京都産業大学が熊本県山鹿市に学祖 荒木俊馬の記念碑を建立、除幕式と松本零士 客員教授講演会実施
[14/02/26]
提供元:共同通信PRワイヤー
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2014/02/26
京都産業大学
京都産業大学が熊本県山鹿市に学祖 荒木俊馬の記念碑を建立、除幕式と松本零士 客員教授講演会実施
京都産業大学(京都府京都市・学長 藤岡一郎)は、2015年に創立50周年を迎えるにあたり、大学の創設者 荒木俊馬(あらきとしま)の生家近傍を「生誕の地」、通った尋常小学校跡地を「縁(ゆかり)の地」として熊本県山鹿市鹿本町来民(やまがしかもとちょうくたみ)に記念碑を建立。2月22日(土)に記念碑除幕式を行うとともに、漫画家で本学客員教授の松本零士氏の記念講演会「荒木俊馬博士と私〜運命 宇宙への可能性〜」を国指定重要文化財である山鹿市の八千代座で開催しました。
2014年2月22日(土)に、中嶋憲正 山鹿市長はじめ地元の教育関係者や住民の方々の出席のもと、除幕式を行いました。記念碑はいずれもスクールカラーをイメージした紺色のセラミック製で、「生誕の地」の碑は高さ約160cm、「京都産業大学 学祖 荒木俊馬生誕の地」の文字が書かれており、「縁の地」の碑は六角形で高さ195cm、荒木俊馬の顔写真がデザインされ、天井部分には京都産業大学のシンボルマークである射手座(サギタリウス)が彫られています。
生誕の地には約100人が、縁の地には約120人が参加。山鹿市長から歓迎の挨拶があり、地域住民から献茶も行われました。
また同日、漫画家で本学客員教授の松本零士氏の記念講演会「荒木俊馬博士と私〜運命 宇宙への可能性〜」を国指定重要文化財である山鹿市の八千代座で開催。松本氏は荒木が執筆した『大宇宙の旅』について、「自分の作品の原点であり、この本に巡り合えなかったら確実に自分の歩む道は違ったものになっていただろう。荒木俊馬先生は私の人生の恩師」と語りました。この講演会には地域住民ら約400人が参加しました。
荒木は1897年に熊本県山鹿市鹿本町来民に生まれ、1906年までを過ごしました。2013年には宇宙物理学者として研究と人材育成に貢献した功績により、熊本県出身者又は在住者で、近代文化の発展に貢献し、その功績が顕著な人物であると「熊本県近代文化功労者」として顕彰されています。
京都産業大学は、山鹿市を学生の体験学習・フィールドワークの場として地域との交流を図るなど、今後も親交を深める予定。
【荒木俊馬プロフィール】
1897年、熊本県山鹿市に生誕し、1906年まで父・竹次郎(県立鹿本中学校初代校長)の勤務地である熊本県鹿本郡来民町(現、山鹿市鹿本町来民)に居住、1915年、熊本県立中学・濟々黌を卒業するまでを熊本市で過ごした。宇宙物理学者であった荒木は、自らの研究とともに、学生であった湯川秀樹、朝永振一郎(ともにノーベル物理学賞受賞者)等を育成するなど、物理学・宇宙物理学の発展に寄与。1965年、「わが国の将来を担い、国際社会に雄飛する人材を育成する」という理想を掲げ、京都・上賀茂の地に京都産業大学を開学、著名な教授陣を揃え、世界の碩学を次々と招聘し、全学部学生には最先端のコンピュータ教育を施し、開学わずか2年で経済・経営・法・外国語・理学部の5学部を擁する総合大学へと発展させた。
■記念碑概要
【生誕の地】(学祖の生家の近く)
〈場所〉山鹿市鹿本町来民字上町1208-2 来民二区公民館広場
【縁の地】(学祖の通った尋常小学校跡地)
〈場所〉山鹿市鹿本町来民字下町1721‐1 来民三区公民館広場
京都産業大学
京都産業大学が熊本県山鹿市に学祖 荒木俊馬の記念碑を建立、除幕式と松本零士 客員教授講演会実施
京都産業大学(京都府京都市・学長 藤岡一郎)は、2015年に創立50周年を迎えるにあたり、大学の創設者 荒木俊馬(あらきとしま)の生家近傍を「生誕の地」、通った尋常小学校跡地を「縁(ゆかり)の地」として熊本県山鹿市鹿本町来民(やまがしかもとちょうくたみ)に記念碑を建立。2月22日(土)に記念碑除幕式を行うとともに、漫画家で本学客員教授の松本零士氏の記念講演会「荒木俊馬博士と私〜運命 宇宙への可能性〜」を国指定重要文化財である山鹿市の八千代座で開催しました。
2014年2月22日(土)に、中嶋憲正 山鹿市長はじめ地元の教育関係者や住民の方々の出席のもと、除幕式を行いました。記念碑はいずれもスクールカラーをイメージした紺色のセラミック製で、「生誕の地」の碑は高さ約160cm、「京都産業大学 学祖 荒木俊馬生誕の地」の文字が書かれており、「縁の地」の碑は六角形で高さ195cm、荒木俊馬の顔写真がデザインされ、天井部分には京都産業大学のシンボルマークである射手座(サギタリウス)が彫られています。
生誕の地には約100人が、縁の地には約120人が参加。山鹿市長から歓迎の挨拶があり、地域住民から献茶も行われました。
また同日、漫画家で本学客員教授の松本零士氏の記念講演会「荒木俊馬博士と私〜運命 宇宙への可能性〜」を国指定重要文化財である山鹿市の八千代座で開催。松本氏は荒木が執筆した『大宇宙の旅』について、「自分の作品の原点であり、この本に巡り合えなかったら確実に自分の歩む道は違ったものになっていただろう。荒木俊馬先生は私の人生の恩師」と語りました。この講演会には地域住民ら約400人が参加しました。
荒木は1897年に熊本県山鹿市鹿本町来民に生まれ、1906年までを過ごしました。2013年には宇宙物理学者として研究と人材育成に貢献した功績により、熊本県出身者又は在住者で、近代文化の発展に貢献し、その功績が顕著な人物であると「熊本県近代文化功労者」として顕彰されています。
京都産業大学は、山鹿市を学生の体験学習・フィールドワークの場として地域との交流を図るなど、今後も親交を深める予定。
【荒木俊馬プロフィール】
1897年、熊本県山鹿市に生誕し、1906年まで父・竹次郎(県立鹿本中学校初代校長)の勤務地である熊本県鹿本郡来民町(現、山鹿市鹿本町来民)に居住、1915年、熊本県立中学・濟々黌を卒業するまでを熊本市で過ごした。宇宙物理学者であった荒木は、自らの研究とともに、学生であった湯川秀樹、朝永振一郎(ともにノーベル物理学賞受賞者)等を育成するなど、物理学・宇宙物理学の発展に寄与。1965年、「わが国の将来を担い、国際社会に雄飛する人材を育成する」という理想を掲げ、京都・上賀茂の地に京都産業大学を開学、著名な教授陣を揃え、世界の碩学を次々と招聘し、全学部学生には最先端のコンピュータ教育を施し、開学わずか2年で経済・経営・法・外国語・理学部の5学部を擁する総合大学へと発展させた。
■記念碑概要
【生誕の地】(学祖の生家の近く)
〈場所〉山鹿市鹿本町来民字上町1208-2 来民二区公民館広場
【縁の地】(学祖の通った尋常小学校跡地)
〈場所〉山鹿市鹿本町来民字下町1721‐1 来民三区公民館広場