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クリュッグ史上最も特別な体験 『クリュッグ 1915-2015 テイスティング エクスぺリエンス』 サザビーズオークションで落札

MHD モエ ヘネシー ディアジオ株式会社(東京都千代田区神田神保町)取り扱いのプレステージシャンパーニュブランド クリュッグは、この度、クリュッグ プライベート キュヴェ1915のテイスティングを含むクリュッグ史上最も特別な体験、『クリュッグ 1915-2015 テイスティング エクスペリエンス』が2015年9月25日にニューヨークで行われたサザビーズオークションに出品され、落札されたことを発表いたします。





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2015年9月25日、サザビーズオークションで、『クリュッグ1915-2015 テイスティング エクスペリエンス』が熱狂的なクリュッグラバーにより落札されました。クリュッグ家6代目当主、オリヴィエ・クリュッグは、このオークションは特に感動的な瞬間であったと、次のように語りました。

「今日、1915年から2015年の100年を祝うために、私たちの特別な歴史を皆様と共有することが出来たことに心から感動しました。私の曾祖母である、ジャンヌ・クリュッグの思い出と、第1次世界大戦下の悲惨な年月の間にメゾン クリュッグが果たした役割を皆様と共有することが私の願いでした。
1915年、ジャンヌは夫ヨーゼフ・クリュッグ2世が投獄されている間、彼のかわりにメゾンを経営をしました。彼女は勇敢で寛大な女性であり、ランスの赤十字と共に、地域のいくつかの病院で地域の家族の世話や負傷した兵士の手当てにあたりました。ランスを守る一方、地元ワイン醸造者だけでなく彼女の勇気と決断のおかげで、このように並外れた素晴らしいヴィンテージを造ることに成功したのです。
私たち独自の小さなやり方で、これを守ることで歴史を作ります。私は、クリュッグの過去の重要な一部である、現存する4本のボトルのうち1本、『クリュッグ プライベート キュヴェ1915』を手渡せることをとても誇りに思います。
 私たちはこのランスでのエクスペリエンスをとても個人的なものとして、私たちのシャンパーニュ醸造から切り離せないような、情熱を分かち合う機会として企画しました。」

                        ***

『クリュッグ1915-2015 テイスティング エクスペリエンス』
『クリュッグ プライベート・キュヴェ1915』という極めて希少なボトルのテイスティングも含まれる、メゾン クリュッグでのかつてない2日間のテイスティングエクスペリエンスは、人生で忘れられない体験となるでしょう。

『クリュッグ プライベート・キュヴェ1915』は、メゾンと地元ワイン醸造者たちの勇敢さ、そして寛大さを証明するものです。彼らは、第一次世界大戦というこの上なく困難な環境の下で、この非凡なヴィンテージのワインを生み出したのです。戦禍が渦巻く中、当主が投獄されていた当時メゾンの経営に当たったのはクリュッグ家当主、ヨーゼフ・クリュッグ2世の妻ジャンヌ・クリュッグでした。第一次世界大戦後100周年記念を祝うこの機会に、ジャンヌ・クリュッグのひ孫に当たる6代目当主、オリヴィエ・クリュッグは、『クリュッグ プライベート・キュヴェ1915』をテイスティングする、2日間の人生における特別な体験を企画しました。

 特別記念イベント『クリュッグ1915-2015 テイスティング エクスペリエンス』では、クリュッグの特別なシャンパーニュの数々、メゾンのブドウ畑および文化的遺産、そしてランスの美食と歴史の粋に出会うことができます。このエクスペリエンスに参加できるのは、4名のゲスト(落札者および他の3名)です。落札者は、クリュッグ家の1915年当時の生活を体験することができます。メゾンの歴史を研究する歴史家の協力のもと、オリヴィエが、1915年の収穫という特別な世界にたちまちゲストをお連れします。

 まずはクリュッグ家にお迎えし、続くブドウ畑ツアーでは、1915年の最も重要な特徴に焦点を当てます。そして、当時すでにクリュッグ家の生活の中心であった村、メニル・シュール・オジェを訪れ、伝説的シャンパーニュ、クロ・デュ・メニルを異なる5つの収穫年で味わって頂きます。ディナーはランスに戻り、レストラン「ラシェット・シャンプノワーズ」の著名な若手三ツ星シェフ、アルノー・ラルマンが、「クリュッグの宇宙を旅する」と題したテイスティングのための特別メニューをご提供します。

