【国立科学博物館】光合成を止(や)めた藻類の100年の謎解く全ゲノム解読に成功 ―「植物-(ひく)光合成=動物」ではない―
[22/04/30]
提供元:PRTIMES
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概要
光合成は光エネルギーを利用して生きていくことができるため便利だろうと考えられていますが、実際には進化の過程で光合成を止めた「元」植物や「元」藻類が数多く生息しています。また、それらの多くは光合成をしない葉緑体を維持したままです。
京都大学大学院農学研究科 神川龍馬 准教授、筑波大学計算科学計算センター 中山卓郎 助教、国立科学博物館動物研究部 谷藤吾朗 研究主幹、国立遺伝学研究所 中村保一 教授らの共同研究グループは、地球全体の光合成の約20%に貢献すると言われる珪藻の中で、光合成を止めた種の全ゲノム解読に成功しました。この種は光合成をしない代わりに環境中に溶存する栄養分を吸収して生育していますが、その詳細なメカニズムはわかっていませんでした。本研究では全ゲノム解読に加え、機能している遺伝子を網羅的に検出するトランスクリプトーム解析や生化学実験などを用いた多角的な研究により、本種が光合成を止めた後も葉緑体での物質生産を維持しつつ、周りの養分を効率よく獲得するための能力を増大させていることが明らかとなりました。これは一般的な植物や藻類とも、そして動物とも異なる能力をもつことを意味します。光合成を止めた本種の全ゲノム解読は地球上で起きてきた生物進化の一面を解き明かすとともに、生物にとって光合成とは何かをひも解く鍵となることが期待されます。
本成果は、2022年4月29日(現地時刻)に米国の国際学術誌「Science Advances」にオンライン掲載されます。
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光合成を止(や)めた珪藻のゲノムから明らかになった細胞機能。葉緑体内で物質生産をしながらエネルギー源などは外部から得る(右)。光合成する珪藻(左)のエネルギー源は光であり、植物同様葉緑体内で様々な物質を産生する・シリカは珪藻の細胞壁の主成分。
背景
光合成とは光エネルギーを細胞内で利用可能なエネルギーに変換する反応です。植物や藻類では、葉緑体で光合成を行い、得られたエネルギーでアミノ酸や脂肪酸、脂質など生きるために必要な様々な物質を自ら生産します。我々ヒトを含めた動物は、葉緑体を持たないため、植物のように光をエネルギー源として使うことも、葉緑体を介した物質生産もできません。そのため、動物は植物とは異なり、他の生物を食べる必要があります。
植物が他の生物を食べなくても生きていけるように、光合成には利点があるように見えます。しかしその一方で、便利に見える光合成を進化の過程で止めてしまった「元」植物や「元」藻類が数多く知られています。光合成を止めた生物がどのような生き方をし、その細胞は何ができるのかは生物進化の側面からとても興味深い問題です。最も研究されている「元」藻類は、ヒトのマラリア症の原因生物であるマラリア原虫が挙げられます。本種はヒトに寄生し死に至らしめる生物ですが、もともとは光合成を行っていたことが分かっています。マラリア原虫を始めとして、いくつかの「元」植物や「元」藻類だった寄生性種の全ゲノム解読が行われ、寄生様式の解明や細胞機能の研究が進められてきました。
しかし、その一方で、モノを食べるわけでもなく、寄生しているわけでもない「元」藻類が知られていました。本研究では、寄生性でない、環境中で自由に生活している「元」藻類の珪藻に着目しました。珪藻は地球の光合成の約20%を担う大変重要な単細胞の生物ですが、そのうちの数種では進化の過程で光合成を止めたことが知られています。特に珪藻Nitzschia putrida(ニッチア・プトリダ; 図1)は、光合成を行わない種として1800年代からその存在が知られており、1900年には正式に記載されていました。しかし、発見から100年以上経った2020年以降も本種がどのように海の中で生きているのかは謎のままでした。
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研究手法・成果
