注目の的となった。VOGUE Americanの編集者アナ・ウィンターはニュートン作品は「最も魅力的で神話的なヴォーグの代名詞」と語っている
ニュートンの作品はサディズム、マゾヒズムとフェティシズムをともなったエロチックなスタイルにどこかスタイリッシュさを感じさせる。映画のワンシーンを観ているような、ストーリー構成とディレクションはまさに天才的であった。
1960年-1970年代はニュートンは強く生きる女性の烈しい性的イメージの創作に没頭していた。この時代の彼の作品は盗撮チックでサドスティック感が秘められている。
ニュートンはスタジオ撮影を嫌い、主に夜間の撮影を行っていた、ニューウェーブシネマや、非現実的なMan RayとEugene Atgetのイメージなどを引用し、Barassaiのストリートフォトグラフィーを支持していた。後に写真家のRichard Avedon、Irving Penn、Terry Richardson、Juergen Tellerにおいては、ニュートンが与えた影響は多大である。
1975年パリでの初写真展の後すぐに”White Woman”を出版し70年代の終わりまでニューヨーク、パリ、ロンドン、ジュネーブ、ロサンゼルス、東京にて写真展を続け、彼の評価は止まることなく高まり続け世界のファッション界から更に注目を浴び続けていた。そして1980年に入り”Big Nude”シリーズをリリース。ヘルムート・ニュートンのフォトグラフィ人生において、ここで頂点を迎える。
1984年ニュートンは当時のマネージメントであった英国人ジョン・ダニクリフ氏の紹介で、ノーマン・ソロモンと出会い、ニュートンの今までの作品から最高傑作を集めたポートフォリオコレクション”Private Property ”のプロデユーサーとして迎え入れた。その後、ドイツベルリンのNeue Galerie(2000年)、Barbican(2001年)、International Center of Photography, New York (2001年)と”Private Property”写真展を続ける。がしかし.....
2004年ハリウッド、シャトー・マーモントで自動車事故によりヘルムート・ニュートンはこの世を去った。享年83歳、遺灰はドイツベルリンの地で埋葬される。
2011年アメリカテキサス州”Museum of Fine Arts, Houston”(ヒューストン美術館)は、ニュートンを20世紀の権威あるフォトグラファーと称している。彼の作品価値は世紀に渡って上昇し続けて行く。
2019年4月フィリップス・ニューヨーク、フォトグラフィ オークション。1981年に撮影された作品”Sie Kommen, Dressed and Naked”は180万ドル(約2億円)で落札されている。
[画像2: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-64092aade791f7c7ea05-4.jpg ]
[画像3: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-1e4d99bab9b8dbff96dc-1.jpg ]
[画像4: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-e6066b54603aaed00cb9-2.jpg ]
[画像5: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-e58268eb9a3cd005fdd6-3.jpg ]
期間は2023年4月1日〜4月16日(12:00 ~ 20:00)。
[画像1: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-51e1360da581335d895a-0.jpg ]
これまでに「VOGUE」や「PLAYBOY」をはじめ、ファッション・フォトグラファーの第一人者としても有名なヘルムート・ニュートンの写真展をLOWWにて開催。
今展覧会はノーマン・ソロモン氏が生前ヘルムート・ニュートンから彼の最高傑作45作品のポートフォリオ・コレクションのフィルム所有権を取得し、独占販売権を財団より認められている”Private Property Colletion”の中から選定された展覧会になります。
INTERNATIONAL IMAGES. GALLERY Exhibition Photos by Helmut Newton
・会期: 2023年4月1日(土) - 4月16日(日) 12:00 ~ 20:00
休廊日:毎週水曜日
・場所: LOWW(ロウ) 東京都目黒区大岡山1-6-6
オリジナルプリント(ヘルムート・ニュートン サイン入り),ヴィンテージ・プリント(サインなし)、モダーンプリント(エディション・プリント)をご用意しております。
展覧会ページ
https://www.loww.co.jp/
ヘルムート・ニュートン プロフィール
