「テレビ狂」 萩本欽一の本当の声。書籍『 誰も知らない、萩本欽一 。 We Love Television? 』(ぴあ)本日発売 〜映画「We Love Television?」公開記念〜
[17/10/28]
提供元:PRTIMES
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「アイデア」や「ものづくり」、それから「おもしろさ」とは何かと考えたい人に( 土屋敏男 「はじめに」より)
[画像: https://prtimes.jp/i/11710/667/resize/d11710-667-402878-0.jpg ]
本日10月28日、ぴあ株式会社より、書籍『誰も知らない、萩本欽一。We Love Television?』が発売となりました。
本書は土屋敏男氏の初監督作品『We Love Television?』(http://kinchan-movie.com/)の撮影を通して、萩本欽一さんに聞き続けてきた膨大な量の談話の中の「アイデア」や「ものづくり」、「おもしろさ」に関わる発言を本として持ち運べる形に加工したものです。
視聴率100%男といわれた萩本さんの過去の言葉ではなく、改めて 本気で30%番組を狙う過程の発想のプロセスが綴られています。
テレビをはじめ、企画やものづくりに関わっていたり、興味を持つ人々にぜひ読んでいただきたい一冊です。
BOOKぴあ http://piabook.com/shop/g/g9784835638362/
セブンネットショッピング http://7net.omni7.jp/detail/1106824378
Amazon https://goo.gl/mbVrwm
〜『 誰も知らない、萩本欽一。We Love Television? 』より〜
[10] テレビには芸が映らない、と言われてきたよね。
でも、これから、デジタルで画面が鮮明になると、芸の深みも映るのね。
(後略)
[65] 笑いの番組を作る時に必要なのは、もはや、「笑い」ではなく「切り口」なんだね。
だから、「いま、何をおかしいと思うか?」から入ったら忘れ物が多くなると思う。
[97] 人間のおもしろさは、遺伝で決まるのかって……いや、環境だろうね。
(中略)
僕の考え方の癖は、笑いには向いていなかったから出てきたものなので。
番組はすべて「一歩、下がる」から生まれた。だから、才能ではないよね。
[40] ぼくは、テレビをやる時に「これをしてね」と伝えるのは、好きじゃないの。
ぜんぶ「これ、やめてね」なの。だから、難しくないのね。アドリブだから。
[84] ぼくが企画するのは、むしろ、誰も近寄りたくない題材で作る番組だね。
大学を出て、巣馬人から選ばれてテレビ局の社員になった人たちがいる。
テレビを作るというのは、常にそんな人たちと競争しているわけなのよ。
(後略)
[152] リハーサルをするとかしないとか、そういうのをぼくに質問したら、いやだよ?
「どうしてですか?」も、ダメ。訊いちゃダメというは、ぼくの憲法だから。
[103] いまの若い人は、何をやるのでも、事前に安心したがるのかもしれないなぁ。
(中略)
でも、「安心したい」って何なの? テレビを観る人は、安心を観たいわけ?
いや、「熱さ」を観たいんじゃないの? 「夢中さ」を観たいんじゃないの?