 2日目はオリヴィエ・クリュッグの案内で、戦時中の生活という具体的な文脈に基づき、メゾン クリュッグのセラーの特別見学にお連れします。その中に眠る『クリュッグ プライベート キュヴェ1915』のテイスティングがセラー内で行われます。4名のゲスト、オリヴィエ・クリュッグ、クリュッグ メゾンのテイスティングコミッティメンバー2名、マスター・オブ・ワインのセレナ・サトクリフによるテイスティングが行われ、その印象が語られます。それらの感想は「クリュッグ プライベート・キュヴェ1915公式テイスティング記録」として正式に登録され、刻印されます。

 人生で一度きりのこの体験の最後には、テイスティング後のボトルにオリジナルラベルを再現したラベルを貼ったものが特注のオークの箱に収められ、特製フォトアルバムと共に落札者に贈られます。そして100年を経てなお生き続けるのです。すべてが始まった場所で、より一層の歓びと共に。

【2日間の体験】
1日目:クリュッグ クロ・デュ・メニル エクスペリエンス
クリュッグ クロ・デュ・メニル 2003
クリュッグ クロ・デュ・メニル 1998
クリュッグ クロ・デュ・メニル 1996
クリュッグ クロ・デュ・メニル 1992
クリュッグ クロ・デュ・メニル 1985

2日目:クリュッグ テイスティング エクスペリエンス
クリュッグ 1988-アンリ・クリュッグ秘蔵ヴィンテージ
クリュッグ 1966-50周年記念ヴィンテージ オリヴィエ・クリュグさえ抜栓することを許されなかった貴重なヴィンテージ
クリュッグ 1959-ポール・クリュッグの細部へのこだわりと忍耐へのトリビュート
クリュッグ 1928- 伝説的1本。クリュッグの歴史上初、抜栓される1本
クリュッグ 1915- 現存する4本のうちの1本。1915ヴィンテージは今日、苛酷な環境によって傷ついた 大地からその良さを引き出そうと決意した人々の勇気を象徴するものです。クリュッグの過去の貴重な一部。
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                        ***

1915年:セラーの中での日常
 1914年9月から1918年11月まで、ランスは1151日間にわたる爆撃にさらされました。クリュッグ家もまた、戦争を受けた数百万のフランス人たちと運命を共にしました。彼らは従業員とその家族、そして地域を支え、絶え間ない爆撃からの避難所として、所有する建物を開放しました。ランスの人々はセラーに逃げ込み、そこでロウソクや石油ランプのほの暗い明かりを頼りに、読書、料理、おしゃべり、編み物などをして過ごしました。学校用に教室が用意され、地元の子供たち40人が通いました。教会が破壊されると、クリュッグ家もその一員であったプロテスタントの人々は、「地下室」と呼ばれたセラーの一部に集って礼拝をしました。
 数年前、クリュッグ家が所蔵する記録の中から、メゾンを研究する歴史家らがある宝物を見つけました。小さな箱の中に、当時を証言する貴重なものが収められていたのです。それは、アリス・マルタンという一人の年若い避難者の日記と、長らく忘れ去られていた、大戦中のクリュッグ家の何気ない日常風景を映した写真のアルバムでした。今日、これらの写真は、1世紀前のランスの人々の勇敢さと犠牲を証言する、時宜を得た記念品となっています。
1915年:家族の献身
 大戦が始まって間もなく、初代の孫に当たるクリュッグ家当主、ヨーゼフ・クリュッグ2世 はフランス軍に召集されました。彼は捕虜となり、プロシアに抑留されます。1917年の春にようやく解放され、療養のためにスイスへと赴きました。従業員がほとんどいない中、妻のジャンヌはメゾンの事業を維持し、ランスにおける戦争への取り組みに協力しました。強固な意志を持った度量の大きな女性で、ランスの赤十字と協力し、地元に残された家族の面倒をみながら、バル・ド・グラス仏軍病院など、ランス市内や周辺の病院で傷病兵の手当てをしました。ジャンヌ・クリュッグは一家の当主の役割を引き受け、不在の夫の代わりを1917年3月まで務めました。
 ヨーゼフ・クリュッグ2世とジャンヌ・クリュッグは1917年の夏にパリで合流し、会社の経営を再開するとともに、戦争終盤に激しさを増した爆撃から逃れるため、ランスから会社を移しました。戦争が終結すると、ジャンヌ・クリュッグは慈善組織「Retour à Reims(ランスへ還ろう)」の起ち上げを支援しました。フランスで最初に市議会に参加した女性の一人でもある彼女は、American Fund for French Wounded(フランス傷病兵のための米国基金)に協力し、American Memorial Hospital(アメリカ記念病院)として知られる小児病院をランスに設立しました。この病院は今日でもフランスの先進的な病院であり、フランスと米国の人々の間の友情の生きた証として、ランスとその周辺地域の子供たちに恩恵を与えています。

