国民的ヒーロー「アンパンマン」はここから生まれた――。やなせたかしの弟と、戦友の鎮魂に人生をかけたある男の物語 ジャーナリスト・門田隆将の最新刊『慟哭の海峡』発売開始!
[14/10/10]
提供元:PRTIMES
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角川書店 ブランドカンパニー
太平洋戦争時、10万人を超える日本軍兵士たちが犠牲になったとされる「バシー海峡」。
その犠牲者の一人に、「アンパンマン」の作者である、やなせたかしの弟がいた。
一方、その“魔の海峡”から12日間の漂流を経て奇跡の生還を遂げた若者、中嶋秀次がいた。
彼は死んだ戦友の鎮魂のため、海峡が見える丘に寺院を建てることに人生を捧げた。
“世紀のヒーロー”アンパンマンとは、いったい「誰」なのですかーー?
今、明かされる、「慟哭の海峡」をめぐる真実の物語。
株式会社KADOKAWAより、故・吉田昌郎福島第一原発所長(当時)の単独取材を獲得した唯一のジャーナリスト・門田隆将の最新刊『慟哭の海峡』を10月10日より発売致します。
<書誌情報>
発売日:2014年10月10日(金) 頁数:336頁 価格:本体1,600円+税 体裁:四六判上製
作品公式HP:http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/dokokunokaikyo/
<内容>
太平洋戦争中、“輸送船の墓場”と称され、10万を超える日本兵が犠牲になったとされる台湾とフィリピンの間の「バシー海峡」。アンパンマンの作者である、やなせたかしの弟もその一人だ。その“魔の海峡”から12日間の漂流を経て奇跡の生還を遂げた若者がいた(中嶋秀次)。彼は死んだ戦友の鎮魂のために戦後の人生を捧げ、海峡が見える丘に長い歳月の末に、ある寺院を建てた(潮音寺)。2013年10月、やなせたかしとその人物は、奇しくもほぼ同時期に息を引き取った。「生」と「死」の狭間で揺れ、自己犠牲を貫いた大正生まれの男たち。今、明かされる運命の物語とは――。
・柳瀬千尋さんの写真1.
昭和16年12月、太平洋戦争開戦の頃、京都土佐塾の面々(後列右端から2人おいて柳瀬千尋さん)(提供・広井正浩氏)
・柳瀬千尋さんの写真2.
馬の銅像に跨って得意気な柳瀬千尋さん(写真のキャプションには、「柳瀬君の綽名は“馬”でありました」とある)(提供・広井正浩氏)
・中嶋秀次さんの写真
亡くなる1か月前、戦友の慰霊に生涯を捧げた中嶋秀次さんは最期の証言をおこなった。
<「バシー海峡」とは>
台湾島南端からフィリピンのルソン島間のルソン海峡のうち、台湾島側鵝鑾鼻岬とフィリピン領バタン諸島(バシー諸島)との間にある海峡を指す。太平洋と南シナ海を結ぶ交通の要所で太平洋戦争後半には、米軍潜水艦が多数配置され、多くの日本輸送船を沈められたことから輸送船の墓場と呼ばれた。
<著者紹介>門田隆将(かどた・りゅうしょう)
1958年(昭和33年)、高知県生まれ。中央大学法学部卒。ノンフィクション作家として、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなど幅広い分野で活躍。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』(講談社文庫)、『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮文庫)、『太平洋戦争 最後の証言』(第一部〜第三部・小学館)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)、『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館)、『記者たちは海に向かった津波と放射能と福島民友新聞』(角川書店)などがある。
太平洋戦争時、10万人を超える日本軍兵士たちが犠牲になったとされる「バシー海峡」。
その犠牲者の一人に、「アンパンマン」の作者である、やなせたかしの弟がいた。
一方、その“魔の海峡”から12日間の漂流を経て奇跡の生還を遂げた若者、中嶋秀次がいた。
彼は死んだ戦友の鎮魂のため、海峡が見える丘に寺院を建てることに人生を捧げた。
“世紀のヒーロー”アンパンマンとは、いったい「誰」なのですかーー?
今、明かされる、「慟哭の海峡」をめぐる真実の物語。
株式会社KADOKAWAより、故・吉田昌郎福島第一原発所長(当時)の単独取材を獲得した唯一のジャーナリスト・門田隆将の最新刊『慟哭の海峡』を10月10日より発売致します。
<書誌情報>
発売日:2014年10月10日(金) 頁数:336頁 価格:本体1,600円+税 体裁:四六判上製
作品公式HP:http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/dokokunokaikyo/
<内容>
太平洋戦争中、“輸送船の墓場”と称され、10万を超える日本兵が犠牲になったとされる台湾とフィリピンの間の「バシー海峡」。アンパンマンの作者である、やなせたかしの弟もその一人だ。その“魔の海峡”から12日間の漂流を経て奇跡の生還を遂げた若者がいた(中嶋秀次)。彼は死んだ戦友の鎮魂のために戦後の人生を捧げ、海峡が見える丘に長い歳月の末に、ある寺院を建てた(潮音寺)。2013年10月、やなせたかしとその人物は、奇しくもほぼ同時期に息を引き取った。「生」と「死」の狭間で揺れ、自己犠牲を貫いた大正生まれの男たち。今、明かされる運命の物語とは――。
・柳瀬千尋さんの写真1.
昭和16年12月、太平洋戦争開戦の頃、京都土佐塾の面々(後列右端から2人おいて柳瀬千尋さん)(提供・広井正浩氏)
・柳瀬千尋さんの写真2.
馬の銅像に跨って得意気な柳瀬千尋さん(写真のキャプションには、「柳瀬君の綽名は“馬”でありました」とある)(提供・広井正浩氏)
・中嶋秀次さんの写真
亡くなる1か月前、戦友の慰霊に生涯を捧げた中嶋秀次さんは最期の証言をおこなった。
<「バシー海峡」とは>
台湾島南端からフィリピンのルソン島間のルソン海峡のうち、台湾島側鵝鑾鼻岬とフィリピン領バタン諸島(バシー諸島)との間にある海峡を指す。太平洋と南シナ海を結ぶ交通の要所で太平洋戦争後半には、米軍潜水艦が多数配置され、多くの日本輸送船を沈められたことから輸送船の墓場と呼ばれた。
<著者紹介>門田隆将(かどた・りゅうしょう)
1958年(昭和33年)、高知県生まれ。中央大学法学部卒。ノンフィクション作家として、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなど幅広い分野で活躍。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。主な著書に『甲子園への遺言 伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』(講談社文庫)、『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮文庫)、『太平洋戦争 最後の証言』(第一部〜第三部・小学館)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)、『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館)、『記者たちは海に向かった津波と放射能と福島民友新聞』(角川書店)などがある。