[179] テレビは、数字が答えだからさ。足りないところがあったということなんだよね。
七十歳の挑戦は終わった。でも、もう少し闘えたらなぁというのが正直なところ。
[172] 河本くんは収録のあと、泣くほど喜んでくれて。おれも、抱きついちゃった。
(中略)
収録現場では、河本くんがばんばん飛ばしてくれるアドリブで奇跡が起きた。
うん、彼には奇跡が起きていたんだ。今回のテレビでも、奇跡が起きたんだ。
[24] いまのテレビって、一生懸命に笑いをやると、それがそのまま流れていく
そのおかしさを、おしゃれに演出するディレクターがなかなかいないのね。
タレントさんが優れているせいか、いじくりまわせないんだろうけれども。
(後略)
[61] 一緒に組んでくれてる人には、ぜひ他の局にはばれないようにしてもらいたいんです。
一緒にやってることを、よそから訊かれたら、つまらなそうに見せて欲しいのね。
マネもしたくないような、馬鹿でつまらなそうなことをやろうとしている、という
(後略)
【プロフィール】
語り・萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941年、東京都生まれ。浅草の劇場で修業を重ね、1966年に坂上二郎と「コント55号」を結成。テレビ番組『コント55号のなんでそうなるの?』などで評価を確定させる。毎週のように視聴率が30%を超える『欽ドン!』『欽どこ』といった人気番組を数多く生み出してきた。カメラや音声の技術にまでこだわった膨大な量の実験により、放送業界においては「国内のテレビバラエティにおける基本的な技法を開拓し、築き上げた人物」とされている。同時期に出演していたレギュラー番組の視聴率を足したら100%を超える状態にまで至っていたことから、「視聴率100%男」と言われてきた。
取材・土屋敏男(つちや・としお)
1956年、静岡県生まれ。萩本欽一、テリー伊藤に師事した文脈を活かし、『進め!電波少年』『ウリナリ!!』といった日本テレビにおける人気バラエティ番組を作り続けてきた。萩本欽一から教えを受けたのは1988年の『欽きらリン530!!』(萩本46歳、土屋31歳)。ネット上のビデオ・オン・デマンド事業「第2日本テレビ」、スマホアプリで楽しむVRドラマ『ゴースト刑事』など、「テレビ局にこそ製作できるが、テレビの枠からはみ出たものづくり」の立ち上げにも多く挑戦してきた。2017年公開のドキュメンタリー『We Love Television?』にて、初の映画監督を務める。
構成・木村俊介(きむら・しゅんすけ)
1977年、東京都生まれ。インタビューを専業にし、ノンフィクションや聞き書きによる書籍をまとめてきた。著書に『インタビュー』『善き書店員』(ミシマ社)、『漫画編集者』(フィルムアート社)など、聞き書きに『調理場という戦場』(斉須政雄/幻冬舎文庫)などがある。
[表: https://prtimes.jp/data/corp/11710/table/667_1.jpg ]
【取材・マスコミ関係のお問い合わせ】
ぴあ株式会社 宣伝企画室 TEL:03-5774-5262 FAX:03-5774-5362
担当:粟村 kaori.awamura@pia.co.jp
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本日10月28日、ぴあ株式会社より、書籍『誰も知らない、萩本欽一。We Love Television?』が発売となりました。
本書は土屋敏男氏の初監督作品『We Love Television?』(http://kinchan-movie.com/)の撮影を通して、萩本欽一さんに聞き続けてきた膨大な量の談話の中の「アイデア」や「ものづくり」、「おもしろさ」に関わる発言を本として持ち運べる形に加工したものです。
視聴率100%男といわれた萩本さんの過去の言葉ではなく、改めて 本気で30%番組を狙う過程の発想のプロセスが綴られています。
テレビをはじめ、企画やものづくりに関わっていたり、興味を持つ人々にぜひ読んでいただきたい一冊です。
BOOKぴあ http://piabook.com/shop/g/g9784835638362/
セブンネットショッピング http://7net.omni7.jp/detail/1106824378
Amazon https://goo.gl/mbVrwm
〜『 誰も知らない、萩本欽一。We Love Television? 』より〜
[10] テレビには芸が映らない、と言われてきたよね。
でも、これから、デジタルで画面が鮮明になると、芸の深みも映るのね。
(後略)
[65] 笑いの番組を作る時に必要なのは、もはや、「笑い」ではなく「切り口」なんだね。
だから、「いま、何をおかしいと思うか?」から入ったら忘れ物が多くなると思う。
[97] 人間のおもしろさは、遺伝で決まるのかって……いや、環境だろうね。
(中略)
僕の考え方の癖は、笑いには向いていなかったから出てきたものなので。
番組はすべて「一歩、下がる」から生まれた。だから、才能ではないよね。
[40] ぼくは、テレビをやる時に「これをしてね」と伝えるのは、好きじゃないの。
ぜんぶ「これ、やめてね」なの。だから、難しくないのね。アドリブだから。
[84] ぼくが企画するのは、むしろ、誰も近寄りたくない題材で作る番組だね。
大学を出て、巣馬人から選ばれてテレビ局の社員になった人たちがいる。
テレビを作るというのは、常にそんな人たちと競争しているわけなのよ。
(後略)
[152] リハーサルをするとかしないとか、そういうのをぼくに質問したら、いやだよ?