本研究グループが独自に確立した培養株Nitzschia putrida(ニッチア・プトリダ)PL1-1株(国立環境研究所寄託番号:NIES-4239株)を対象とし、2種類の次世代シーケンスデータ*1を組み合わせることで高品質なゲノム配列を得ることに成功しました。真核生物の遺伝子は、タンパク質を作る情報を含んだエキソンと含まないイントロンなどで構成されます。タンパク質情報を含むエキソンを正確に同定するため、トランスクリプトームデータ*2を活用し、遺伝子領域を推定しました。その結果、非光合成性珪藻ニッチア・プトリダは、二倍体ゲノムをもち、一倍体分のゲノムサイズが約35 Mbp(メガベースペア)であり、約15000遺伝子を含んでいることを明らかにしました。これまでに知られている光合成を止(や)めた寄生性単細胞生物ではゲノムサイズおよび遺伝子数の縮退が報告されていましたが、本種は近縁な光合成性の珪藻と比較して、ゲノムサイズも遺伝子数も縮退が認められませんでした。これまで報告されていた光合成を止めた生物のゲノムサイズや遺伝子数の減少は寄生性という生活様式のためで、光合成を止めた進化とは直接関係しないと考えられます。
特に興味深いのは、本種の葉緑体の役割でした。本種のゲノム中には、光合成色素であるクロロフィルおよびフコキサンチンなどのカロテノイドといった色素合成遺伝子や光合成に関わる遺伝子は検出されませんでした。しかし葉緑体は光合成を止めたあとも細胞内に保持されており、アミノ酸や脂肪酸、脂質など細胞の生存に必須な多数の物質を合成していることが明らかになりました。光合成を止めた光エネルギーが利用できなくなった後も、その葉緑体はモノづくりの場として働いていることになります。さらにニッチア・プトリダは、葉緑体の役割だけでなく、細胞内での物質の移動ルートも変更していることが分かりました。真核生物の細胞内はオルガネラと呼ばれる膜で区切られた小部屋が多数存在します。光合成性の珪藻でも、葉緑体とミトコンドリア*3、そして解毒作用を担うペルオキシソーム*4が綿密に相互作用しています。しかし光合成を止めた本種では、ミトコンドリアと葉緑体、ミトコンドリアとペルオキシソームの間では物質のやり取りがあるものの、葉緑体とペルオキシソームの間の相互作用は確認できませんでした。これは、光合成を止めることが葉緑体の中だけの現象ではなく細胞全体に影響するということを意味しています。
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加えて、単細胞の生物では、外部からの養分の摂取が細胞膜を通じて行われることから、その細胞膜機能に着目しました。その結果、細胞外からエネルギー源となる養分および細胞壁の材料であるシリカ*5を吸収するためのトランスポーター遺伝子や、細胞外で環境変動の認識や接着・物質分解に機能するタンパク質遺伝子は、光合成を止めたあと数が増えたり多様化したりしていることも分かりました。光エネルギーを利用できない分、細胞外のエネルギー源やその他の細胞の生存に必須となる物質の確保がしやすくなるように進化していると考えられます。
植物と動物の最も大きな違いの一つに光合成がありますが、ニッチア・プトリダは光合成を止めても動物のような生き方になるのではなく、植物のようにアミノ酸や脂質などの細胞の材料となる物質を作りながらエネルギー源となる周りの炭水化物を吸収するという、動物とも植物とも異なる性質をもっていると解釈できます。これらは、マラリア原虫などの光合成を止めた寄生性生物が寄生相手から様々な物質を得ながら葉緑体でほとんどモノづくりをしていない特徴とは大きく異なるものでした。本研究によって生物進化の新たな方向性が見出されたことになります。
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波及効果、今後の予定
今回の研究で、進化の過程で光合成を止めた珪藻ニッチア・プトリダがどのような細胞機能をもち、どのように生きているのかが、その発見から100年以上たってようやくゲノムから解き明かされました。生物にとって光合成や葉緑体とは何か、など、生命の根幹に関わる問いに迫るための重要な研究と位置付けられます。ただし、光合成を止めた「元」藻類は、珪藻ニッチア・プトリダだけではありません。珪藻のみならず、多種多様な藻類グループにおいて、光合成を止めるという進化をした種が数多く存在します。一見有利なように見える光合成とは何か、そして光合成を止めることには生物にとって何か利点があるのか、それを理解するには今回の一例の研究に留まることなく、様々な「元」藻類の生き様をゲノムから解き明かしていく必要があると考えられます。
