【京都ホテルオークラ】創業130周年記念◆創業者 前田又吉像と伊藤博文像を建立
[18/05/30]
提供元:PRTIMES
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ホテル周辺で明治時代ゆかりの名所散策を
京都ホテルオークラ(本社:京都市中京区 (株)京都ホテル、東証2部上場、代表取締役社長 福永法弘)では、創業130周年を記念して、ホテル北東角に、前田又吉(創業者)と伊藤博文の銅像を建立し、2018年6月2日(土)に除幕式を開催いたします。
第二次世界大戦時に失われた創業者の銅像の再建により、ホテル創業の記念の碑を次世代へ受け継ぎたいと考えております。
また、本年は明治150年にもあたります。今回、前田又吉と親交があった初代内閣総理大臣 伊藤博文の銅像を新たに建立することで、「長州屋敷跡碑」、「桂小五郎像」などとならぶ明治時代ゆかりの名所を新たに創出いたします。ホテルご来館のお客様にはホテル周辺の街歩きをお楽しみいただきながら、京都の歴史、更にはホテルの歴史を知っていただきたいと考えております。
◆除幕式 概要
【日時】2018年6月2日(土)9:30〜10:30
【会場】京都ホテルオークラ 北側
【来賓】前田様(前田又吉 直孫)/伊藤様(伊藤博文 曾孫)/京都山口県人会
[画像1: https://prtimes.jp/i/5118/1043/resize/d5118-1043-542289-1.jpg ]
◆前田又吉と伊藤博文
前田又吉は、大阪生まれの実業家。
明治初年(1868年)神戸花隈に料亭「常盤花壇」を創業。明治6年(1873年)に諏訪山(神戸市中央区)の鉱泉に着目し「常盤花壇」を諏訪山へ移転したことにより、諏訪山は温泉街として発展しました。
神戸で成功をおさめた後の明治21年(1888年)、京都の二条橋西詰に「京都常盤」を創業。明治23年(1890年)には、長州藩の京屋敷跡にあたる現在の場所に、京都では最初期の本格的な洋式ホテル「京都ホテル」(現:京都ホテルオークラ)を開業しました。
前田又吉は、神戸の名士として政財界の要人と広く交際し、初代兵庫県知事であった伊藤博文とも親交がありました。前田又吉の没後、神戸の有力者が功績を讃えようと銅像を諏訪山に建立し、銅像の傍らには伊藤博文の銘文を彫りこんだ「前田又吉銅像記碑」と、当時関西の人気書家であった巌谷一六の撰文と書による「又吉泉記碑」が建てられました。
銅像は第二次世界大戦の際に金属供出で失われましたが、2つの石碑は、京都ホテル創業100周年を記念して神戸から移され、現在も京都ホテルオークラの敷地内(ホテル北側)に残っています。
今回、その「前田又吉銅像記碑」前に、銅像を建立いたします。
◆ホテル周辺の明治ゆかりのスポット(概要)
[画像2: https://prtimes.jp/i/5118/1043/resize/d5118-1043-984148-2.jpg ]
1. 伊藤博文像 /ホテル北側
※今回建立
2. 桂小五郎像 /ホテル西側
長州藩出身の志士・政治家の像。「維新三傑」のひとり。ホテルの敷地が長州藩の京屋敷跡にあたることにちなみ、京都桂ライオンズクラブが結成30年を記念して平成7年(1995年)に建立。ホテル周辺には、桂小五郎ゆかりの料亭などもあります。
3. 長州屋敷跡碑 /ホテル南側、正面ゲート
江戸時代の重要な水運拠点であった高瀬川沿いには「加賀百万石」と評される加賀藩や譜代大名の筆頭格 彦根藩など大藩が屋敷を構えており、加賀藩の屋敷のすぐ北向かいに長州藩の京屋敷がありました。屋敷は幕末の混乱の際に焼失しましたが、その場所を示す碑が立てられています。
4. 明治天皇行幸所勧業場跡碑 /ホテル南側、正面ゲート
長州藩の京屋敷跡地に設置された京都府の勧業場(産業振興のための施設)へ、明治10年(1877年)明治天皇の行幸があったことを記念した碑。勧業場は、行幸の後明治14年(1881年)にその役目を終えました。
5. 天照神社 /ホテル北側
現在の京都ホテルオークラの建物が建てられた平成6年(1994年)に創建。長州藩の京屋敷内にあった稲荷社を合祀しています。また、部材には式年遷宮の時に伊勢神宮より貰い受けた木材が使われています。
6. 史跡・一之船入 /ホテル北側
江戸時代初期に開削され、300年余り京都の水運を担った高瀬川。京都の中心部と伏見港を結び、貨物や人々の移動のために多くの舟が行き交いました。一之船入は船溜所として、積荷のあげおろしなどに使われました。明治時代、琵琶湖疏水開通などの影響でその利用は徐々に減り、大正時代に入って高瀬川は運河としての役目を終えましたが、一之船入は9つあった船入の中で唯一現存する史跡で、カフェ「りょーい」、「チャイナテラス 桃李」(*)から眺めることができます。
*いずれも京都ホテルオークラ直営のカフェ、レストラン。
【京都ホテルオークラについて】
京都市の中心部に佇む、1888年創業の伝統あるホテル。2018年で創業 130周年となります。京の風情とヨーロピアンテイストが調和した落ち着いた趣の館内には国内外の賓客を迎えてきた歴史が刻まれています。高さ約60メートルの最上階レストランフロアからの眺めは美しく、東山三十六峰や鴨川、古都の街並みが一望できます。
〒604-8558 京都市中京区河原町御池
TEL:075-211-5111(代表)