「どうしてですか?」も、ダメ。訊いちゃダメというは、ぼくの憲法だから。
[103] いまの若い人は、何をやるのでも、事前に安心したがるのかもしれないなぁ。
(中略)
でも、「安心したい」って何なの? テレビを観る人は、安心を観たいわけ?
いや、「熱さ」を観たいんじゃないの? 「夢中さ」を観たいんじゃないの?
[179] テレビは、数字が答えだからさ。足りないところがあったということなんだよね。
七十歳の挑戦は終わった。でも、もう少し闘えたらなぁというのが正直なところ。
[172] 河本くんは収録のあと、泣くほど喜んでくれて。おれも、抱きついちゃった。
(中略)
収録現場では、河本くんがばんばん飛ばしてくれるアドリブで奇跡が起きた。
うん、彼には奇跡が起きていたんだ。今回のテレビでも、奇跡が起きたんだ。
[24] いまのテレビって、一生懸命に笑いをやると、それがそのまま流れていく
そのおかしさを、おしゃれに演出するディレクターがなかなかいないのね。
タレントさんが優れているせいか、いじくりまわせないんだろうけれども。
(後略)
[61] 一緒に組んでくれてる人には、ぜひ他の局にはばれないようにしてもらいたいんです。
一緒にやってることを、よそから訊かれたら、つまらなそうに見せて欲しいのね。
マネもしたくないような、馬鹿でつまらなそうなことをやろうとしている、という
(後略)
【プロフィール】
語り・萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941年、東京都生まれ。浅草の劇場で修業を重ね、1966年に坂上二郎と「コント55号」を結成。テレビ番組『コント55号のなんでそうなるの?』などで評価を確定させる。毎週のように視聴率が30%を超える『欽ドン!』『欽どこ』といった人気番組を数多く生み出してきた。カメラや音声の技術にまでこだわった膨大な量の実験により、放送業界においては「国内のテレビバラエティにおける基本的な技法を開拓し、築き上げた人物」とされている。同時期に出演していたレギュラー番組の視聴率を足したら100%を超える状態にまで至っていたことから、「視聴率100%男」と言われてきた。
取材・土屋敏男(つちや・としお)
1956年、静岡県生まれ。萩本欽一、テリー伊藤に師事した文脈を活かし、『進め!電波少年』『ウリナリ!!』といった日本テレビにおける人気バラエティ番組を作り続けてきた。萩本欽一から教えを受けたのは1988年の『欽きらリン530!!』(萩本46歳、土屋31歳)。ネット上のビデオ・オン・デマンド事業「第2日本テレビ」、スマホアプリで楽しむVRドラマ『ゴースト刑事』など、「テレビ局にこそ製作できるが、テレビの枠からはみ出たものづくり」の立ち上げにも多く挑戦してきた。2017年公開のドキュメンタリー『We Love Television?』にて、初の映画監督を務める。
構成・木村俊介(きむら・しゅんすけ)
1977年、東京都生まれ。インタビューを専業にし、ノンフィクションや聞き書きによる書籍をまとめてきた。著書に『インタビュー』『善き書店員』(ミシマ社)、『漫画編集者』(フィルムアート社)など、聞き書きに『調理場という戦場』(斉須政雄/幻冬舎文庫)などがある。
[表: https://prtimes.jp/data/corp/11710/table/667_1.jpg ]
【取材・マスコミ関係のお問い合わせ】
ぴあ株式会社 宣伝企画室 TEL:03-5774-5262 FAX:03-5774-5362
担当:粟村 kaori.awamura@pia.co.jp