上記のような基礎的な側面だけではなく、応用面でも本研究成果は重要です。藻類のもつ様々な色素の多くは抗酸化物質として有用ですが、それらが細胞内でどのように作られているのかよく分かっていません。今回ゲノム解読されたニッチア・プトリダは色素合成も行いません。そのため、「ニッチア・プトリダで失われている」けれど「光合成性珪藻で保持されている」遺伝子の中には、色素を作る未知の遺伝子が含まれている可能性が極めて高く、今後の色素合成に関わる遺伝子の同定、そしてそれらを活用した有用物質生産法の開発への情報基盤となることが期待されます。
研究プロジェクトについて
本研究は、文部科学省科学研究費助成事業 新学術領域研究『学術研究支援基盤形成』先進ゲノム解析研究推進プラットフォーム(16H06279; PAGS)、JSPS科学研究費基盤研究(A)(18H03743)、JSPS科学研究費基盤研究(B)(17H03723、19H03274、20H03305)、JSPS科学研究費挑戦研究研究(21K19303)、JSPS 科学研究費若手研究(20K15783)、NIG-JOINT (7A2017、6A2018、30A2019) の支援を受けて行われました。また、本研究は、京都大学、国立遺伝学研究所、国立科学博物館、筑波大学を始めとした日本、英国、フランス、ドイツの大学・研究機関との国際共同研究として実施されました。
<用語解説>
*1 2種類の次世代シーケンスデータ:長い配列が読める手法と、読める配列は短いがより大量かつ正確に読める手法による塩基配列データ
*2 トランスクリプトームデータ:遺伝子転写産物を網羅的に解析した塩基配列情報
*3 ミトコンドリア:酸素を用いたエネルギー合成を主に担う細胞小器官
*4 ペルオキシソーム:生物や環境によってその役割は異なるが、光合成性珪藻では脂肪酸の酸化に加え二酸化炭素固定の際の副産物の分解などを担う細胞小器官
*5 シリカ:ガラスなどを作る際にも使われる化学式SiO2で表される物質
<研究者のコメント>
本研究で対象としたのは、一見便利な光合成を進化の過程で止(や)めてしまった興味深い生物です。光合成を止めた珪藻の培養株を最初にできてから、形態観察、培養実験などを含め、10年かけてゲノム解読までこぎ着けることができました。心から安堵しております。ここまで来れたのも、研究をご支援いただいた研究助成機関、そしてこれまでご協力いただいた共同研究者の皆様や関わってくれた学生のおかげです。(神川龍馬)
<論文タイトルと著者>
タイトル:
Genome evolution of a non-parasitic secondary heterotroph, the diatom Nitzschia putrida(寄生性でない光合成能喪失生物、珪藻Nitzschia putridaのゲノム進化)
著 者:
Ryoma Kamikawa, Takako Mochizuki, Mika Sakamoto, Yasuhiro Tanizawa, Takuro Nakayama, Ryo Onuma, Ugo Cenci, Daniel Moog, Samuel Speak, Krisztina Sarkozi, Andrew Toseland, Cock van Oosterhout, Kaori Oyama, Misako Kato, Keitaro Kume, Motoki Kayama, Tomonori Azuma, Ken-ichiro Ishii, Hideaki Miyashita, Bernard Henrissat, Vincent Lombard, Joe Win, Sophien Kamoun, Yuichiro Kashiyama, Shigeki Mayama, Shin-ya Miyagishima, Goro Tanifuji, Thomas Mock, Yasukazu Nakamura
掲 載 誌:Science Advances
DOI:10.1126/sciadv.abi5075
[画像5: https://prtimes.jp/i/47048/426/resize/d47048-426-400c06ca19d8d3df0edb-4.jpg ]
【国立科学博物館】
ホームページ:https://www.kahaku.go.jp/
筑波研究施設:https://www.kahaku.go.jp/institution/tsukuba/