アクセス:地下鉄東西線「京都市役所前駅」直結。/JR京都駅より車で約15分。
webサイトURL:https://www.hotel.kyoto/okura/
京都ホテルオークラ(本社:京都市中京区 (株)京都ホテル、東証2部上場、代表取締役社長 福永法弘)では、創業130周年を記念して、ホテル北東角に、前田又吉(創業者)と伊藤博文の銅像を建立し、2018年6月2日(土)に除幕式を開催いたします。
第二次世界大戦時に失われた創業者の銅像の再建により、ホテル創業の記念の碑を次世代へ受け継ぎたいと考えております。
また、本年は明治150年にもあたります。今回、前田又吉と親交があった初代内閣総理大臣 伊藤博文の銅像を新たに建立することで、「長州屋敷跡碑」、「桂小五郎像」などとならぶ明治時代ゆかりの名所を新たに創出いたします。ホテルご来館のお客様にはホテル周辺の街歩きをお楽しみいただきながら、京都の歴史、更にはホテルの歴史を知っていただきたいと考えております。
◆除幕式 概要
【日時】2018年6月2日(土)9:30〜10:30
【会場】京都ホテルオークラ 北側
【来賓】前田様(前田又吉 直孫)/伊藤様(伊藤博文 曾孫)/京都山口県人会
[画像1: https://prtimes.jp/i/5118/1043/resize/d5118-1043-542289-1.jpg ]
◆前田又吉と伊藤博文
前田又吉は、大阪生まれの実業家。
明治初年(1868年)神戸花隈に料亭「常盤花壇」を創業。明治6年(1873年)に諏訪山(神戸市中央区)の鉱泉に着目し「常盤花壇」を諏訪山へ移転したことにより、諏訪山は温泉街として発展しました。
神戸で成功をおさめた後の明治21年(1888年)、京都の二条橋西詰に「京都常盤」を創業。明治23年(1890年)には、長州藩の京屋敷跡にあたる現在の場所に、京都では最初期の本格的な洋式ホテル「京都ホテル」(現:京都ホテルオークラ)を開業しました。
前田又吉は、神戸の名士として政財界の要人と広く交際し、初代兵庫県知事であった伊藤博文とも親交がありました。前田又吉の没後、神戸の有力者が功績を讃えようと銅像を諏訪山に建立し、銅像の傍らには伊藤博文の銘文を彫りこんだ「前田又吉銅像記碑」と、当時関西の人気書家であった巌谷一六の撰文と書による「又吉泉記碑」が建てられました。
銅像は第二次世界大戦の際に金属供出で失われましたが、2つの石碑は、京都ホテル創業100周年を記念して神戸から移され、現在も京都ホテルオークラの敷地内(ホテル北側)に残っています。
今回、その「前田又吉銅像記碑」前に、銅像を建立いたします。
◆ホテル周辺の明治ゆかりのスポット(概要)
[画像2: https://prtimes.jp/i/5118/1043/resize/d5118-1043-984148-2.jpg ]
1. 伊藤博文像 /ホテル北側
※今回建立
2. 桂小五郎像 /ホテル西側
長州藩出身の志士・政治家の像。「維新三傑」のひとり。ホテルの敷地が長州藩の京屋敷跡にあたることにちなみ、京都桂ライオンズクラブが結成30年を記念して平成7年(1995年)に建立。ホテル周辺には、桂小五郎ゆかりの料亭などもあります。
3. 長州屋敷跡碑 /ホテル南側、正面ゲート
江戸時代の重要な水運拠点であった高瀬川沿いには「加賀百万石」と評される加賀藩や譜代大名の筆頭格 彦根藩など大藩が屋敷を構えており、加賀藩の屋敷のすぐ北向かいに長州藩の京屋敷がありました。屋敷は幕末の混乱の際に焼失しましたが、その場所を示す碑が立てられています。
4. 明治天皇行幸所勧業場跡碑 /ホテル南側、正面ゲート
長州藩の京屋敷跡地に設置された京都府の勧業場(産業振興のための施設)へ、明治10年(1877年)明治天皇の行幸があったことを記念した碑。勧業場は、行幸の後明治14年(1881年)にその役目を終えました。
5. 天照神社 /ホテル北側
現在の京都ホテルオークラの建物が建てられた平成6年(1994年)に創建。長州藩の京屋敷内にあった稲荷社を合祀しています。また、部材には式年遷宮の時に伊勢神宮より貰い受けた木材が使われています。
6. 史跡・一之船入 /ホテル北側
江戸時代初期に開削され、300年余り京都の水運を担った高瀬川。京都の中心部と伏見港を結び、貨物や人々の移動のために多くの舟が行き交いました。一之船入は船溜所として、積荷のあげおろしなどに使われました。明治時代、琵琶湖疏水開通などの影響でその利用は徐々に減り、大正時代に入って高瀬川は運河としての役目を終えましたが、一之船入は9つあった船入の中で唯一現存する史跡で、カフェ「りょーい」、「チャイナテラス 桃李」(*)から眺めることができます。
*いずれも京都ホテルオークラ直営のカフェ、レストラン。
【京都ホテルオークラについて】
京都市の中心部に佇む、1888年創業の伝統あるホテル。2018年で創業 130周年となります。京の風情とヨーロピアンテイストが調和した落ち着いた趣の館内には国内外の賓客を迎えてきた歴史が刻まれています。高さ約60メートルの最上階レストランフロアからの眺めは美しく、東山三十六峰や鴨川、古都の街並みが一望できます。
〒604-8558 京都市中京区河原町御池
TEL:075-211-5111(代表)
アクセス:地下鉄東西線「京都市役所前駅」直結。/JR京都駅より車で約15分。
webサイトURL:https://www.hotel.kyoto/okura/