1920年10月31日ドイツ・ベルリンにて誕生。裕福なユダヤ人の工場長の息子としてベルリンのアメリカンスクールに通う。小さい頃から写真に対して猛烈な執着心をもったニュートンは12歳の時に初めてカメラを購入する。その4年後、ニュートンは義務教育に背を向け、Yva(イヴァ)という名で知られる有名ドイツ人フォトグラファーのElse Simon(エルゼ・ジーモン)に弟子入りをする。彼女のスタイルはファッション、ヌード、肖像画を独特な手法で撮っていた。また、映画のように複数の露出を利用し夢のようなシュールな世界観を作り上げる斬新な試みで注目されていた。ニュートンのキャリアに多大な影響を与えた人物である。
1935年反ユダヤ主義ニュルンベルク法が可決されたことで、父親は工場の管理職を失い強制収容所に一時的に収容されたため1938年11月両親はドイツを離れ南米チリに逃げる事にを余儀なくされた。18歳のニュートンは中国経由の経路をとり一時は敵国人として英国当局によって拘留されるが、シンガポールでストレーツ・タイムズ社で写真家として短期間働く。その後、1940年〜1945年までオーストラリア軍で軍務に就き、輸送隊に所属した。
1948年女優ジェーンブラウンと結婚。ジェーンはオーストラリアの地名からAlice Springsの名で、フォトグラファーとしても活動していた。ジェーンは多くのニュートン 作品をアートディレクトしている。2人はアーティスティックな夫婦として長年にわたって活躍することになる。
1950年ニュートンは数々のファッション誌との契約を締結して活動の場を広げていく。
1957-1958年VOGUE Australia,VOGUE UK と続き、1961年VOGUE PARISとの契約は、ニュートンにとって分岐点となりニュートンのファッションフォトグラフィースタイルは世界中に広がり後に40年間ニュートン スタイルはファッション界の注目の的となった。VOGUE Americanの編集者アナ・ウィンターはニュートン作品は「最も魅力的で神話的なヴォーグの代名詞」と語っている
ニュートンの作品はサディズム、マゾヒズムとフェティシズムをともなったエロチックなスタイルにどこかスタイリッシュさを感じさせる。映画のワンシーンを観ているような、ストーリー構成とディレクションはまさに天才的であった。
1960年-1970年代はニュートンは強く生きる女性の烈しい性的イメージの創作に没頭していた。この時代の彼の作品は盗撮チックでサドスティック感が秘められている。
ニュートンはスタジオ撮影を嫌い、主に夜間の撮影を行っていた、ニューウェーブシネマや、非現実的なMan RayとEugene Atgetのイメージなどを引用し、Barassaiのストリートフォトグラフィーを支持していた。後に写真家のRichard Avedon、Irving Penn、Terry Richardson、Juergen Tellerにおいては、ニュートンが与えた影響は多大である。
1975年パリでの初写真展の後すぐに”White Woman”を出版し70年代の終わりまでニューヨーク、パリ、ロンドン、ジュネーブ、ロサンゼルス、東京にて写真展を続け、彼の評価は止まることなく高まり続け世界のファッション界から更に注目を浴び続けていた。そして1980年に入り”Big Nude”シリーズをリリース。ヘルムート・ニュートンのフォトグラフィ人生において、ここで頂点を迎える。
1984年ニュートンは当時のマネージメントであった英国人ジョン・ダニクリフ氏の紹介で、ノーマン・ソロモンと出会い、ニュートンの今までの作品から最高傑作を集めたポートフォリオコレクション”Private Property ”のプロデユーサーとして迎え入れた。その後、ドイツベルリンのNeue Galerie(2000年)、Barbican(2001年)、International Center of Photography, New York (2001年)と”Private Property”写真展を続ける。がしかし.....
2004年ハリウッド、シャトー・マーモントで自動車事故によりヘルムート・ニュートンはこの世を去った。享年83歳、遺灰はドイツベルリンの地で埋葬される。
2011年アメリカテキサス州”Museum of Fine Arts, Houston”(ヒューストン美術館)は、ニュートンを20世紀の権威あるフォトグラファーと称している。彼の作品価値は世紀に渡って上昇し続けて行く。
2019年4月フィリップス・ニューヨーク、フォトグラフィ オークション。1981年に撮影された作品”Sie Kommen, Dressed and Naked”は180万ドル(約2億円)で落札されている。
[画像2: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-64092aade791f7c7ea05-4.jpg ]
[画像3: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-1e4d99bab9b8dbff96dc-1.jpg ]
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[画像5: https://prtimes.jp/i/113994/6/resize/d113994-6-e58268eb9a3cd005fdd6-3.jpg ]