1915年: 英雄的なヴィンテージ
「私たちは、我々独自の地道な方法により、伝統を守り続けることによって歴史を作っています。だからこそ、クリュッグ家の過去のこの大切な一片を受け継いでいくことに、誇らしさと喜びを感じています」とオリヴィエ・クリュッグは語ります。
惨状が繰り広げられたにも関わらず、1915年の収穫は格別のヴィンテージをもたらしました。現在、たった4本の希少なボトルが残されており、メゾンのコレクション の一部として、クリュッグ家のセラーに保存されています。
1914年9月4日から12日にかけてドイツ軍に占領され、続いて彼らが周辺の拠点に後退した後、ランスの街は前線からたった1200メートルのところに位置していたため、激しい砲撃にさらされました。
いくつかの地域、特にモンターニュ・ド・ランスでは、猛烈な爆撃の中、塹壕からたった数百ヤードのところでブドウの収穫が行われました。ほぼ毎日のように砲撃があったため、フランス軍はランスに通じる道路の定期的な封鎖を余儀なくされました。そのためクリュッグ家にとって、ブドウ畑までの道のりをワイン樽を運んで行き来するのは至難の業でした。

「収穫は順調に進んでおり、天候にも恵まれているので、状態が良く質の高いワインを作れそうです。」
1915年9月22日、その年の収穫の進み具合について、こうした報告がジャンヌ・クリュッグのもとに送られています。ジャンヌ・クリュッグは、収穫の状況とワインの品質について夫に報告し、原料とブレンドに関する夫の助言を、醸造最高責任者に返信しました。
1915年、彼女はこう書き残しています。「1914年と1915年のワインを思い起こすたび、生産者や取引業者たちの勇気ある献身に心から尊敬の念を抱きます。」今日、1915年のヴィンテージは、暴力で破壊された土地から素晴らしい恵みを摘み取った人々の勇気を象徴するものとなっています。
「今日の我々は、破壊のただ中で畑の手入れと収穫を続けた、コミュニティ全体のその精神力と意志の強さに敬服するばかりです。この土地の人々が、私の一族とメゾン クリュッグに対して示してくれた献身に感謝の意を表します」とオリヴィエ・クリュッグは語ります。

現存する4本の『クリュッグ プライベート・キュヴェ1915』は、メゾンのセラーの中で、完璧な状態で保管されています。

                        ***

クリュッグについて
クリュッグ社(The House of Krug)は1843年、ヨーゼフ・クリュッグによってランスで創業されました。ヨーゼフは妥協を許さない哲学とk既成概念にとらわれない異端児で、愉しむことこそがシャンパーニュの本質だと理解していました。彼はヴィンテージという概念を超越し、天候の違いに左右されることなく誰もが認める卓越した品質を持つシャンパーニュを毎年提供することに成功しました。それぞれの区画が持つ個性を重視し、リザーヴワインの広範な「ライブラリ」を確立することで、ヨーゼフ・クリュッグはプレステージ・シャンパーニュだけを作る最初にして唯一のシャンパーニュ・メゾンを創業しました。彼のビジョンと創意工夫は6世代にわたりクリュッグ家に受け継がれ、高められています。
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