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大戦期の立教大学学長による日誌『遠山郁三日誌 1940〜1943年 ―戦時下ミッション・スクールの肖像』を刊行

2013年3月15日

立教大学

太平洋戦争期の立教大学学長による執務日誌
『遠山郁三日誌 1940〜1943年 ―戦時下ミッション・スクールの肖像』を刊行


太平洋戦争期に立教大学の学長を務めた、遠山郁三氏(1877-1951)の執務日誌『遠山郁三日誌 1940〜1943年 ―戦時下ミッション・スクールの肖像』(以下日誌)が、このたび山川出版社より刊行されました。大戦期における大学トップの日々の記録が公にされる例は珍しく、戦争と教育について考える一助となることが期待されます。

今回、復刻・刊行されたのは、1940年4月から遠山氏が学長辞意を表明する43年1月までの約3年分の執務日誌全文です。立教学院史資料センターの研究プロジェクトの成果として、遺族の了解を得て公刊の運びとなりました。

遠山氏は1937年4月立教大学の第四代学長に着任しましたが、着任前は東京帝国大学(現・東京大学)医学部教授の肩書きを持つ、皮膚病を専門とする医学者でした。

日中戦争から太平洋戦争の勃発という激動の時代に、国民生活と同様、大学もさまざまな変容を迫られましたが、日誌には、あたかも医師が書くカルテのように、戦時下の大学内外の出来事が細密で淡々とした筆致で記されています。

例えば、戦時下、大学生は労働力として動員されましたが、日誌には軍関係施設での勤労動員を求める文部省の指示を受け、立教大学の学生が陸軍兵器補給廠(しょう)などで勤労作業に従事したことが書かれています。また、動員期間の延長に伴って、大学での授業時間が削減され、修業年限の短縮が図られていく過程や、在学中から兵士となることを想定した身体訓練(軍事教練)が強化され、さらに軍から派遣された配属将校の学内での発言力が強まっていく様子も読みとることができます。

日誌には、米国の教会(米国聖公会)が作ったミッション・スクールであった立教独自の戦時動向もつづられています。例えば、日米関係の悪化に伴って、1940年11月に米国人宣教師が法人(立教学院)の理事を辞任、帰国し、立教指導部の邦人化が進んでいく様子や、日米開戦当日、ただ一人立教に残った米国人のポール・ラッシュ教授に対し、遠山学長が謹慎を命じ、翌朝には警察の手で世田谷の抑留施設に連行された時の記載などは緊迫感に満ちています。

日米開戦後、日本国内で国家主義の徹底化が図られていく中、立教の建学理念は大きく揺らぎました。日誌には、キリスト教主義という立教の教育目的が文部当局から問題視され(1942年1月)、42年9月の「学生暴行事件」(詳細は不明)を契機に、立教首脳部が学内外からの圧力に配慮して法人の存立規則(寄附行為)と大学学則から「基督教主義」の文言を削除することを決断し、チャペルを閉鎖した経緯、すなわち太平洋戦争期、立教大学がキリスト教と決別するに至ったいきさつも記されています。

このほか、日誌には戦時下に立教大学が聖路加国際病院と共同で医学部を立ち上げようと試み、挫折した経緯もつづられています。

日誌は、立教大学の戦争体験を物語る史料というだけでなく、より広く戦時下の大学をめぐる教育環境や当事者の対応や苦悩を伝える記録としても、意義深いものといえます。

■書名:『遠山郁三日誌 1940〜1943年 ―戦時下ミッション・スクールの肖像』
■編者:奈須恵子、山田昭次、永井均、豊田雅幸、茶谷誠一
■判型:A5判 556ページ
■定価:6,300円(税込)
■発行日:2013年2月20日
■発行所:山川出版社
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